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「孤独」を抜け、人に会うことで得られるもの。気のいい朝カフェの仲間達との出会い。

よく言われるのが「フリーランスは孤独」であるということ。
フリーランスというのは立場が同じ人間が早々周りにはいないので

悩みを共有できる仲間が周りにいない。

同じ職場にいるのは仕事相手であるが弱音を容易にさらけ出せる相手ではない。

いかに「孤独」に向き合って立ち回れるかだが
いざ一人で「生き死に」を左右するような不安が襲ってきたら

その時自分はどうなるんだろう?

そういった気持ちも少なからずあったが故の、仲間探しだった。

初めての朝カフェ

日曜日の朝カフェに行くと、実にさまざまな人が集まっていた。
同じIT業界の出身の人だったり、全く別の業種の人だったり
同じ会社にとどまってるだけだったら絶対に会えない人たちだった。

同じIT業種の人も参加者としていたので
私が打ち解けるのにもそんなに時間がかからなかった。

とにかくいろんな仕事、いろんな背景を持った人たちがいたので、

それがとても当時の私には新鮮だった。
彼ら彼女らの前向きさが、会社で押しつぶされそうな
私の励みになってくれるのかもしれない。

不思議と分かり合えるんじゃないかって
そういう和やかな空間だったのを覚えている。

ちなみにこの時はスピリチュアル系の参加者はいなかったのを記憶している。

この当時の私は、まだスピリチュアルとか
そういうのに興味を示さない人間だった。

そういう人がいなかったってことは
「まだタイミングじゃない」ということなんだろう。

喜びと悲しみと

私が参加した朝カフェの参加者の中でもひときわ意気投合したおじさんがいた。

その人は離婚した悲しみを紛らわすために朝カフェに来て
前向きになりたかったといっていた。

彼は自己紹介の時に陽気に振る舞っていたのだが
内面は悲しみを秘めていたのだな。

一見おどけてるように見えるが内面はとてもしたたかで
必要なものを習慣づける柔軟性がすごい。

そのことが、彼に対して興味を惹かれる要素になったのかもしれない。

こちらの誘いに乗ってくれたり相談に乗ってくれたりする
とてもいい人だったのをとても覚えている。

彼が同じIT系だというのも大きくて
繋がった人の中で、一番自分のつらみを相談しやすかった。

「この人も俺と同じで『孤独』に苛まれていたのだろうな」と察した。

終わりに

思えばあの時は「友達」と500人くらい繋がって、
イベントで集まった人とは一緒にタコパしたりとか、

人と集まって「青春」してたんだよなぁ、って。

私の中で失敗や挫折が多い時代で黒歴史に違いないのだけど、
間違いだらけ、人生においては

「汚点だらけの黒歴史と」は片づけられなかった。

皆とは最終的にはお別れをしてしまったが、楽しいことばっかりだった。
それだけにどうしても「過去のこの時代だから全部ダメ」
なんていう片づけ方をする気になれなかった。

なぜなら「楽しかった思い出」はホンモノだし、
楽しかったと思う気持ちも心からのものだったからだ。

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