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読書感想文 遠藤周作「沈黙」

私がこの小説の素晴らしさを他人に伝えるならば、最推しポイントは冒頭の風景描写です。

ポルトガルから希望峰を回って、極東の日本まで、約400年前の船に乗って命懸けでたどり着いた宣教師の姿が、ありありとわかるように書かれています。

船に乗る人は現代社会では少ないでしょうし、ましてや汗と虫でまみれた船に乗ることは少ないと思います。途中寄港して泊まった宿の夜、蝋燭で灯りをともしながら日記をつけているときに、大きな虫が壁にいるのを見ることも少ないと思います。それにもかかわらず、その船中における不安や汗のベトつき具合をあたかも自分がその船で体験しているかのように描き出す筆力に、ほの暗い部屋の壁に指で丸をつくったくらいの大きさの黒い虫がいることを想像させる筆致に、脱帽してしまいました。文字だけでこんなに情景を掻き立ててくれたことに感動し、感謝しました。これだけで、この小説が評価されている理由がわかりました。

風景描写の中でたびたび出てくる表現で、冒頭の航海中の嵐の後にも描かれているのが、「乳色」の空という表現です。嵐の終わった後の明け方に乳色の空を見た、その景色は、フランシスコ・ザビエルだけでなく数々の宣教師が見た景色と同じだと、主人公の宣教師が確信するシーンです。嵐で船が沈みかかって、乗組員も宣教師もみんなで沈没を防ぐために奔走して、くたくたになった後の風景として、私にはすんなり受け入れられました。こんな風景は、私は見たことはありません。まして沈みかかる船でバケツを持って水の掃き出しに奔走したこともありません。それにもかかわらず、なぜでしょうか、頭の中には「乳色の空」が浮かぶのです。

この作品に対して、当時の宣教師の実態、特に日本人に与えた負の側面(寺社仏閣の破壊など)を書き出していないというコメントもあるようですが、純粋に読み物として読み応えがあります。この後も、その結末に至るまで、「私がその場所にいるような」感覚に包まれました。

ここで終わってもいいのですが、最近noteの記事でも書いたスピッツの「恋のうた」と、遠藤周作の「沈黙」の共通点を見つけたときに、さらに感動しました。
スピッツの「恋のうた」の歌詞にも、「ミルク色の細い道」と、「ミルク色」という色の表現があり、これは遠藤周作の「乳色」の空と同色ではありませんか!

この「恋のうた」がリリースされたのが1991年。対して、遠藤周作「沈黙」は1966年。時系列からしてスピッツの「恋のうた」は「沈黙」に影響を受けた作品である、と断定することはできるでしょうか。できない、なぜなら両者の表現から受ける印象が全く異なるから、というのが私の答えです。その理由を、私の主観100%で述べます。

そもそも、「乳色」と「ミルク色」では、読み手である私の受ける印象は異なります。私にとって、乳色は、どこかピンクがかっているオフホワイトですが、ミルク色はピンクのないオフホワイトです。
そして、「空」が乳色、つまりピンクがかったオフホワイトであるということは、太陽の影響で空の色がピンクがかっているのだろうと推測できるため、直感的に理解できます。しかし、空がミルク色、つまりピンクのない単なるオフホワイトであるというのは、どうにも理解できません。なぜなら、空がミルク色というのは、明るくなったときにみられるオフホワイト(夜が白けてきた、というときの雰囲気を想定しています)であるにもかかわらず、ピンクやオレンジといった太陽の影響を感じさせない色であって、矛盾するような気がするのです。夜が白けたときの空の色は、そんなに混じりっけのないオフホワイトではなかったはずだと思うのです。以上のような印象があるため、もし遠藤周作の「沈黙」において、宣教師が荒波をくぐり抜けた後に見た空の景色が「ミルク色」であったと仮定すると、私はあの作品の冒頭でそこまで惹き込まれることはなかったと思います。

対して、スピッツの「恋のうた」の「ミルク色の細い道」は、オフホワイトの細い道を想像します。私にとってそれは、周りが田んぼの緑で、細い道の両脇には電柱が何本も立っていて、互いを電線で繋いでいます。黄色と黒のシマシマの棒が、斜めに電柱に寄りかかっていてもいいかもしれません。細い道の両脇には排水溝があって、その細い道も排水溝に沿って砂利が積んであり、排水溝の外はなだらかになっていて、田んぼに繋がっている。道は車が一台分と少し通れる幅。その道は車に走られているところは砂利がないけれど、タイヤで押しよけられたように排水溝の手前に砂利が積まれている。そんなときに想像するその道の色は、乳色のようにピンクがかったものではなく、やっぱりオフホワイト、少し黄色がかった白であって欲しいと思うのです。

一つの作品の文字による表現で、風景について想像を巡らせることができ、それと似た表現との違いを意識することで、さらにその風景が鮮明になる。
そんな経験をした読書感想文でした。

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