父を送る(3) 訪問
遠出した翌週、父親に電話を掛けて実家に向かった。悪いけど迎えに行けないから、と言いかける父親の掠れ声を遮って分かってるよ自分で向かうつもりだよと返し、駅前のコンビニでとにかく食べられそうなものを手に取った。お茶、ポカリ、ゼリー状の栄養ドリンク、温めるだけのお粥…こんなもんだろう。
暑い日だった。コンビニのビニル袋の手さげ部分が腕に食い込むくらいの大きさになった荷物を抱えながらふぅふぅとバスに乗り、最寄りのバス停で降りて五分ほど歩き実家に着いた。持っている合鍵でさっさと玄関を開ける。居間に入ると、父親はリクライニング式の一人掛けソファに埋もれるように座っていた。想像を超えた具合の悪そうな様子と痩せっぷりにほんの一瞬言葉が詰まった。すごい痩せちゃってるじゃん、と言う私に、誤嚥が怖いから何も食べられないんだ、と父親が答えた。結局息苦しい原因は分からずじまいで、とにかくまた来月通院してその時に相談する、という。声の掠れはますます酷くなっていて、普通に会話しているだけなのに肩が大きく上下していた。立とうとする父親を制し、買ってきたものを大きな声で説明しながら冷蔵庫などにしまう。一通り片付け終わり、いつの間にかソファから移動して何やら書類の束を持って畳の上に座り込んでいる父親のそばに行くと、父親が改まった顔でそれでな、と言った。
俺がいなくなったら、絶対にあの泥棒が来るから。あの泥棒がやった悪事は全部ここに残してあるんだ。あの女は、俺の稼いだ金を何十年もの間抜き出して自分のところに貯め混んでいたんだ。年収が一千万もあったのに、あの女に全部持って行かれた。消費者金融に手を出していやがって。ほら、ここに明細が全部残っているだろう。
目の前にあるはずの父親の顔が遠ざかっていった。今後の様々な手続きとか、終活として言っておきたいこと、みたいな話を覚悟していた私の心は静かに急速に冷えていった。
父親があの泥棒とかあの女と呼んでいるのは離婚した元妻、つまり私の母のことだ。別れて二十年経つ今でも父親は母を憎んでいた。自分を省みることは一切無く、悪いのは全て母だと信じて疑わなかった。父親の中で母は、結婚している間中ずっと父親の給料を母自身のへそくりとして貯め続け、定年間近になり稼げなくなった瞬間トンズラした泥棒ということになっていた。そして私が実家に帰るたび、この恨み節を私に滔々と聞かせるのだった。自分が死んだらきっとこの家や財産まで盗りに来るから用心しろという忠告にかこつけて。自分のへそくりがある人がなぜ消費者金融に手を出していたのか。いくら年収が一千万円あったとしても、結婚後も給与から天引きされる会社の貯蓄制度を続け、さらに月に一〜二度は必ず釣りだゴルフだと出かけるたび十万単位のお金を母から受け取っていたら残りがいくらになるのか。などなど数々の矛盾は父の中にはカケラも存在せず、離婚してから二十年、ただただ母への怨念を募らせ、ひたすら私にぶつけ続けた。この恨み節には時に、夫婦喧嘩すると私が泣くから何もできなかった、や、本当なら母がやりくりして出すはずの私の進学費用も結局父親の貯金から出すことになって定年退職後の都会に引っ越す計画が頓挫した、など私に負い目を感じさせたがっているようなエピソードも挟まれる。最初のうちは反論したり嫌悪感を露わに出していた私も、父親が食道がんの手術をした頃から何も言わず受け止めるようになった。残された時間の少ない老人が握りしめている『真実』の答え合わせにどんな意味があるのか。父親の思う通りにさせよう。反論したりして父親と険悪になったらきっと私は父親の死後に後悔するだろう。自分が後悔しないためだ。そう割り切ったつもりで黙って聞いていても、この歳になってまで親の離婚話を当の本人から繰り返し思い出させられ、しかも私にまで非があるかのような言葉を浴びるのはしんどかった。否定も肯定もせずただ黙ること、できるだけ父親と接触する時間を減らすことが私にできる精一杯だった。
父親がこの後に及んで伝えたいことは相続のことでも墓の世話でも最期の迎え方でもなかった。掠れた声でゼエゼエと息を切らしながら、それでも止まることなく恨み言を吐き続ける父親から目を逸らし、畳をぼんやり見つめて時が過ぎるのを待った。
しばらく続いた恨み言の後に、おまえ弟とは連絡取っているのかと聞かれた。最近は取っていないけど取ろうと思えば取れるよ、と答える。そうか、一度あいつとも話をしないといけないから連絡を取ってくれ、と言われた。あいつが長男だから、うちを継ぐつもりがあるならこの家をあいつに渡したりしなくちゃならないだろうし、墓のこともあるから。だけどあの泥棒に洗脳されてるからな、なんていうか。
高校を中退して家を飛び出した弟のことも父親の中では悪いのは全て元妻である私の母親で、弟は母親による洗脳で父親を憎んでしまったことになっていた。また恨み言が始まる前に分かった、連絡するよと答えて他にはないね?と念を押してからそろそろ帰るよ、と話を切り上げた。帰り支度を始める私を見守りながら父親がおまえ車は運転できるのか?と聞いてきた。いや、全然してないよ。なんで?と返すと、メシでも食いに行こうと思ったんだけど…と言われたのでまだコロナが怖いからごはんはいいよ、と答えてじゃぁまた、お大事にねと言い残し、そそくさと帰った。疲れた。
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