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2020/10/16の星の声

うんざりバス



ペッタはうんざりしながら、帰りのバスを待っていた。
その隣にいるサーラもおんなじようにうんざりしていた。
そのまた隣にいるマレッサ婆さんも、すぐ横のピッチ・モコも、
誰もが、うんざりしていた。

塾帰りのペッタは、母ちゃんに怒られたことを思い出していた。ゲームばっかりしないで勉強しなさいって。ガミガミガミガミ。ぼくはゲームがしたいんだからしょうがないじゃないか、とペッタは頬を膨らませた。

サーラは、せっかくの休みの日に、上司に呼び出されて会社に行った帰りだった。おっちょこちょいの上司のミスがミスを呼んで、サーラまでとばっちりを受けた。これで何度目だろう、とサーラは大きくため息をついた。

耳が遠いマレッサ婆さんは、人の声なんてほとんど聞こえない。誰かが声をかけてくれても、何度も何度も聞き直さなきゃならない。それでも、結局わからないことが多い。こんな耳なんていっそのこと取れちまったらいいのに、とマレッサ婆さんは目くじらを立てていた。

下半身が馬のように太いピッチ・モコは、実は本名ではない。彼はその体格のせいでサイズの合うズボンがなく、どんなズボンを履いてもピッチピチになって、やたらとモッコリしてしまう。そんな彼についたあだ名がピッチ・モコだ。

今日の彼は、ズボンを探しに三時間もかけて大都会へ行ったものの、結局ピッチ・モコに変わりはなかった。都会の流行りは、タイトなズボンだったからだ。彼はほとほと、うんざりしていた。

彼らは互いにうんざりしているが、それぞれがうんざりしていることを知らない。みな強張った顔をして、バスロータリーをぐるぐる回るバスをただじっと眺めていた。

彼らが乗ろうとしているバスは、人々がうんざりしやすい定刻に発車するうんざりバスで、そのことはバスの運転手しか知らない。「今日は四人か」とうんざりバスの運転手は思った。

バスが到着して、出入り口のドアが軋んだ音を立てて開くと、ペッタを先頭に四人はバスに乗り込んだ。ペッタは運転席のすぐ後ろの小高い席に、サーラはバスの中ほどにあるドアの近くの席に、マレッサ婆さんは優先席に、ピッチ・モコはどの席にも座れないから、つり革を掴んで立った。

運転手が発車のアナウンスを告げた後、ギシギシと出入り口のドアが閉まったが、バスロータリーから大通りへ出る信号は、10分経っても赤のままだった。あんまり長いこと停まっていたから、ペッタは最後部の広い座席に席を移した。サーラはスマートフォンで動画を見ていたから気にならなかったが、マレッサ婆さんはいつの間にか横になって寝てしまい、ピッチ・モコは今履いているズボンがそのうち破れはしないかとハラハラしていた。

「お待たせいたしました、発車します」

信号がようやく青に変わると、うんざりバスの運転手はそう言って、バックミラーで車内の様子を確認した。

ペッタは車窓からの眺めをじっと見つめていた。サーラは相変わらずスマートフォンに釘付けで、マレッサ婆さんはついにいびきをかき始めた。ピッチ・モコは大きくため息をついて、バスのあちこちに貼られた広告を眺めていた。

運転手は、顎のあたりにあるマイクを少し口元に寄せて、小さな声で次のように言った。

「このバスは、ウシロナナメ団地経由、マッシロ町役場行きです。お降りの際はブザーでお知らせください。次は、うんざり一丁目。うんざり一丁目でございます」

うんざりバスは、うんざり一丁目から七丁目までの各バス停を通り過ぎたが、誰一人として降りる気配がなかった。「これは重篤な乗客だ」と、運転手は思った。

ウシロナナメ団地は、すべての住民が後ろ斜めに進む特徴があることから、四人の乗客がそこで降りないことは明らかだった。運転手は終点までのおおよその所要時間を確かめた。唯一たどり着ける可能性があるとしたら、最後部にいる少年で、残りの三人は誰も行けないかもしれない、と運転手は思った。

そこで、運転手はこんなアナウンスを入れることにした。

「次は、ウシロナナメ団地、ウシロナナメ団地。お降りの方はブザーでお知らせください。ウシロナナメ団地を過ぎますと、次は終点、マッシロ町役場に通じる、マッシロ公園入口に停車いたします」

