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2021 / 3 / 5 の星の声


海神(わたつみ)の声 前編


どうしてずぶ濡れなのかって?
申し訳ないが、頼むから落ち着いて聞いてほしい。
信じられない話かもしれないが、私は決してウソは言わない。


さっき、私は浜辺を歩いていたんだ。朝方と夕方の1日2回、浜辺の散歩は私の日課なんだ。30分ほどの散歩だから大した距離は歩いていないが、たいていゴミを拾って歩くのは、君もよく知っているだろう。朝の散歩のあとは週3〜4回、このカフェにモーニングをしに来るのさ。

波打ち際を歩けばシーグラスをよく見かけるだろう。だいたいブルーやグリーンのものが多いから、たまにルビーのような赤をしたものを見つけると、家に持って帰って玄関脇に飾っておくんだ。それはもう大変美しいものさ。いつかここで私のコレクションを見せてあげよう。

あぁ、いやいや。私はそんな話を伝えたいわけじゃない。とんでもないものを見つけてしまった、という話さ。

もう一度言うが、私はいつものように浜辺を散歩していたんだ。今日は雲ひとつない朝だね。空も海も見事なコバルトブルーだ。あまりの素晴らしさに、今日はゴミ拾いができなかったくらいだ。

そうして、私が空と海に見惚れて歩いていたら、波打ち際で見かけるはずのない色を見つけたんだ。そいつは金色に輝いていた。こぶし大の大きさで、形はまんまるだ。ソフトボールくらいの玉と言ってもいいかもしれない。あんまり大きな声じゃ言えないが、立派な金の玉だったのさ。

最初は金塊でも見つけたのかと思って驚いたよ。でも、そんな重たいものが波で運ばれてくるなんてありえないと、私はすぐに気がついた。毒性のある化学物質だといけないから、素手で触れることはしなかった。私はそこらに落ちている流木の細枝で動かそうとした。

すると流木はあっという間に折れてしまった。びくともしないくらい重たかったんだ。私はすぐにペットボトルくらいの太さの枝を見つけてきた。朽木だから大して重くなかったんだよ。

私は砂浜に足を踏ん張って、全身に力を込めた。幸い浜には誰もいなかったから、周りを確認してから遠慮なく声を出すことにした。そうでもしないと動かないと思ったんだ。

その時だ。急に喋ったんだよ、金の玉が!
彼はこう言ったよ。


「あんまり乱暴にしないでくれ」


私は腰が抜けてしまった。ズボンが濡れたとわかっても、どうしても立ち上がることができなかった。私の目は金の玉に釘付けさ。どこかにスピーカーがついてるんじゃないかと思った。そう感じるほどに彼の声が大きかったんだよ。尻餅をついた私が動けずにいると、金の玉は惑星が自転するようにゆっくり回転した。そこで私はもう一度大声を出すことになった。

金の玉に、顔がついていたんだ。鼻や唇などの隆起は見られなかったが、ボールに顔を書き込んだように、眉、目、鼻、口がはっきりとあった。彼は私を見つめて何度かまばたきをした。端正な顔立ちだったが、どことなく古い時代の人のように見えた。しかし、言語は私たちと同じだった。

「君にお願いがある」


彼は穏やかな表情のまま、低い声を静かに発した。私は呼吸が乱れていることに気がついた。コバルトブルーは見事なままだった。ズボンは思ったよりも湿っていた。海水を含んだ砂の上に尻をついているのだからしょうがない。ここまで感じてようやく、私は冷静さを取り戻した。私は金の玉に問い返した。


「私に?」


そう返すのが精一杯だった。金の玉はうなずくように、地面に向かって少し回転すると、また元の位置に戻った。


「そうだ。服を着たままでいいから、私の前で海に浸かってほしい」


普通なら、ここで金の玉に理由をきくはずだろう? ところがだ。私は何の疑いもなく、彼の言う通りにすることにしたんだ。もうすでにズボンや下着は濡れていたから、海に入ること自体はイヤじゃなかった。それどころか、あとで振り返って見ても不思議なくらいに、私は喜んで海に飛び込むと、金の玉の前で水しぶきをあげて泳いだんだよ。

そんな私を見て、金の玉は冷静に言ったんだ。


「泳がずにじっとしてほしい。できるなら10秒ほど目をつむってくれ」


私は大人にたしなめられた子どものように気恥ずかしかった。すぐに、金の玉の言う通りにした。目をつむると、急にあたりが静かになった。絶えず打ち寄せる波の音が一切聞こえなくなったんだ。ぶくぶくと水中に浮かぶ泡や水の流れる音だけがはっきりと聞こえた。

次に聞こえたのは人の声だった。何人かいるような気がした。どれも普段の生活じゃ聞いたことがないような質感の声だった。どういう質かと言われると、正直答えるのが難しい。私たちの住む世界にはないからかもしれない。

もし私の勝手な想像を伝えていいのなら、「天国にいる人たちの声」と言えば正しい気がする。あれは決して死者を思わせる声ではない。あの声に溢れる生命力を何と表現したらいいのだろう。清く平らかな生きた声としか言えない。

そのうちの一人が私に向かってこう言った。


「あなたを青にとどめました。海神の声に応えてくれて感謝します」


そのあとすぐに、あの金の玉の声が聞こえた。


「目を開けてよろしい」


私は目を開いた。波打ち際にまだあの金の玉があった。いつの間にかこちらに顔を向けて慈しみ深い微笑みを満面にたたえていた。その表情を見て、私は身体の奥底から湧き出る何かに気づいた。その何かは全身をくまなく駆け巡り、吐く息に合わせて身体の外へ出ていった。その正体は喜びだった。


「協力に心から感謝する」


金の玉がそう言うと、波打ち際の海水が一気に引いた。すると、私の背後から私よりもうんと高い波が背を伸ばし、私と金の玉をあっという間に包み込んだ。

前のめりに倒れた私の視界には黒と白が入り混じった。波飛沫の音は幼い子どもが寄ってたかって笑い声をあげているようだった。そこには、金の玉の声や、天国にいる人たちの声もあった。

波が落ち着く瞬間に私が立ち上がると、私の足元に金の玉を動かそうとしたときの太い枝が転がってきた。金の玉は、もうそこにはなかった。

私は海から上がった。全身ずぶ濡れだったが、まずはここでモーニングをいただこうと思った。そうしたら、店先の掃除をしている君に出会った。

とまあ、そんなわけだ。

君が言いたいことは、その顔を見ればわかる。さっきも伝えたとおり、私はウソをつくつもりなんてない。こんなウソで誰が得をするんだ。だがね、こんな話を聞いて信じる方もどうかしている。だから、これは私の独り言だと思ってほしい。君は君にとって都合のいい風に捉えてくれればいい。

波打ち際で足がもつれて転んだとか、打ち寄せる波が足を伝って全身まで届いたとか、老いてボケた私が波に気づかなかったとか、何だってかまわない。

私はあくまで、今自分の身に起きたことを整理するために、思い出せるかぎりを事細かに口にしてみただけだ。気にしないでほしい。


え? 金の玉に心当たりがあるって?









今週は、そんなキンボです。






こじょうゆうや

あたたかいサポートのおかげで、のびのびと執筆できております。 よりよい作品を通して、御礼をさせていただきますね。 心からの感謝と愛をぎゅうぎゅう詰めにこめて。