父を送る(7) 入院
父親が入院するまでの間、ふとした瞬間に病院で見た父親の思ったより元気そうな歩き姿を何度も思い出した。本当に気管切開する必要があるのだろうか。検査しても何ともなかった、と言っていたのだから父親の息苦しさは数値としては何も表れていないはずだ。喉の違和感で苦しいように感じているだけなのではないだろうか。気管切開について何度もインターネットで情報を検索しながら疑問を抱え続けた。
だけど今更もうどうにもできない。父親は主治医をすっかり信用し切っている様子だし、今までろくに寄り付かず何もしてこなかった娘の私が急に口を挟んだって、実際に息苦しいと感じている父親は話を聞かないだろう。
この先どうなるのだろう。うっすらとした不安が胸に拡がり始めた。
父親が入院する前に弟へメッセージを送った。仲が悪い姉弟ではないが、連絡を取ったのは実に一年ぶりだった。父親が相続の話をしたがっていること。食道がんが再発して首周辺に拡がり、息苦しさを訴えていること。そのために気管切開の手術を受けること。気管切開のケアが必要になるのでその後は施設に入ること。事実を並べた後に、あんたはどうしたい?とメッセージを送った。ここまで病状が進んで弱っても父親は全く変わっていない。会うのはあまり勧められない、とも付け加えた。少しして弟から面倒臭いから会わない、死んだ後で手伝うことがあれば言ってくれ、と返事があった。分かった。と返してやりとりを終わらせた。
とうとう父親が入院する日が二日後に迫った週末、昼過ぎに父親から電話が来た。明後日から入院するから、手続きのこととか、そう言うのを書いたノートがあるから、それを家に置いておくから。と言われた。分かった、と答えて電話を切った。
数時間後に再度の電話。家の鍵と庭で飼っているメダカを馴染みの床屋さんに預かってもらって、家の風通しも頼んだから一度挨拶に行ってくれ、とのこと。再度分かった、と答えて床屋さんの電話番号を教えてもらい、電話を切った。
さらに数時間後、三度目の電話。今後のことについて家に書類を置いたから見てくれ、とまた同じことを言われる。少しうんざりしながら分かったよ、と答える。弟に連絡取ったか?と聞かれたが、なんと伝えるべきか決めきれていなかったので連絡したけど返事が無いよ、と答えた。そうか…あと何かあったかな…うん…大丈夫かな…とブツブツ言う父親にじゃぁね、と言って電話を切った。なんでこの期に及んでバタバタしているんだろう、この間私が家に行った時だって、今までだって、話をする機会は何度もあったのにと少しイライラした。
入院の付き添いに関しては特に要請が無かったので、入院すると聞いていた日はお互い特に連絡もなく過ぎていった。
まさか父親が近所の人に家の鍵を預けた上、中に入らなくちゃできない風通しまで頼んでしまうとは思わなかった。とにかく一度連絡してご挨拶しなくては。ただでさえ苦手な電話で、さらに父親の無理なお願いのフォローとあって大変に気が重かったが、そうも言っていられない。父親の入院から数日後、えいやと気合を入れて床屋さんに電話した。地名と苗字を伝えるとすぐに話が通じた。ご迷惑をお掛けして本当にすみません。と、とにかく平謝りする。いやいや、うちは大丈夫だけどね、と床屋さんは優しく言ってくれた。とにかく一度ご挨拶に伺いますので、と伝えて電話を終わらせた。電話した週の金曜日、会社帰りに百貨店へ立ち寄り、床屋さんに渡す手土産を見繕った。少し悩んだが、まぁお年寄りだし分かりやすいものが良かろうとちょっといい緑茶の缶を購入。翌日の土曜日、手土産を携えながら無人になった実家へと向かった。
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