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人生における「高み」に行くには?

かつての起業塾で、仲間たちは互いに励まし合っていて
その中に「高み」を目指すといって

私も当然その「高み」に到達したいと思っていました。

こういう話を今頃するということは、今でもそういうところがあるのだろう。
たとえ安売りな「高み」だとしても、私はそこを目指したかった。

さて、その「高み」とは何を指す?

何を「高み」として目指していったのだろう??

「高み」というと漫画・ワンピースの一節にある

「来いよ、高みへ」を連想させますね。

「高み」とは

私もただ指を咥えて彼らが成長していくのを眺めてるだけでなく

彼らのように「高み」に行くために、会社での茶番劇を辞めるべく

水面下でさまざまな努力をしてきました。

しかし結局は神のイカズチを叩きつけられた

バベルの塔みたく壊されて、

それでもまた積み上げるけど壊されるその繰り返し。


諦めずにどれだけやっても、バベルの塔は結局壊れたままでした。


自分にとっての「高み」って、一体何だったんだろう。

私と彼らの一体何が違うのだ。

私だって「高み」に行きたい。

いつまでも会社に自由を踏み躙られ、茶番劇を演じる日々はもう辞めにしたい。

でなきゃ何のために高い金払って起業塾行ったのかわかんない。

一体どうやったら「高み」に行けるのだろうか。


「自分のため」か、「誰かのため」か


同期生たちは次々と起業活動で成果を出して、

会社を辞めれる目処をつけて、次々と会社を辞めていくのに対して。


私は独り会社の激務に飲み込まれ、

毎日朝から晩まで、心身が疲れ果てるまで茶番劇を繰り返していく。


ブラック企業の仕事にボコボコにされ、

毎日何も出来ずに終わっている私を横目に

彼らはどんどん進化成長の方向に進んでいく。


意識高い知識を得るだけに終わって

「高み」を目指す人間たちに置いていかれる一方。


学生時代や会社員時代と同様、

周りの成長速度があまりにも早くついていけず

どんどん置いていかれる構図が出来上がってしまっている。


いや、周りがあまりにも早い、というか

私があまりにも何もしなさすぎたせいか。


日々の生活費のために、いつまでも会社で茶番劇を繰り返している私と

志ある「真の起業家」である彼らと比べるのがお門違いだったのかもしれない。


「自分のため」だけに日々茶番を繰り返している私と

「誰かのため」に志あって意義のある活動を繰り返している彼ら


差をつけられるべくしてつけられたというべき。


志ある彼らはワンピースのルフィのように「高み」を目指していく。


学生時代、起業時代今に至るまでそうした光景を

現状維持に満足して終わっている私は

ただただ悔しさを噛み締めながら眺めるしかありませんでした。

「自分のため」と「誰かのため」、行動原理が違うだけでも

成長速度が違うのだなと痛感したのです。

終わりに


「誰かのために」何かを成し遂げる、それはとても素晴らしいことです。

おそらく自分の身の回りに力を尽くしてあげたい誰かがいたから

その想いも強くなるというもの。

「高み」に行ける資格があるかとか行き方とか

そんなことは全く分からないが、


「誰かのために」というのが、

「高み」に向かって行くにあたって、ものすごいエネルギーを生み出すのでしょう。

そういう志のある人が日々の茶番劇を抜け出し、

本来の自分の人生に向かって行く。

「高み」へ向かって行く人が、多くの人に勇気と希望を与えることを願ってやみません。

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