すると、ウシロナナメ団地を過ぎたところで、急にブザーの音が鳴った。まだアナウンスを入れていないのにも関わらず、ブザーを鳴らしたのはペッタだった。運転手はバックミラーで四人の乗客を確認すると、ほっとしたように言った。

「次、停まります」

その瞬間、いびきを詰まらせたマレッサ婆さんが、むくっと起き上がった。どこにいるのかを確かめるようにキョロキョロと窓の外を見渡すと、動画を見終わってスマートフォンから目を離したサーラも、車窓からの景色に目を向けつつ、スマートフォンをカバンの中にしまった。

ペッタが最後部の座席から立ち上がったのを見て、運転手はすかさずアナウンスを入れた。

「走行中に立つと危険です。バスが完全に停まるまで、お席に座ってお待ちください」

ペッタはアナウンスに従って座ったが、先ほど座っていたところよりも二つ前の席だった。ペッタの席と通路を隔てた反対の席に座るサーラは慌てるペッタの様子を見て目尻を細めつつ声をかけた。

「もうすぐ着くわよ」

一方、まだ少し寝ぼけたマレッサ婆さんは、近くに立つピッチ・モコに呂律の回らないまま声をかけたが、ピッチ・モコは笑顔で頷いて、「終点ですよ」と大きな声で言った。

その声が耳に入ると、うんざりバスの運転手はうっすらと微笑んだ。彼がアナウンスしたマッシロ公園入口というバスの停留所は存在していない。しかし、四人の乗客はおそらく全員がそこで降りることになる。運転手は心の底から安堵した。

バスはだだっ広い草原の真ん中で停車した。運転手はスイッチを入れて、バスの二つの出入り口を開けた。前方のドアから、マレッサ婆さんとピッチ・モコが、中央のドアからはペッタとサーラが降りた。

四人はぐるりと周囲を見渡した。あたりには一本の木すら生えていないのに荒涼とした様子はなく、むしろ草花の香気に満ちた夢のような場所だった。

「ああ、鳥のさえずりが聞こえるね。美しいわ」

マレッサ婆さんはそう言うと、ヨタヨタと草原を分け入るように歩き始めた。マレッサ婆さんの脛のあたりまで伸びた草は、彼女の歩みを遮ることなく、彼女のおぼつかない足取りを助けるかのようにそよいだ。

サーラは、マレッサ婆さんとは左に90度違う方へ向かって歩き出した。バッグから取り出したイヤホンをスマートに両耳にはめて、迷いのない軽快な足取りで、風のように歩いて行った。

ペッタはしばらくの間、あたりに飛んでいる蝶やミツバチに気を取られてそこらかしこを駆けずり回った。その様子を横目に、ピッチ・モコはサーラとはさらに左に90度別の方に向かって歩みを進めた。草原に息づく多様な生命の脈動は、ピチピチモッコリな下半身を伝って、彼の全身にくまなく行き渡った。

ピッチ・モコは、散々気にしていた下半身やズボンのことなどどうでもよくなった。足の裏からこんこんと湧き出る泉のように響き渡る心地よい振動は、彼の立派な下半身で増幅して、くたびれた心や脳内の汚れをあっという間に消し去ってしまったからだ。

あまりの高揚感に、ピッチ・モコは走り始めた。

彼の一歩一歩から、ぽつらぽつらと家が建ち、隆々と木々が伸び、四方八方に道ができ、賑やかな町が生まれた。それはピッチ・モコだけではなく、ヨタヨタのマレッサ婆さんからも、颯爽と歩くサーラからも、寄り道いっぱいのペッタからも、それぞれの一歩からそれぞれの景色が立ち現れ、彼らの世界が出来上がっていった。

うんざりバスの運転手は、一人一人の一歩から浮かび上がるそれぞれの世界を見つめて悦に入った。「これだから、このバスの運転手はやめられない」と思いながら、運転手はバスの出入り口のドアを閉めて、バスを発車させた。

「さて、次はどこに行こうかな」

バスは大きく転回すると、うんざりするほどのろのろとぼんやりと、四人の乗客が歩いていた方向とは別の方へ向かって走り始めた。その行先は、運転手以外誰にもわからない。もしかしたら、次にうんざりバスがやってくるのは、あなたの街かもしれない。




今週は、そんなキンボです。





こじょうゆうや

あたたかいサポートのおかげで、のびのびと執筆できております。 よりよい作品を通して、御礼をさせていただきますね。 心からの感謝と愛をぎゅうぎゅう詰めにこめて。