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仏教発祥の地ブッダガヤと貧困


スピリチュアルな場所に興味があるという友達と仏教の聖地、ブッダガヤに行ってみようという話になった。


デリーは9月でもまだまだ暑いが、2時間ほど飛行機に乗り到着したガヤは、どんよりとした曇り空で涼しかった。

小さな空港でホテルまでのオートリキシャを捕まえて走ったが、道中目立った建物は見かけることなく、今住んでいるデリー近辺や今まで訪れた観光地と比べると寂しい街だなと思った。インドは州によって言語や食べ物、人の印象がそれぞれだが、州ごとの経済格差も激しい。

ブッダガヤは12月に世界中の仏教徒が成道の日を祝いに巡礼に訪れる。私たちは9月の閑散期に訪れたのもあって、観光を楽しめる場所が多くあるわけではなかったが、色々なことを考えるきっかけをくれた場所だった。

日本語が流暢なブッダガヤのインド人

ブッダガヤの中心地らしき場所に着くと、すぐに日本語で話しかけてくるインド人が現れた。インドでは通りすがりのインド人に国名をぼそっと呟かれり、大声で叫ばれたり、勝手に国名当てゲームが始まる。

自分の場合は韓国人、中国人、日本人のどれかが多いのだが、ブッダガヤでは百発百中でコンニチハ!って話しかけられるので驚いた。

ブッダガヤでは、日本語を話すインド人が多くいた。「Bodhgaya Japanese Training class」 と書かれた看板にインド人N5からN1 取得者の顔が並んでいたのを見たので、どうやら日本人の方がここで日本語スクールを開いて、日本語を教えているようだ。
日本語を習得し、将来日本で働きたいと夢を持っている人も多いのかもしれない。

物乞い地獄

ブッダガヤの中心部では、歩いているとどこからともなく物乞いの子供や手や足が変なところで曲がっている直視できない物乞いなどがやってくる。

1人の子供は、私たちと一緒に歩きながら、歌を歌ってお金を求めてきた。デリーだと暫く無視している諦めてくれる場合が多いが、この子供は簡単には諦めなかった。道端の大人に振り払われてもなお、諦めない強靭なメンタルを持っている。多分20分近く一緒に歩いていた。

自分も物乞いの子達に慣れてしまって、簡単には心が動かない状態だったが、あまりのしつこさに狂気じみたものを感じた。
どんな思いで見知らぬ人にお金をねだっているだろう。この子達に感情はまだ残ってるだろうか。お金は人から貰うものだと教えられて育ったら、その行為に対して嫌悪感を抱かないのも当たり前だよな、、。など色々考えた。

結局お金をあげても本当にこの子達の蓄えになるのかも分からないので、何もしなかった。

ブッダガヤには国ごとの仏教寺院があり、中に入ると神聖な場所なのだが、一歩外に出ると入り口に物乞いたちが群がっている。
インドは日本のように弱者に対する救済措置も整っておらず、貧しい家庭に生まれたら一生貧しい生活をするのが普通だ。本当にお金がないのであればもちろん助けたい気持ちはあるが、人にせがんでお金が手に入るなら、貧しくとも一生懸命働いている人が報われないじゃないか。そんな理由で私はまたお金をあげることもまた他の何かをあげることもしなかった。

スジャータ村の学校

ブッダガヤ2日目は、あのコーヒーフレッシュで有名なスジャータの社名の由来となったスジャータ村に行くことにした。

まずは、友人とスジャータの家があったとされる場所へ。
何にもない跡地をぼーっと見ていると、男性2人がどこからともなく現れ、場所の説明をし始めた。

2人は学校の先生だという。「I’m not a tour guide I’m just showing the place!」と勝手に案内を始める彼らを適当にあしらっていたが、別に追い払う理由もないので、言われるがまま着いていってしまった。

田んぼの畦道を進み、スジャータがブッダにミルク粥を供養したというお寺に着いた。ここでもまた管理人のような人から寄付を募られ、子供からお金をせがまれる。
もちろん貧しいのはわかるが、同情を武器に援助や寄付に頼りすぎてしまっている印象が強い。

子供達は素直で可愛い


次に彼らからブッダが修行した山に行かないかと誘れた。この山は前正覚山と呼ばれ、先のスジャータに出会う前に釈迦が6年間修行をした場所だ。

少し離れた場所にあるので、私も友達も最初は渋っていたが、ここで他に見る場所もなかったので4人で山に行くことした。
1人ずつバイクの後ろに乗り、村を走る。
道中、作り物ではない本物の村を見た。
これを本物の村と言うんだなぁと思った。
藁でできた簡素な家とそこに慎ましく暮らす家族。水は井戸から汲み上げ、電気も通ってなさそう。
ブッダガヤでこの山への道中が牧歌的で個人的に1番好きだった。

