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届けるということ

私は子供の頃からトロくて鈍い。小学校一年生まで補助輪を外した自転車には乗られなかったし、お箸を正しく持てるようになったのは中学3年生になってからで、三十歳を過ぎた頃に水泳の息継ぎを習得した。
なんていうか、頭の中に入った情報を「こういうことか!」と理解して体感まで落とし込むのに時間がかかる。それは身体を使った話に限らず、感情とかも同じで、自分でやってみないとちゃんと「分かる」ことができない。

本を作って文学フリマで売ると決めた時、夫にお前は本を作るということがどういうことなのか何も分かっちゃいない、というような主旨でわりとボロクソに言われた。分かるってなにさ、やりたいことやって何が悪いのさ、と思っていた。

私のお誘いで初めて文学フリマに参加したまんぷくたぬきちゃんは、本が初めて売れた時、自分の作ったものが見知らぬ人の家に置かれるなんて…!!と少しの恐れとたくさんの喜びに打ち震えていた。その様子を見て、夫が言っていたことの端っこがうすらぼんやり分かったような気がした。自分の作ったもの、すなわち、自分の一部とも言えるものが他所様の生活スペースに在り続けることになるのだ、と。なるほどそれは割とすごいことかもしれないですね、と少し思った。

三度目の文学フリマ出店が終わり、ありがたいことにぽつりぽつりと通販で本が買われていく中、twitter(今はX)で私の本を通販で買って読んだ、というpostが目に飛び込んできた。postの主は夫の相互フォローの方で、私とはお名前を見知っているというくらいの距離感にいた。noteの記事を読んでいただいていることも全然知らなかった。
もしかしたら何かを書いて外に出すって、自分が見えている範囲以上に拡がって届くものなのか…?と、ここまで来て初めて実感を伴って理解することができた。遅い。

そして先日は、会場でお買いげ下さった方が読了後の感想をtwitter(今はX)にpostしてくださった。

しんどいと思いつつそれでも伝えたいことがあって書いたもので誰かの心が動いた。自分の思いが、自分の作ったもので通じた。こんなに有り難いことがあるだろうか。嬉しくて涙が出た。

そういえば小学校に入ったばかりの頃、演劇鑑賞会という催しがあった。体育館にプロの劇団を呼んで「さよならトンキー」という戦時中の動物園の劇を鑑賞させられたのだけれど、生まれて初めて演劇を観た私は、その劇を通じて生まれて初めて戦争の惨さを感じて涙した。そして、私もこの人たちみたいに自分が動くことで人の心を動かしたい、と憧れたのだった。結局演劇は中学校で辞めてしまったけれど。
今、それが叶っている。少し形は違うけれど、自分が動いて作ったもので人の心を動かしている。大変なことですよこれは。

畏れ多くてしあわせ。これからも書き散らしていくぞ私は。




お知らせです

文学フリマ東京37で販売した本を通販します

ご好評いただいた「父を送る」も通販します。急ぎ追加の印刷を発注していますので、11月25日ごろの発送予定です。申し訳ありませんが少しお待ちください。既刊は在庫があるのですぐ発送できます。良かったらご検討ください。

kindleでも購入できます

kindleにはこれまで販売したすべての作品をあげています。原価かからないので紙版より少しお得です。よかったら覗いてみてください。

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twitterの人に「ブログでやれ」って言われないようにアカウント作りました。違うブログで台湾旅行や入院や手術に関してお役立ち情報書いてます。よかったら見てください。 http://www.ribbons-and-laces-and-sweet-pretty-faces.site