2021 / 3 / 19 の星の声
海神(わたつみ)の声 後編
女性から紳士へ
そう、私には心当たりがあります。その金の玉に。でも、誰にも言わずにいました。オチのない話になるどころか、品のない笑い話だと思われるのは嫌でしたから。
あなたのことは、この浜辺とともに暮らす誰もが知っていますよ。毎日、波が運んできたゴミを拾って歩くあなたのことを。あなたは知らないかもしれませんが、みんなあなたのことを「波打ち際のジェントルマン」と呼んでいるんですよ。だって、あなたはいつもきちんとしているでしょう?
どれだけ朝が早くても、あなたの髪に寝癖がついている日なんてないし、だらしない格好で歩くこともない。犬を連れて歩く人を見かければ無邪気に犬と戯れて、すれ違う人との挨拶は決して欠かさない。あなたよりもうんと早いスピードでジョギングしている人にだって、あなたはきちんと声をかける。
みんな、そんなあなたに敬意を持っているんですよ。それに、どんな性格でどういう暮らしを送っているのかとても興味を持っています。ミステリアスな雰囲気があるからでしょうね。
そんなあなたがずぶ濡れでここに来たら、どうしたって興味がわくじゃないですか。なんとなくですが、あなたのことを知る機会が訪れたような気がしたんです。そうしたら、あなたは金の玉について話し始めました。
私は、あなたが話してくれたことにひとつも違和感を感じませんでした。つまりそれは、あなたがあなたの真実を誠実に私に伝えてくれたからだと思うんです。
だから、私はあなたの話を信じています。それに、私が信じきれていなかった私自身の体験も、あなたのおかげでようやく信じることができるようになりました。ほんとうにありがとうございます。
前置きが長くなったけど、私の心当たりのことをあなたにお伝えしますね。
正直なところ、私は金の玉をこの目で見たことはないんです。でも、あなたが話してくれたように、顔のある金の玉のことについては何度か聞いたことがあります。でもそれは、誰かの話を私の耳で聞いたわけじゃなくて、ある時から、内なる感覚を通じて聴こえるようになった、と言った方が正しいかもしれません。
ほら、あそこに海の神様を祀っている岩場があるでしょう? 龍がとぐろを巻いて寝そべるようなあの岩場の形と、浜と海が一体になった景色が気に入って、私はこの土地に引っ越して来ました。初めて親元を離れて暮らすことになったから、せっかくだったら毎日飽きずに眺められるような景色の中に身を置きたかったんです。
このお店で働き始める前まで、私はあなたのように毎日浜辺を散歩していました。周りの目を気にしてゴミを拾うことはできませんでしたが、人間が生み出したゴミまでもおおらかに受け入れてくれている自然という同胞に感謝を伝えながら歩くようにしていました。
この町に暮らし始めた日と、浜辺の散歩を始めた日は同じなので、ここに来てちょうど十三日目の朝のことでした。その日、いつも散歩する場所に、クジラが打ち上げられていたんです。たくさんの人が渚に集まっていました。とても大きなクジラでした。その時はまだ息がありました。
何人かのサーファーが知恵を出し合って、なんとかして海へ返そうとしましたがびくともしませんでした。衰弱しているのは誰の目にも明らかで、クジラが息を引き取るのは時間の問題のように思われました。
その場にいた海洋生物の研究者が推測するに、体長は15m近くあったそうです。私は傷だらけの尾びれから頭の方に向かってゆっくりと足を進めながら観察を続けました。すると、思わずクジラと目が合いました。あんなに美しい目を見たのは生まれて初めてでした。
弱っているからか、目に力はありませんでした。でも、その純粋な眼差しに吸い込まれるように、私はクジラの瞳に見入っていました。周りの人がずいぶん騒がしくしていたはずなのに、その時ばかりは何の音も聞こえませんでした。完全な静寂の中、透き通った瞳はこう言いました。
「金の玉だ」って。
