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感覚的に、創造的に考える ー世界創造大工を雇おうー


以前、創造的思考について、星の坊主さまのHPで書かせていただきましたが、それをもう少しだけ、というかもっと細かくより深く、書いてゆきたいと思います。

思考のこと、できるかぎり軽やかに仕上げますね。スカスカじゃなく、ぎゅうぎゅうふわふわ、なパンをイメージしようかしら。


ただいま、ぼくの脳内には志村けんさんの「だいじょうぶだぁ」がこだましています。あくまでも個人的感覚ですが、彼が伝えたいのはそういうことだし、ぼくもまったく同じ気持ちです。慎んでご冥福をお祈りいたします。


感覚的に考える、というとどんな風に思われるでしょうか。

感覚、というと目や耳や鼻、舌、肌(皮膚)などで感じる「五感」が、まずイメージできるでしょう。
インスピレーションをとらえる「第六感」も、感覚のひとつですね。

それ以外にも、細かく分ければ感覚は数えきれないくらいに存在している気がします。

ほとんどの人がそれぞれに様々な感覚を持ち合わせています。
抜きんでる場合もあれば、欠け落ちる場合もありますが、それは良いこと、悪いことのジャッジメントができないところです。

たとえばぼくは視力が弱いですが、それは別に良くも悪くもありません。あらゆる形で、ジャッジメントの世界とはおさらばしましょう。

感覚的な思考と感情的な思考


思考に関していえば、多くの場合、感情的に思考していることが多いように感じます。

ぼくの個人的な見方では、
感情的な思考は、主に過去に対する意識の焦点(フォーカス)が強く合っているなあ、という印象があります。

感覚的な思考は、絶えず今現在にフォーカスされているため、この点において、この二つの思考は決定的な違いがあるように思います。

「過去を創造する」と、言葉でとらえると、大きな矛盾を感じます。
過去単体を創造することは、道理にかなっていないのかもしれませんね。

ぼくたちが生きていること、
それは現在を創造していることと同じ意味を持ちます。

また、時間についてはまた別の機会におはなししようかと思いますが、個人的には、過去と未来はすべて、今現在という柔らかな瞬間に、優しく包まれているようなイメージがあります。

今この瞬間って、信じられないくらいに自由で、柔軟で、何のジャッジメントもない世界なんです。

となると、創造のチャンスが、まさに今現在にあること、なんとなくイメージがつきますでしょうか??


感覚的な思考は、現在という瞬間にフォーカスされていますから、より創造的な思考につながりやすいのです。

逆に、過去にフォーカスされた感情的な思考は、創造的に働かせようとしても、チグハグ感がすごくて、創造に至らない(むしろ破壊することもある)ことが多いように感じます。

ここで「じゃあ、感情的になるのは良くないんだ!」には、ならないようにどうかどうかお気をつけくださいませ。

そのジャッジメントを、今現在にくだしてしまうと、あらゆる感情の湧出を否定的に捉えてしまうことにつながりかねません。

そうなると、怒ってはいけないとか、泣いてはいけない、上手に笑えない世界が創造されていくことになってしまいます。

今一度、肯定否定、良し悪しのジャッジメントだけは、神経質になるくらいに見直していただけると、

より感覚的な思考に結びつきやすくなるんじゃないかなと思います。

感情は、素晴らしい表現のうちのひとつです。
どんな感情も等しく美しい芸術性を有しています。
そして、感情はより純粋な自分自身を見つけるための羅針盤(コンパス)でもあります。

ぜひぜひ、あらゆる感情を大切になさってくださいね。




感覚的に考えること



では、さっそく感覚的に考えてみましょう。

ただいま、信州佐久では梅の花が咲き誇る季節です。あたたかい地域ではもう桜が美しく咲いている頃合いでしょう。今は世界的に何かと自粛モードですが、自祝モードに変換しなおしてイメージ、もしくは行動にうつしてみてください。

たとえば、梅や桜を見たり、その匂いをかいだりしてみます。
そうやって感じた時に、同時に出てくる何かってありませんか?

この匂いをかぐと、あの頃のことを思い出すな。
この前食べたハチミツの香りにそっくりだ。
花びらの淡い色、好きだなあ。
そういえば、あのニュース、いったいどうなったんだ?

など、なんでもいいんです。
感じてみて、ふと出てくるものって、いろいろありますよね。

これが、感覚的な思考の一例です。
そして、それこそが、今現在のご自身がいらっしゃる世界です。



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となった方は、落ち着いて続きをご覧いただければ幸いです。

感覚的な思考は、同じものを、同じタイミングで見ても、
人によって、出てくるものは大なり小なり違いがあります(もちろん、仲良く一致する場合もあるでしょう)。

この違いに、ぼくはそれぞれの個性の美しさと愛を感じています。

感覚的な思考というものは、わりと一瞬の思考です。
流れ星的思考、瞬間的思考ともいえるかもしれません。

その思考は、
ご自身が今生きている世界の断片でもあり、世界の全貌でもあります。

言い換えますと、

ぼくたち自身の感覚的な思考とは、
ぼくたち自身が創っている世界を理解、把握するために、専用のカメラでパシャ!っと映し出したもの、なのです。

感覚的な思考で、ご自身が創造している世界を再確認できる、とも言えます。

なんとなく、イメージができましたでしょうか。

できるだけ、わかりやすくお伝えしたいという気持ちはありますが、
周波数を言葉に置き換えるのは、まだまだ不十分なことだらけですから、
今できるかぎりの、言葉のチョイスで、お伝えさせていただきますね。

