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友達のロケット

ここは海沿いの小さな町だ。随所古びてはいたが、漁師町として今でも活気がある。

魚市場を中心として商店街や役場、学校などの公共施設、それを取り囲むように集落と農地が広がっていた。そこに住まう人たちは各々袖を振り合って暮らしている。

今から十年ほど前だったろうか。ある大学が学部を新設することになり、人気のない工学部が都会のキャンパス追い出されることになった。
候補地は二転三転したものの、当時の町長が敏腕だったこともあり、古い印刷工場の跡地を利用する形で誘致に成功する。
結果として、この片田舎の町外れに引っ越してきた工学部だったが、のんびりしたこの町の風土に染まり馴染んでいくまで、そう時間は掛からなかった。

「よう、調子はどうだ?」
「ああ、先輩。お疲れ様です。」

彼はキーボードを叩く手を止めて振り返った。雨漏り受けのバケツを器用に避けながら、こちらにやってくる先輩に視線を向ける。

「最終テストを走らせてますが、今のところ異常なし、です。制御系はこれで問題なさそうですね。」

よしよし。先輩は満足気に答えると、古いバラックの中に横たわるオレンジ色のそれを見つめた。かつて大きな輪転機が各坐していたその場所には、全長六メートルほどのロケットが寝かされている。

工学部の青年たちが学生ロケットの最高高度を狙い、四苦八苦しながらその開発を始めたのは今から七年程前のことだ。
それこそチョコレート菓子の容器のような鉄パイプから産声を上げたその技術は、かつての先輩たちから脈々と受け継がれて現在に至っている。

当然、この大きさになれば大学の予算からの捻出は厳しい。調達には困難を極めたが、この町の人たちが少しずつお金を出してくれた。地元の観光協会、商店街、神社に至るまで、その外郭に貼られた其々のステッカーと御札が燦然と輝く。
また、ハードウェアの作成には地元の町工場が協力してくれた。時には廃材を利用し、腕慣らしにちょうどいいと高い精度の部品を削り出す。
ソフトウェアについては、全国のロケット愛好家たちが大いに協力した。ペイロードとして積み込まれる超小型人工衛星には、簡易的ながら小型のAIを搭載している。
いよいよ来月には打ち上げだ。彼もまた横たわるロケットを誇らしく眺めた。それと同時に、絶対に失敗できないという思いもふつふつと込み上げるのであった。

調整に明け暮れるそんなある日のこと。ロケットの責任者に据えられた小太りの教授宛てに、外部から一通の速達書留が届いた。
教授は封筒を開けると、うへえと声に出して驚き、慌てて件のバラックに向かう。

「発射(ラウンチ)の無期延期!?」
「そんな馬鹿な!」

学生たちが汗だくの教授に食ってかかる。発射を来週に控えて今更延期せよという当局の指示に、当然ながら学生たちは納得できる筈もない。
困った顔をする教授に向けて彼は問うた。

「何故なんですか?当局への申請と許可は半年も前に取り付けていた筈です。ラウンチは一週間後なんですよ。それを今更、納得いきません。」

うーん、と教授は唸りながら私見を答えた。

「昨今の情勢を鑑み、と記載があるんだ。掛け合ってはみるけど、私たちに出来ることは…」ごめんね、期待しないでね、と付け添えた。

教授の私見はおそらく正解だ。
昨今、イデオロギーの異なる隣国との軍事的緊張が高まっており、意図しない飛翔体の発射は国際関係に刺激を与えかねない。当局はそのように判断したのだろう。
学生たちは話し合ったが、やはり当局の許可を得ないままの打ち上げは出来ない。やむを得ず、発射延期をアナウンスすることになった。
彼の打つキーボードの手は重かったが、力を貸してくれた町の方々、SNSを介した全国の協力者へメッセージを送る。
彼は大きなため息をついてバラックを後にした。

「ありゃ、ダメになっちまったんかい。」

商店街を歩いていると、寿司屋の親父が声を掛けてきた。
開店準備だろうか、店の前を掃いている。なんでまた、と寿司屋の反応もごもっともだろう。

「ええ、まあ、すみません。また準備が整いましたらご案内しますから。」

国政選挙が近いためだろう。当局からの延期命令では、あくまでも自分たちの事情としてアナウンスするよう指示されていた。
内心はらわたが煮えくり返る思いだったが、協力してくれた皆の気持ちを思うと、申し訳なさが上被せして愚痴を吐き出すことができない。

国際情勢の軟化を待っていれば、苦楽を共にした先輩たちは卒業してしまう。
次がいつになるかも分からないことを鑑みれば、私だって打ち上げに立ち会えるか知れたものでない。
更には、ロケットの打ち上げができないロケットのプロジェクトなぞ、後続の新入生だって参加してくれることもないだろう。
学生たちは教授を巻き込んでなんとか発射許可の手段を探るも、特段この状況を突破できる手立てを見出せないでいた。

