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マト浪シカ

駿台は窮屈だ。
全ての窓に鍵がかかっており生徒は開けることができず、その上窓に白い雨模様が施されており、外を覗くこともできない。
当然渡り廊下などの外につながる場所もほとんどなく、最上階のフェンス越しに空気が行き来しているのみである。
ただでさえ精神をやられている浪人生をこのような牢獄まがいの校舎に閉じ込めて駿台は何を望んでいるのだろうか。
ある窓に刻まれた「助けて」という落書きがこの苦しみを物語っている。ふざけないとやってられないのだ。

こんにちは、鴉語です。あがたって読みます。
駿台での生活が始まってから早くも20日が経過しましたが、その割にはどの科目も成長できていないように感じ、危機感に押しつぶされそうな日々を送っています。
どこでもいいから受かればいいやなどと口では言っておきながら心の中では高学歴を求める己の歪なプライドが嫌になります。

朝、緑地公園駅で前の駅から一気に空いた電車を降り、駿台大阪校に向かって歩いていると死にたくなります。
中高の頃から朝の登校が本当に嫌いでした。たくさんの同級生や先輩後輩らと同時に電車から降り群れをなして学校へと歩いていると、自分は今個としてでなく◯◯高生という群の一構成要素として存在しているように感じて苦痛を覚えていました。
その頃はまだその群が価値ある、自分が属するに相応しいあるいはそれ以上のものだと思えていたのでまだこの苦しみはマシでしたが、今の僕は浪人生、社会的に無価値でありながら社会にしがみつく、いわば社会のコバンザメのような存在です。社会や世間の枠組みから外れた生き方を模索する者としてこれほどの苦痛が他にあるでしょうか。
これも朝の低血圧故の思考回路なのかもしれませんが、不快であることは事実であり、この苦しみは大学に入学しても続くであろうことは、この先の人生を憂鬱なものとして見てしまう理由として十分です。

文章を書くのは楽しいですが、その欲求をこのような面白くもないただ苦しみを綴っただけのカスみたいな文で満たすことが勿体無いような気もしています。それでも欲を満たさず、ストレスも発散できないままクラス内で形成されていく集団のどれにも属することもなく陰鬱とした日々を過ごすよりはマシかと思うので、この行為にも意味があると信じて筆を置くことにします。

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