では、続きに入ります。


創造的に考えること


感覚的な思考を通してわかったこと、これを最大限に活用します。

感覚的な思考をとらえた、次の瞬間には、
信じられないくらい矢継ぎ早に、また新たな今現在が訪れますが、
焦らず、ていねいに、のんびりと構えるくらいで、大丈夫です。

ひっきりなしに訪れる今この瞬間に、
感覚的な思考でとらえたものを活かして、創造してみてください。

「この匂いをかぐと、あの頃のことを思い出すな」を例にとりますが、
今からお伝えすることが完璧な答えではありません。
いろいろな受け取り方、感じ方があるため、あくまでぼく個人としての一例をお楽しみください。

みなさんはみなさんで、それぞれの受け取り方、感じ方、考え方を実践してくださいね。ぼくの一例は、絶対的な答えなどではなく、あくまでも、その人その人の宝探しのためのヒント、きっかけです。

みなさんがぼくと同じことをしても、みなさんのお宝には巡り合えませんから、そのあたりも、よくよくご注意くださいね。


では、「この匂いをかぐと、あの頃のことを思い出すな」と感じます。

なんとなくお気づきかと思いますが、この例、今現在を捉えたはずの感覚的な思考なのに、「過去を想起させる」「過去に意識が向こうとする」予感がぷんぷんとしますね。

だいたいこのあとに起こりうることは、過去回想という名の、過去温泉に浸かりにいく、という行為です。

(もちろんそれは悪いことではありません。ジャッジメント要注意!)

感覚的思考で捉えたものが、姿形を変えて、感情的思考になだれ込んでいくようなことは、ほんとうによく起こります。

もしここで、
「あれ、意識の焦点が今現在に合っていないのかも?」と思えたとします。

例えばそこで、
意識の焦点を今現在に合わせるためにエネルギーを注ぐことを選ぶと、
創造的な思考がどんどこ始まってゆきます。

どんどこ♪  どんどこ♪


創造的な思考は、個人差はあると思いますが、時間をたっぷり使うことができます。

「どうしようかな?」から「ああしてみよう」「こうしよう」にエネルギーが加わると拍車がかかって、ぐるぐる!とエネルギー量が増大していきます。

へんてこな例えをしますが、このエネルギー量の増大はある意味、
「自分世界創造事業のための資本金」として膨らんでいきます。

そうなるとその資本金は、自分世界創造事業に大きく貢献している、世界創造大工さんと呼べる存在たちを雇用する(活かす)ための重要な賃金になります。

ぼくたちの意図(創造的思考)をもとに、世界創造大工さんたちはえっせほいせと働きます。




世界創造大工の現場にて



「おい、ボスが新しい家をご希望なさってるぞ!」

「どんな家?」

「えーと、企画書を見ると、平屋で、安く借りることができて、水回りがキレイで、広い庭がついてるところがいいみたいだね。場合によっては、購入も考えるってよ」

「じゃあ、まずそんな家がボスの生活圏内にあるかリサーチしよう」

「うむ、あるにはあるな。でも売り物件だ。しかもけっこう高い」

「おいおい、ボスの通帳もちゃんとチェックしろよ。ボスがそんな高い家を買ったら、破産しちまうだろう」

「そうだな。じゃあやっぱり、賃貸だ。むむむ」

「おい見ろよ。ボスの生活圏内じゃないけど、ボスが好きそうなところがあるぞ!」

「お、ほんとうだ。この家は抜群にいいじゃないか。もしかしたら、ボスはこっちでも生活できるかもしれないな。そこもリサーチしてみよう」

「OK!えーっと。仕事は変わることになるけれど、ボスにとってはもっと働きやすくなりそうだなあ。かねてからボスがやりたいと思ってた活動をするにはちょうどいいかもしれないよ?」

「ボスが今の仕事をやめて、その活動に転向する確率はどうだ?」

「おおよそ80%の確率で転向。残り20%の方に転ぶことも考えられるが、今のボスの状態を考えれば、それはほぼありえないだろう」

「よし! それじゃあそっちの方向に世界を創っていこう! せっかく創るなら、ボスと仲良くなりそうな、この人とこの人の世界も合体させちゃうってのもおもしろいかもな!」

「あ、それいいねえ。賛成ーーーー!」

「そうと決まれば、さっそく創るか!工期は半年くらいかかるけど、ボスは耐えられそうか?」

「一年経ったら病気になっちゃいそうだけど、半年なら大丈夫そうだよ!」

「よおし! みんな、着工だー!!!」

「おおーーーーー!!!!!(大工一同)」


世界創造大工さんたちの連携って、ほんとうに完璧なんです。仕事はていねいだし、ある程度の未来まで、ボスのことをあれこれと考えてくれて、一番ベストな方向に向かって、世界を創造してくれます。そのときに、人間関係の構築まで担ってくれるわけですから、こんなに頼もしい人たちはいません。