私が金の玉という言葉を、初めて聴いたのはその時です。私には何のことだかさっぱりわかりませんでした。でもその声は、私に深い安心をもたらしました。
クジラの声を聴いてすぐ、別の声が私の耳に飛び込んできました。大柄な中年女性の声でした。どうやら、私に声をかけていたようです。
「あんまり近寄ると危ないよ!」
私は彼女の声に振り返ってすぐ、彼女の瞳を真っ直ぐに見つめました。クジラの瞳とは違うものでしたが、彼女もまた透き通った目を持つ人でした。
彼女は大柄な体を寄せて私の腕を優しく掴むと、周囲の人々の輪の中に戻しました。潮の流れに身を委ねた時のようにあまりにも自然な流れでした。あとで聞くと、彼女の方も、私の腕を引いてクジラから離れた時に、潮風に運ばれたような感覚があったそうです。
そうして、私たちはクジラから離れました。何を話したかは思い出せませんが、いくつかやりとりをした後に、彼女は私にこう言いました。
「ウチで働かない?」
浜辺の散歩を始めて十四日目の朝から、私はこのカフェで働くことになりました。特に仕事を探していたわけでもなく、やりたいことがあったわけでもなかったのですが、なんとなく、彼女の店で働きたいと思えたのです。
そのまま、ここで働いてもうすぐ三年が経ちます。カフェの仕事をするようになってからは、二、三ヶ月に一度くらいは、金の玉の話を聴くようになりました。仕事中に、あの岩場や寄せては返す波から聴こえてくるんです。私にはこんな風に聴こえました。
「金の玉の声に、耳を傾けなさい」
「金の玉と、ひとつになるのです」
「金の玉に、問いかけなさい」
この話は、金の玉に会って、その声を聴いたあなただからこそ話せるんです。誰かに話したくても、私にとって簡単に話せることではありませんでした。
ずぶ濡れになったあなたがここに来て、こうして話してくれたこと。それだけじゃなくて、金の玉の話をするあなたの瞳が、あのクジラを思い出させてくれたこと。そのおかげで、ようやく私も遠慮なく声に出すことができます。
もしかしたら、これから私はあなたにとってとても大切なことをお話しするかもしれません。未熟な私の考えや経験について話すのではなく、私の意識のより深いところにある私自身と、すべての存在がひとつになった領域から、泡のように浮かんでは消える言葉が出てくると思います。
それは私やあなたの記憶に留まることのない、生命力に満ちた言葉です。よく耳を澄ましてください。
海神(わたつみ)の声
この地域では、海の神の名は「ワタツミ」とされています。金の玉は、このワタツミが、はっきりとした形になって現れるときのひとつの在り方です。それそのものが本体ではありません。
ワタツミはよく人間に擬態します。しかし、ワタツミは人間の本質しか見ていないため、ワタツミが人間の容姿そのものに擬態することはありません。本質以外のものは、破壊と再生の循環の領域から外へ出ることはなく、生命という流動の中で絶えず変化を繰り返すからです。
ワタツミにとって、人間の本質を物質的に表すと、金の玉になるようです。より正確に表現すると、金の魂と書くことができます。
ですから、あなたが見かけた金の玉は、ワタツミが擬態したあなたの本質、つまりあなたの魂だったのです。
あなたは毎日の朝方と夕方、必ず浜辺を散歩していますね。少し天候が悪い日でも、あなたは傘を差しながら波打ち際がつくる細い道を辿って歩きます。砂浜をつぶさに見て、沖に浮かぶ船や白波を眺めているでしょう。そんな毎日の散歩の中で、どうしてあなたは、自分の内なる欲求を満たさなかったのですか?
あなたの内なる欲求を、言葉にして表したのはワタツミでした。
「服を着たままでいいから、私の前で海に浸かってほしい」
ワタツミが発したこの声を、あなたは覚えていますか? きっと覚えているでしょう。あなたはワタツミの要求に対して、服を着たまま躊躇なく海へ入りました。でも、どうして入ることができたのでしょう?