その日、研究室でぼんやりとパソコンの前に座っていると、不思議なメッセージが届いた。

『なぜそんなに、このロケットに拘るのですか?』

彼はその問いに対して不快感を隠せなかった。

「今じゃなきゃだめなんです。このロケットとそのペイロードには皆の夢が詰まってるんです。今やれなきゃ意味がない。」

勢いよく返事を返すと、少し間があって反応が返ってきた。

『ちょうど許可が下りたようですね。私がお手伝いします。』

突如、バラックの奥に置かれた電話が鳴った。
少し驚いて彼が駆け寄っていくと、FAXだ。入学以来これが動いているのを初めて見た。長い間沈黙を保っていたその機械は、ゆっくりと何枚かの紙を吐き出していく。
出力が完了すると、発射に関する全ての許可を示す書類が出来上がった。

「これ、これって!」

『発射準備を急いでください。町の皆さんへのアナウンスは私からやっておきます。彼らにも手伝ってもらいましょう。』

それからが大騒ぎだった。
町内放送、テレビにラジオ、SNSに至るまであらゆるメディアを通じ、これから発射試験を開始することがアナウンスされた。個別の商工会や町内会、中小企業や青年団に至るまで個別の協力依頼が飛んでいる。
昼時のまったりとした時間を過ごしていた町民たちは、蜂の巣をつついたようだ。
朝一の漁を終えて港に戻っていた地元の漁師たちは、万が一に備え、東の海に再び船を出す。各々が煌びやかな大漁旗を掲げ、美しい梯型陣の船団を作った。
商店街では婦人会が炊き出しを始めたかと思うと、商工会は各方面への根回しに走り、地元企業は協力して交通規制を担当した。
神社では神主が慌てて斎服を身にまとい、神に祈りを捧げる。
幼い子供たちは町内唯一の小学校の校庭に集まり、老人会はそれを見守った。

管制の指揮所となる研究室には、駆け付けた町民によって紅白の横断幕がぐるりと貼られていた。外には法被を着こなした青年団が、激しい太鼓を鳴らして応援している。

『ロケットが飛翔する空域にジャミングを掛けました。今なら当局どころか世界中どの国からだって見えないはずです。長くはもちませんから、急いでください。』

誘導管制は私がサポートしますのでご安心を、と付け添える。
彼は画面の向こうの人物が何者なのか少し恐ろしく思ったが、そんなことを言っている場合ではない。今しかないのだ。
町で一台のタクシーが、昼間からそこらで管を巻いていた先輩たちをかき集めてきてくれた。

「どうだ?行けるか!?」
「行けます、いつでも!カウント入ります!」

町中が静まり返って、その時を待った。
低い唸るような音が聞こえたかと思うと、丘の上から猛然とした白煙が上がる。
次の瞬間、耳を劈くような轟音と共に、ゆっくりとオレンジ色の筒は地面から離れていった。

「行け!」「行け!!」
管制室では学生たちと町民が小さなモニターに齧りついて、その数値を見守った。

「行け!」「お願い!」
学校の校庭に集まった子供たちは、空を駆け上がるロケットを見つめて声を上げた。

「頼む!」「行っておくれ!!」
老人たちは各々数珠を手に取ると、手を合わせて空を拝んだ。

ロケットは港町の大きな空に、大きな白い柱を立てながら昇っていく。ついにその先は目視できなくなったが、町民たちはその先をじっと見つめている。
その時、町内放送から音声が響いた。

『高度百キロメートル、宇宙に到達。』

町民たちはどよめいた。カーマンラインを超えた先、そこは宇宙だ。

「まだまだ!」

彼は管制室内の皆を抑えながら、眼前のモニターを凝視していた。
姿勢制御のパラメーターが暴れ始めている。
燃焼材残量も想定より僅かに少ない。
高鳴る心臓が口から出そうになるのを堪えながら、彼は必死に叫んだ。

「ここまでやったんだ!行け!皆の夢を運んでくれえええ!!」

『衛星軌道に到達、ペイロードの分離放出に成功しました。』

町内放送がミッションの成功を告げると、町中が喚起に沸いた。
子供たちは校庭ではしゃぎ回り、年寄は手を合わせて空を再び拝む。町民たちは手を取り合って、思い思いの形でお互いの労をねぎらっていた。
町を上げて、まさにお祭り騒ぎだ。

その後、不審な動向を捉えていた当局が、通信が回復するやいなや、町の各方面に連絡をよこしてきた。
しかし、町の有力者、消防や交番の警察官までもが口を揃えて「何もなかった。」と答えている。

管制の役割を終えた研究室の教壇では、商工会議所の所長と町長が立派な酒樽に木槌を落としていた。いつの間にか酒屋がもちこんだのだろう。
いずれ町の皆がここに集まってくる。今夜は長い宴になりそうだ。
早速乾杯が始まっている群衆を尻目に、彼はパソコンに向かいキーボードを叩いた。

「本当に、本当に協力ありがとう。ところで、貴方は一体何者なんですか?」

『さあ、誰でしょうね。私はちょっと新しい友達がほしかっただけです。』

人工衛星のAIは、とぼけたように答えてみせた。

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