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「神」は外に求めているものでなく、内なる自分の中にいるもの。

いつの時代も名のある人間が強いものだ。
権力がある、やたらと高名である、
「美魔女(笑)」のように肩書きが優れる。

そうした人物の尊崇を欠かさぬ時代もあった。

彼らの言ったことやったこと全てをありがたがる。
思えばその選択肢を取ろうと思った時点で
自分をかなぐり捨てる決断をしたのだろう。

なぜ息を吸って吐くのが当たり前なのと同じように
彼らのようなカリスマをありがたがるのか。

それは自分の弱さを認識しているからに、他ならない。

弱者の遠吠え

力のなさゆえに夢を諦めたし、
自分の夢を諦めた結果が今なのだ、という認識を持ってやってきた。
大人になっても往生際悪く、いつまで経っても割り切れずに
ここまで来てしまったのが自分なのだ。

夢を追う力も無ければ、
たとえ力がなくとも夢を追う覚悟もなかった。
力も気力もない情けなさが災いしているんだと。

やりたくない仕事をやらされる会社を辞めらんないのは、意思薄弱なのか??

会社にいる時間の方が圧倒的に長かったから、常に葛藤していた。

それゆえ会社を辞めて起業、という道を目指してきた。

会社を辞めて一本立ちするために様々な勉強をしてきた。

色々やってみてわかったのは、
会社の仕事や副業でやろうとしてること以外に
やりたいことを見出した方が良いということ。

例えば副業がコーチングだとしたら
何もコーチングで将来食っていくと限らないし
食っていけるとも限らない。

副業がどんなに素晴らしいツールでも競合が多い。
それなら好きなことを極めていくということを毎日続けた方が良い。
いつのまにかお金をもらえるツールになることもありうる。

どうしてもコーチングをやりたければ、
自分独自のオリジナリティを盛り込むしかない。

真実の在処

会社を辞めたいっていうのはずーっと前から思っていたし
もうずぅーーーーーーっと前から言い続けてきたこと。

いつまでこんな仕事してなきゃいけないの??

そんな「やらなくていい仕事」「やりたくない仕事」と縁を切って
本当に好きな仕事を好きな時にやっている
起業家の先生をカリスマとして崇めることになった。

起業という道を目指すにあたって、
神格化されたスゴイ存在にたくさん出会ってきた。

月商ウン百万円とかブログのPV数が何十万PVだとか
彼らの叩き出す数字に圧倒された僕は
彼らの一挙手一投足、教えに至るまで完コピを目指し、崇拝した。

彼らのような大人物になって
莫大なカネを手に入れて会社を辞めたかったから。

だが、僕にとって一番重い言葉を託したのは
実績を残したプロブロガーでも、
メンターであった起業家の先生でも、
美魔女(笑)でもなく

かつて僕と場末の居酒屋で愚痴をこぼしていた昔の同僚だった。

そのことで、僕の中のカリスマ信仰が崩れ去った。

終わりに

人は誰しも目先の損得に弱い。
人は弱いものだからこそ、強い振る舞いをする者に憧れを持つ。

しかし神を自分の外に求めても、誰かを尊崇しても何も返ってこない。
名のあるカリスマを神格化しても意味がない。
いつだって自分の中の「神」の意志の殉教者である必要があるのではないか?


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