「服を着たまま、海に浸かること」
それが、あなたの内側から泉のように湧き上がる欲求だったからです。あなたはその欲求が実現した喜びが膨らんで、思わず水しぶきをあげながら泳ぎましたね。ワタツミは、あなたという人間と対等な立場になるために、内なる欲求を満たした本質的なあなたと、ただ向き合いたかっただけなのです。
そして、本質的なあなた自身との交流を望んでいた海が、あなたという人間を海の青に記憶しました。空と海の青には、この星の膨大な記憶が刻まれているのです。
なぜ、海があなたとの交流を望んでいたか。それは、海があなたに対する大切な贈り物を渡せずにいたからです。でも、今はもう心配ありません。海はあなたという存在を完璧に把握し、いつでもあなたに贈り物を届けることができるようになりました。
あなたが、金色に輝くあなた自身の魂とひとつになることで、あなたは海とひとつになることができますし、空とひとつになることもできます。延いてはこの地球という星とひとつになることができるのです。
ワタツミの願いは、それだけです。
今後も、あなたの内なる欲求を、どうか見過ごさないようにしてください。
どれだけ微かなものに思えても、決して目を逸らさないでください。
あなたの生命が、流転の日々を超えて、永遠となりますように。
紳士から女性へ
私は、君にお礼を伝えなくてはならない。今、君と出会えていなかったら、私は不可思議な現象を体験したひとりの人間として、単なる思い出話の語り手になるしかなかっただろう。
私は、未知との遭遇を果たしたのではなく、誰よりも何よりも一番よく知っているはずの自分自身との対面を、神や自然のサポートを受けて果たしただけだったんだね。
最愛のパートナーを失った私にとって、毎日はひどく惨めなものだった。私が犯した罪のせいで、空っぽの日々を歩むことになったのだと思い込んでいたからだ。
私は自分自身が犯した罪を償いたかった。とはいえ、心当たりなんてひとつもない。だから厄介だった。
私は、自分なりに懸命に生きてきたつもりだ。大した不幸もなく、幸運を感じることの方が多い人生だったと思う。特に、パートナーと出会ってから、私はパートナーにすべてを注いできた。私ができることのすべてをしてきたはずだった。それなのに、私の思いは天に届かなかったのだ。
打ちひしがれた私は、パートナーがこよなく愛した海辺の街へ引っ越した。単身で暮らすのだから、こぢんまりとした家があれば十分だった。毎日のように、砂浜で美しい貝殻やシーグラスを見つけては家に持ち帰って、今も額縁の中で生き続けるパートナーの前に差し出しているんだ。私が見つけたとっておきのものであれば、きっと喜んでくれると思ってるんだ。
まだ二人で暮らしていた頃、海へ行くと、パートナーは決まってゴミを拾った。私はそれに対してよく小言を言ったんだよ。「どうして他人が捨てたゴミを拾うんだ」ってね。
パートナーはいつも笑って、私の小言など意に介さずに袋いっぱいのゴミを家に持ち帰ると、文句ひとつ言わず丁寧に分別していた。もしかすると、パートナーは自分自身の内なる欲求をそうやって満たしていたのかもしれない。
パートナーにはよくこんなことを言われたよ。
「あなたがほんとうにしたいことをしたらいいよ。私のように」って。
私も私で、パートナーの言葉を意に介さなかった。ただそれは、私がパートナーの言うことをひとつも理解していなかったからだろう。私は自分が「ほんとうにしたいことをしている」と思っていたんだ。
私はきちんとした身なりで、規則正しい生活をするパートナーに心から敬意を持っていた。だからこそ、私はだらしない格好をして、寝癖がついたままの頭で外を出歩くことをしたくなかったんだ。これは、パートナーと何十年も暮らしてようやく身についた私の財産であり、パートナーが築いた遺産でもあった。
