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父を送る(16) 退院

一応叔母にもLINEで退院日を共有しておいた。叔母から分かりました、という返事とあわせてお父さんに言われて洗濯物を引き取ったので後日お渡ししますという連絡事項が書かれていた。私が断った洗濯物を叔母に取りに来させたらしい。あの爺。

父親の退院日当日。週末に実家から持って来た父親の着替えや、買いそろえた施設の入居に必要なこまごまとした雑貨を手に、大荷物で始発の電車に乗って病院へと向かった。父親が入院した頃は真夏のさなかだった。退院までに着替えが必要なほど季節が変わってしまうとは考えてもいなかった。
まだ外は暗い。今にも振り出しそうな曇り空で肌寒かった。駅までの道を歩きながら自分の覚悟を頭の中でなぞる。もし病院から実家に戻った父親がそのまま施設に行こうとしなければ、好きにしたら良いよ、私はもう何もしないからと言って父親を置いて実家を出る。そして二度と父親には会わない。

電車は順調に動いて父親に言われた通り早めに病院に着くことができた。受付で今日退院する●●の娘です、と名乗ると入院病棟まで行ってください、と案内された。コロナウィルスの感染拡大防止で入院中は決して入ることが許されなかった病棟に退院の時だけあっさりと入ることができる。それが返って見捨てられるようで心細かった。

指示された病棟まで進み、病棟の受付で再度名乗る。受付の方がどこかに電話をかけてから私に向かって今、忘れ物がないか確認しているのでロビーでお待ちくださいね、と目の前のテーブルと椅子が並べられているスペースに目を向けて言ってくれた。それじゃ…と持って来た着替えを受付の方に預けてから手近な椅子に座った。五分位待っただろうか。正面奥の方の出入り口から入院患者らしき人が出てきて、受付の中に声を掛けた。そのまましばらく話しているな…と見るともなしに眺めていたら、話し終わった入院患者らしき人は、こちらに向かってゆっくりと近づいてきた。

父親だった。あの状態からまだ痩せるところがあったのかと衝撃を受けるほど骨と皮だけになっていて、首の真ん中あたりにガーゼに包まれた丸い筒が見えた。およそ三か月ぶりに再会した父親は、よく見なければ父親だと分からないくらいに変わり果てていて、どこからどう見ても『病人』で『老人』だった。

父親の姿を見た瞬間、この一か月ほど心のうちで温め続けてきた『場合によっては父親と縁を切る』という覚悟はあとかたもなく消え去ってしまった。この時、べつに私は子供の頃を思い出したりしたわけでは全く無い。それでも、これまで父親から注がれた愛が私の根底から地鳴りを立てて突きあがり、大きな円柱のようにそびえ立ち、悟ってしまった。私は、この人を捨てられない。

よっしゃ任せろ。私がちゃんと最後まで面倒を看たる。
あっという間に真逆の覚悟が強固に固まってしまった。愛は呪いだ。

父親は、私の座っていたテーブルに近づくと向かい側に座った。父親の後ろから歩いてきた病院のスタッフが薬の説明をしてくれた。説明が終わると施設に渡してください、と書類を手渡されて手続きは終わった。じゃぁ行こうか、と言って父親の荷物を持って立ち上がり、エレベーターに乗った。大荷物の私を見た父親が自分でカバン持つよ、と言ったがいいからいいから、と遮って出口に向かった。頭がくらくらする、と言う父親にゆっくりで良いよ、と声を掛けながら父親の歩幅にあわせて歩き、病院の玄関前で客待ちしていたタクシーに乗り込んだ。




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