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苦手な仕事をやっていて忘れてしまった「自分好き」思考

岸田奈美さんのこの記事を読んで、私は一体いつから「おいどん(=自分、という解釈でいいのですよね?)大好き」って、言えない自分になっていたのか、とハッとした。

岸田さんの記事は、あくまで考えたきっかけであって、これから書く内容は原作(岸田さんの記事)の趣旨とはズレるので、必ず原作も読んでほしいのですが。

ぐるぐると考えた結果、向いていない仕事をしていることが大きな原因だと思い当たった。

最初にnoteを書き始めたとき、仕事はいくつかある原因のうちの一つだろう、と思っていたのだけど、書き進めるうちに、いや待て待て、完全に仕事で「自分好き」思考が失われたのではないか、と気が付いた。

向いていない仕事をしていると自分に自信がもてなくなって、「自分好き」であることが難しくなった。だから、向いていないことはさっさと辞めて、自分に合った、少なくとも自分が納得できる仕事をするべきなんだ!やはり私は仕事を替えるのだ!と改めて思った。

そういうことを書いてみたい。

昔は「自分好き」って当たり前だった

思い返せば、子供の頃はもちろん、学生の頃までは「自分好き」っていうことが普通だった。もちろん、体形や顔や服のセンスなど、コンプレックスはあったし、自分の性格で嫌だなと思う部分もあった。けれど、根本的なところで、あまり意識することなく、もし誰かに聞かれたら「あ、はい、自分好きですよ、そりゃあ」という感じで思っていた。

それなのに、ここ10年くらい、特にここ5年くらいは、自分の嫌なところばかりに目がつくようになった。

原因は向いていない仕事

その原因は、向いていない仕事をしていたからだと思う。現在は二人目の育休中だが、それまで経費管理とか管理部門での仕事をしていた。特にいけなかったのは、一人目の育休明けに担当になった経費管理の仕事だ。これが激烈に自分に向いてなかった。数字を扱うことがそもそも好きじゃない。

それを産休後、まだ1歳にもなっていない息子の慣れない育児とともにやっていたのだ。当時は、仕事なんだから担当になった仕事を一生懸命やるのは当たり前、お金の知識を知っておくのは今後役に立つだろう、とどちらかと言えば前向きな気持ちでスタートしたような気はする。なんだかんだ、私は真面目なのである。ここでは悪い意味で。

今思えば、自分がどれだけ数字が苦手かということに、気付いていなかったとも言える。

とにかく毎日、分からないことだらけ。専門用語も、年間スケジュールも、管理ツールも、報告資料も、そもそも何を報告すればいいかも、どの数字が何を指していて、どの数字同士が影響しあっているのかも…何も…ええ、何も分からなかった。


更によくなかったのは、この経費管理とは別に、開発部門のテーマ管理のやり方を考える、という仕事も同時にやることになった。

何それ、そもそも開発テーマとか謎だし、管理の仕方って一体どういうこと!?もはや何が分からないかも分からない、という、ほんと自分そんなんでよくやってたよな、というスタートだった。まあ、やってたというか、最終的に結果は出なかったのだけれど。


以前とのギャップ

一人目の育休前も同じ部署にいたのだけど、担当している仕事が違ったのと、良い先輩・上司に恵まれたことで評価もついていたし、自分のことを「仕事ができる」とまでは決して思ってはいないまでも、「なんて仕事ができないんだ泣」と思ったことはなかった。

そことのギャップもあったのだと思う。「まあまあ出来てる自分」、そして周りからも「そう思われている」と思っていたから、期待に応えなければならない、という勝手なプレッシャー、と言うか、「出来る人と思われなければ」という見栄だな、これ。

どんどん自信を失う…

育休後は、とにかく仕事が嫌になった。念のため、育休前もやりたい仕事をしていた訳ではなかったということは書いておきたい。「アラフォーにして未だやりたいこと探し」にも少し書いたけれど、私は社会人になってからというもの、これがやりたい、この仕事が楽しい、という分野の仕事をしたことがない。いつもどこかで「いつか違う仕事をするのだ」と思いながらやってきた。この点について、振り返ると自分でも一体どうしてなんだ、と思うのだけれど、そのことはまたの機会に掘り下げて書いてみたい。

とにかく、育休前はそこそこ仕事ができていたので、苦痛は少なかったのだけど、今度は同じくやりたい仕事ではない上に、向いていない・できない、のだ。

誰に責められる訳でもないけど、「仕事できない→自分ダメ→自信が持てない→もっと仕事に打ち込めない→結果として仕事できないが続く→もっと自信が持てない→なんか他のことも(関係ないのに)うまくいかない気がする→自分てそもそもダメだったんじゃ?→自分のダメなところばかり目につく→自分が好きになれない」なんかこんな思い込みのループにはまり込んでいたような気がしている。


ちなみに、「向いていない仕事」が嫌だったのか、「分からない・できないこと」が嫌だったのかは正直分からない。鶏と卵みたいなところかもしれない。向いてないからできない、できないから向いてないと思う、というような。


だから、「向いている仕事に替えるぞ」と思っても、もちろんまだ怖い。興味があっても向いているかは分からないし、そもそも最初は「分からない」ことだらけだろうから、同じループにハマっちゃうかもしれない。

でも、やってみなくちゃ分からない。少なくとも、経費管理の仕事を4年近くやって向いてないと思っているのだから、替えたところで後悔することはないでしょう。

最初に、向いていないことはさっさと辞めて、と書いた。けれど、この4年の経験から、次に生かせることは確かにある。あまり胸を張って言えるほどではないけれど、「失敗は経験になる」ということを身をもって実感できたし、仕事のやり方として今度はこうするぞ、という学びも得た。やはり真面目だ。

とは言え、一番の収穫は「向いていないことはさっさと辞めよう」と思えたことだ。ごまかしきれないくらいに向ていなかった。

いろいろ教えてくれた上司、先輩、同僚、ごめんなさい。そしてありがとうございました。←育休中で状況は何も変わっていないくせにもう仕事を替えることができた態度。

「自分好き」を思い出そう

自分が好き、と言える仕事をしよう、と思う。

少し逸れるけど、noteを始めてみて、「何かを始める」ことへのハードルが下がった気がする。とにかく行動するのだ、ということを、誰かの言葉じゃなくて、自分の言葉として飲み込めるようになってきた。

話を戻して。「自分好き」を、思い出そう。と言うか、わざわざ思う思わないじゃなくて、根底のところで無意識に当たり前に「自分好き」に決まってるじゃん、という状態になろう。

自分が好きな自分でいられるために、自信を失うような、向いていない、あるいは納得のいかない仕事は辞めて、向いている(かもしれない)、興味のある、あるいは納得のいく仕事をしよう。そう思う。

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