そんな私にとって、服を着たまま海に浸かりたいだなんていう欲求は、年甲斐もないからという理由で、いの一番に自分自身で却下していたことだった。
はあ、まったく。私の内なる欲求ときたら……なんて子どもっぽいんだろうな。ああ、そういえば、こんなことも言われたなあ。
「あなたの子どもっぽさが、あなたの魅力を最大限に輝かせる」って。
もしかしたら、パートナーは何十年も前から気づいていたのかもしれないな。子どもらしい欲求を持った私のことに。気づいていなかったのは私だけだ。だから、もし私に罪があるとしたら、「子どもらしい自分自身を認めずに、子どもみたいな内なる欲求を絶えず否定していた」ことなのだろう。
でも、それが罪じゃないということは、今の君の話と、金の玉との出会いを通して教わったような気がする。私たちの魂には、罪も罰もないんだろうね。
今、ずぶ濡れのままで君とこうして話しているが、ストレスなんてひとつもない。信じられないほどにひとつもないんだ。君から見たら、まるで海遊びをした子どもみたいに見えるだろう?
これまで、私にとってこんな風に在ることは恥ずべきことだった。でも本質的には、むしろ自分自身を最高に喜ばせることなのかもしれないね。
ふと思い立って、この姿のままここへ来て、君と話すことができてよかった。ほんとうにありがとう。
さあ、もし迷惑じゃなければこのままモーニングをいただいてもいいかな?
今日はスクランブルエッグとベーコンと、パンケーキがいいな。コーヒーは、久しぶりにミルクと砂糖をいただこう。パートナーはコーヒーを甘くして飲むのが好きだったんだ。そういう私も、実はそっちの方が好きなんだよ。
こんな老いぼれになってまで、大人っぽく振る舞う必要なんてないからね。じゃあ、よろしく頼んだよ。
え? そんなに濡れてたら店の中じゃ食べられないって?
私がいくら子どもっぽいからって、そんな無茶は言わないよ。普段は使わないが、店先のテラス席で十分さ。たまには強い潮風を浴びながら食べるのも楽しそうじゃないか。
今の私の内なる欲求は、お店の中で食べることじゃない。パートナーが好きだった甘いミルクコーヒーと一緒に、ここの名物のパンケーキをいただくこと、ただそれだけなのだからね。
キンボ一周年と、これからのこと
こんにちは、こじょうゆうやです。
2020年の春分からスタートしたキンボこと、『金曜日の星の坊主さま』はおかげさまで一周年を迎えます。
去年はコロニャン大先生に密着しつつ書かせていただいたキンボ、この一年でいろんな変遷を遂げましたね。ひとえに、読んでくださって、たくさんのご感想をお寄せくださるみなさまのおかげです。本当にありがとうございます。
さて、来週3月26日金曜日のキンボはお休みさせていただきます。
それと同時に、もしかすると「キンボ」というコンテンツ自体が終了するかもしれません。しないかも、しれません(笑)
一年経って、またテコ入れをしようかなという感覚があるのです。このまま続けていってもどうなのかな、と思うし、継続は力なりかもな、と思いもします。
いずれにせよ、表現は続けていくのですが、何しろ飽きっぽいんですよ、ぼくって。
そこのところにつきましては、春分明けの来週一週間で感じてみようと思います。今のところ、可能性は五分五分です。他人事のようですが、どうなるか楽しみにしています◯
内なる欲求をこれでもかと行動に移して、ぼく自身のピッカピカの金の玉とひとつになりましたら、また改めてお知らせいたしますね。
ではでは。
今週は、そんなキンボです。
こじょうゆうや
あたたかいサポートのおかげで、のびのびと執筆できております。 よりよい作品を通して、御礼をさせていただきますね。 心からの感謝と愛をぎゅうぎゅう詰めにこめて。