前正覚山への道中


山に到着し、またもや物乞いの人の数と中の静寂な空間とのコントラストに混乱する。

お寺までの道沿いにびっしりと子供やその親?が座っており、サルやこの物乞いの方達に「ビスケットを買え」という兄ちゃん達の声が響く。

ここまでバイク連れて行ってくれた彼に聞くと、彼らは集めたお金でお酒を買ってしまうらしい。人の数と激しさが異様だったので、驚きはしなかった。

前正覚山までの道のり




ここまで案内をしてくれた2人は学校を運営しており、最後にその学校を案内してくれるという。
あ、これが目的か、と遅れながらもそこで気づいた。

学校に着くと、日曜なのに子供がたくさんいて、テレビを見たり、自由に過ごしていた。

真顔で👉🏻してる子じわる


この学校は、貧しい家庭の親を出稼ぎのような形で別の州に送り、代わりに子供の生活、学習全てサポートしており、その親の稼ぎの何%が彼らの収入になるように運営しているとのこと。

この学校について何か質問はないかと聞かれ、案の定寄付を募られた。

「これから学校を拡張するためにベッドが必要。ベッドは1つ4000ルピー程するため、支援が必要だ。」

頼んでもいないのに勝手に案内を始め、最後に学校に連行するという方法は些か強引に感じた。また山で見たあの物乞いとそれを利用する人達を見た後なので、本当にお金が子供たちに行くのか若干怪しさもあったが、彼らと約半日一緒に過ごし、彼らの言動から悪い人ではないと判断した。実際に子供から学校に行くのは楽しいという言葉も聞いた。
「ちゃんとベット買ってね。ベット買ったら写真送ってよ!」と念押しし、友達と合わせてベッドが1つ買えるくらい寄付することにした。

Buddha gyan niketan school bakraurという団体のFacebookページもあったのでちゃんとした団体ではありそう。

貧困のサイクル

ブッダガヤ他インドの貧困層に蔓延する負のサイクルは、こうなっている。
学校を卒業したことのない大人は、教育を重視しない。働き手を増やすため子供をたくさん産み、家業を手伝わせる。そのため、義務教育があるものの学校に行かなくなってしまう子供が多い。
そして読み書きができない子供は、大人になっても仕事をする上で必要な計算などにつまずき、収支が合わないなど支障が出る。そのため給与の良い職に就けず、貧困から抜け出せない。

こうした貧困からの脱出を目的にビハール州を活動拠点とする日本の団体もいくつかある。

NPO法人結び手


インドの貧困地域の人々とともに、こどもや女性たちに向けた基礎教育や職業訓練などの選択肢を広げるための支援活動や、国内教育支援活動を行っている。


Nimai-nitai

ブッダガヤのスジャータ村を拠点に、村の女性たちに裁縫の指導をしながらものものづくりを行うファッションブランド。


Senamura Yoga Ashram guest house

インド人の旦那さんと
無料の日本語学校(プレマメッタスクール)と、学校の運営費をつくる為に始めたゲストハウスを運営している方




2日間ブッダガヤに滞在し数えられないほどの物乞いと寄付の懇願を受け、何だか腑に落ちなかった。

インドでも、魅力的な土産品や土着の文化を観光要素の一部とし、お金が落ちる仕組みを作っている地域はある。

ブッダガヤ(ビハール州)は仏教の聖地であり、世界の仏教国から巡礼に来る人々がいるにも関わらず、なぜその観光客からお金を落とす仕組みをつくらないのだろうか。

浅く調べてみると、

インドは日本に比べ州政府に多くの権限が与えられているが、ビハール州や隣のUP州では、カーストに基づく政治体制が続いており(カースト、階級、民族の分断に基づく政治)、汚職や政治不安が発展を妨げている点、インフラや教育システムの欠場など、ありとあらゆる要因が重なり貧困から抜け出せていないとのこと。


ブッダガヤに来た目的はシンプルに仏教誕生の地を見たいと言う好奇心からだったが、どちらかと言うと、州による貧困差と教育の重要さについて考える良いきっかけとなった。


日本人が活動する団体も耳にしてはいたものの、実際に貧困の現場を見て疑問を感じ、初めて自ら知ろうと言う気持ちになった。やっぱり旅をすることで何かしらの学びが得られるのだなと感じた。

ちなみに世界遺産でもあるマハーボディー寺院は、仏教徒のパワーを感じてすごく見応えありだった。

※追記
案内してくれたうちの1人DheerajとWhatsappで繋がっていて、彼はたまに学校の様子を写真で送ってくれた。
私たちがブッダガヤを訪れてから3ヶ月後、なんとベッドの写真を送ってくれた。半分くらい嘘だと思っていたので、あの約束を真摯に守ってくれたのが素直に嬉しかった。

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