世界創造大工に依頼しよう


ぼくたち、案外彼らのことを活かしていません。
いざってときだけ、彼らに注文をするケースが多い気がします。

ぼくらの思考が、感情的な思考のとき、彼らはほとんど働きません。
むしろ、創った世界が壊れていく様子を、「あーあ」と眺めて、
「ボスはいったい何をしたいんだろうか」などと話し合いながら、お茶をすすって、退屈しているようなイメージです。

感覚的な思考をもとに、創造的な思考を使い始めたら、彼らは腕まくりをして立ち上がって、ねじり鉢巻を勇しく巻きつけて、創造的思考が意図する企画書をもとに、世界の創造に向けて動き始めます。

いやっほーい!みたいなテンションで。

彼らは一瞬で動き、働き始めますが、
その際は、ボスの思考を十分に尊重し、考慮して、その工期を決めます。
そしてその工期は超がつくほど完璧です。

もしぼくたち自身が、
「◯◯をするならこれくらい時間がかかるな」とか
「今は貯金がないから、老後の楽しみかしら」という風に、
決めつけの思考(ジャッジメント)をしてしまうと、
彼らからしたらそれは、命令に等しいものになってしまいます。

「おい、老後でいいんだってよー!」って。

何度も言いますが、彼らの仕事、ていねいさ、そして工期は完璧です。
つまり、ぼくたちの、世界創造企画書がいちばん大切なのです。


さあ、みなさんにとってどんな世界がいいのでしょうか。
その企画書をどれだけ正確に書くことができるでしょうか。
その企画書の中身と、大工たちの仕事をどこまで信頼できるでしょうか。

ここまで話せばお分かりかと思いますが、
この企画書はみなさんご自身にしか作れません。(委託不可能!)

他者の意見は、みなさんご自身が企画書に書かない限り反映されませんし、
たとえ世界がどんな状況であろうとも、みなさんが企画書に書かなければ、絶対に反映されないのです。

企画書の作り方はなんでもいいです。(自由度抜群!)

ほんとうに企画書を書くように、紙に書いてもいいですし、
友人や家族に対して、声に出して高らかに宣言しまくるのもいいですし、
その対象は、飼い猫や飼い犬でも大丈夫ですし、
書き上げた企画書(物語)の中で生きるように、生活してもいいです。


とにもかくにも重要なのは、
創造的な思考を、遠慮なく、容赦なく、躊躇なく物質化する(外に出す)ことです。


そこに行き着くためには、
今現在の自分の世界を再確認するための、感覚的な思考をすること。
そして、それを活かして創造的な思考にエネルギーを注ぐことです。

スピリチュアルな部分も大切にして生きていきたい、という方だけでなく、昨今の世界でほんとうにたくさん見られるのは、無思考化です。

無思考に陥ると、なんだかよくわからないけれど、声が大きい人、声が強い人のところに、無意識に集まっていく傾向が見られます。

今の世界や社会、特に日本という国は、あんまり考えなくても、生きていける(かの)ように、システムが構築されています。
一見ラクそうなんですけど、自由度がなくなり、あらゆる柔軟性がなくなり、松果体が石灰化するように固定化するという、それってほんとうにラクなのかしら? という現状が、もうすでに巻き起こっています。

無意識に思考を放棄して、無思考化してゆくと、依存傾向が強まり、その深みにどんどこハマっていきます。

そこで「へいへい!ちょいと待ったーーーーー!!!」
というのが、こじょうゆうやがみなみなさまにお伝えしたいことです。

思考の放棄は、ご自身の世界の創造の放棄と、ご自身だけが使える素敵な魔法の放棄に等しいことです。

感覚的思考は、その人だけが感じ取れるとても特別な思考です。
創造的思考は、あらゆる人がご自身の世界を自由自在に創造するための、大切な思考です。

さあさ、世界創造大工の真の実力、とくとご覧あれ。
そのために、まずはぼくたちそれぞれの企画書を出しましょう(物質化)。

ぼくたちの本気度が試されますね。やりたい放題やりますよ、ぼくは。

そして、その世界はもう訪れてます。
キンボでもお伝えしている、「愛のチケット配布」「コロニャんボーナス」、すべては、自分自身で舵をとって夢世界を冒険するために起こっています。

そこまでを踏まえて、「だいじょうぶだあ」をみなさんにお伝えするために、今日のニュースがぼくたちの心に響いているのかもしれません。

このプレゼントは確実に受け取りましょう。
ぼくたちに今できることは、感謝とともに「受け取る」ことです。

では、ぼくは今から昼食をてんこ盛りでいただき、
世界創造大工さんと綿密な打ち合わせに入ります。
これも立派な自祝ですね。

みなさまにとっても、佳き午後となりますように。






こじょうゆうや
(photo by 小城弓子)

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