見出し画像

とあるコミュ障の話12。一体どれが「本物」なのか??

前回
https://note.com/starfalcon/n/ncca7310c881d

実態の見えない勧誘話を受けた社会人2年目時代。
それ以降、会社以外の人にあまり会わなくなり、
しばらく会社以外の人間関係がご無沙汰になりました。

会社の仕事をなんとかして覚えよう、というところになって
SNSで繋がった最低限の人との関わりを保っている程度で。

スクール同期生による度重なる勧誘行為などがストレスになった、
という面もあったと思います。

「信頼している」関係からの甘い罠


後年はもっと巧妙な投資詐欺の話などがあって、
若手時代よりも金銭的に大きな被害を被った結果となりました。

生き馬の目を抜く人間が東京で生き残る、とはよく言いますが。
東京では本当に、人の見極めが難しいことを痛感します。

それを仲間という「信頼関係」が構築できた関係を経由して
言葉巧みに勧誘してくる。

一番は向上心をたきつけられることでしょうか。

会社のような酷い環境で、ゴミのような仕事で時間を食われることに屈辱を覚える。
会社にずっといるなんかよりも、人生を自由に生きる術がある。

そういう生活を目指せるのでないかという、向上心を煽られること。

詐欺に遭わないためには「楽して稼げる」、
そんな甘い話はないし、
稼げるスキームをそんなに安安と人には教えない。

私も気をつけていても、後年ハマってしまった経緯がありました。

向上心


スクールに通うぐらいの人であれば、向上心というものが少なからずあります。
「現状に危機感を覚えた」わけで
コミュニケーションスクールに通ったわけだから。

誘いの中には、友達や仲間意識に甘えるやり方もあれば
向上心を逆手に取るやり方もあります。

何もないよりも向上心があった方が、何よりも成長につながるでしょう。
だけど本当に自力で生きていきたいのであれば、
何かに依存することなく、自力で道を切り開くことが大事に思えます。

終わりに

外の世界には何があるか分かりません。
知らないことがいっぱいある。
その上情報が氾濫しており、どれを選んでいいかわからない。

その中で本物を探さないといけないとなると。

いや、何がなんでも、私たちは「本物を探さないといけない」のでしょうか?

その本物は、本当に必要なのだろうか?

感覚の是非が問われるところになっていきます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?