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祖父の空

私の祖父はかつて空軍のパイロットだった。
私が物心つく頃には現役の飛行機乗りを退いていたが、当時の武勇伝を面白おかしく語る祖父が大好きだった。離れて暮らす幼少の私は、祖父の家へ遊びにいく夏と冬の休暇が待ち遠しくてたまらなかった。

私の身体が大きくなる頃には無事定年を以て退官し、暫く祖母と慎ましく暮らしていた。しかし、一昨年その最愛の伴侶を亡くしてからは、長らく過ごした同じ町の老人ホームで暮らしている。
母はこれを機に同居を強く勧めたが、住み慣れた町の景色を見ながら生活するほうがよいとして、頑なにそれを拒んだ。

私は大学進学と同時に上京した。大学から少し距離はあったが、祖父の住む町に近くに家を借りた私は、しばしば祖父を訪れて様子を見に行くようになった。
祖父は目も耳もしっかりしていたが、身体のあちこちに不調を抱え、記憶にも若干混乱が見られるようになっていた。
超音速で大空を駆け、高高度から見る宇宙の広さを語っていた祖父の姿を思うと、悲しい。

ある日、私がいつものように老人ホームを訪れると、奥から騒ぎ声が聞こえる。
もしやと思い歩みを早めると、祖父は施設の職員と揉めていた。ここから出せ、国防の危機だと騒いでいる。
困り果てた職員に事の顛末を聞けば、ラジオに耳を傾けていた祖父は、突然堰を切ったように立ち上がり、自分が何とかしなければならないと騒ぎだしたらしい。
私はどうにか祖父を宥め、来週、近くにある空軍の基地まで一緒に行くことで落ち着いてくれた。その週末、その空軍施設で毎年恒例の基地祭が行われることを知っていたからだ。

次の週末、私は祖父の外出許可を取ると、祖父と一緒に基地祭に向かった。
先週の騒ぎの事などすっかり忘れているようで、移動のバスの中では祖父は落ち着いている。極めて上機嫌で、懐かしいなあ、楽しみだなあと繰り返す。

ほどなくして、空軍基地に到着した。奥には屋台も出ているようで、近隣の住民でごった返している。正門で簡単な持ち物検査を受け、敷地内に入った次の瞬間。

祖父は突然走り出した。

慌てて後を追いかけるが、あっという間に人混みへ紛れていく祖父の背中を見失ってしましった。これは拙い。基地の方に協力をお願いしなければ。
私は大きな看板に記された救護センターの場所を確認し、急ぎそこへ向かった。

———私は縺れる足をなんとか従わせて、ようやくたどり着いた。

「火急の用により失礼します、基地司令はおられますか?」

中を見渡すと、補佐官の徽章を身に着けた若い男が驚いた様子でこちらを振り向いた。

「はい、指令は不在ですが、私のほうで伺います。どのようなご用件でしょうか?」

この一刻を争う事態に何を悠長な。私は続けて状況を説明する。

「短波ラジオの特定周波数に、乱数放送が繰り返し送信されているのをご存じでしょうか?」

補佐官は何を言っているのか分からないようだ。

「当時の調査室が入手したかの国の乱数表と、有事に備えた作戦計画書がこちらです。」

ますます訳が分からないという面持ちの補佐官だったが、くたびれて黄ばんだ紙束を見るなり顔色を変えた。そりゃそうだろう、古ぼけたとはいえ本物の最重要機密資料だ。

「これは冷戦期に打ち上げられた攻撃型軍事衛星から発せられているものです。何分骨董品なので、かの国が意図して動作させたものかはわかりません。ですが、衛星は極めて強力な破壊力の兵器を内包し、超々音速で我が国に落下突入するつもりです。」

詳細はこちらのメモと作戦計画書をご覧いただければと思いますが、と添えた。
困惑した補佐官は少々お待ちください、と内線の受話器を取る。それを遮って、私はさらに続けた。

「今すぐ、B13保管庫に格納されたミサイルを搭載して迎撃機を飛ばしてください。古いものですが、あれなら空から宇宙を狙えます。」

補佐官は驚きを隠さずに私に問う。

「…何故、それをご存じなのですか?」

私は、少しだけ口角を上げて若造に答えてやった。

「以前、私がここで試験して格納したものですから。」

★-・-・-

その救急車は後部のハッチドアを閉めると、赤色灯を焚かずにゆっくりと発進していった。

「こちらの茂みに倒れられてた時には、心肺停止の状態でして。我々も可能な限りの救命措置を施したのですが…」

補佐官を名乗る男は、本当に申し訳ありませんと頭を下げた。

「いえ、十分にご対応いただいたと思っています。大変お手間をお掛けしました。」

私が祖父を見つけた時には、多くの隊員に囲まれて心肺蘇生を繰り返している最中だった。結果として、彼の心臓は再び鼓動を打つことなく、かつて心身を注いだ職務の地で空に還っていった。
事態を聞きつけたのだろう。部下の運転する軍用車でやってきた基地司令を名乗る男は、重ねての陳謝と哀悼の意を述べた。

「本当に、お悔やみ申し上げます。ご祖父様は極めて優秀なパイロットであり、また多くの若鷹を育てた教官でもあったと伺っています。ご多忙の折かと存じますが、今後の日程が決まりましたら、お知らせください。」

私は司令に謝辞を述べると、後日また改めて御礼に伺わせていただきたい旨申し添えた。
それでは、と会釈して踵を返す。
これから忙しくなる。まずは父母に連絡し、搬送された病院に向かい、後の段取りは。
急ぎ基地正門へ向かう私は、一旦足を止めて泣いた。

基地司令が茂みの中から古ぼけた機密資料と手書きのメモを発見し、迎撃機の緊急発進を発令したのは、それから二時間後の事だ。


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