創世記1章31節〜2章3節 御国を来らせたまえ②「もういくつ寝ると、安息日。」 2022.6.26 守谷キリスト教会礼拝説教
今回と次回の2回は、
安息日についての説教を取り継ぎます。
日本社会にあっては、
週に何日かが休みであることが定着しています。
これは日本に元々あった習慣ではなく、
明治の初期に
キリスト教とセットで輸入された文化です。
そのルーツは創世記の箇所にまで遡ることができます。
1章では第六日まで神の創造のわざが続きました。
続く2章からの第七日の特徴は2つあります。
一つは、創造のわざが完成したこと。
もう一つは、なさっていたわざをやめられたこと(次回扱います)です。
第七日については、
他の日のように
「夕があり、朝があった〜」という記述がありません。
これは、
神の安息日である第七日は
世界の基が据えられたときにすでに完成し(ヘブル4:3-5)、
今日に至るまで続いているということです。
神が創造されたのは、
神と人間、
男性と女性、
そして人間と被造物
それぞれの関係が
互いに調和し合った良い世界です。
神は、
神ご自身が楽しまれている安息を
人と分かち合うために、
安息日を造られました。
だから安息日は、
神様が人間に与えてくださったプレゼントです(マルコ2:27)。
しかし罪が入ってきたことにより、
人間は神の安息から出てしまいました。
安息に連れ戻すために、
神はもうひとつのわざを完成されました。
それがイエス様を通してなされた救いのわざです(ヨハネ19:30)。
イエス様は安息日の日をあえて選ばれて、
病や身体の不自由さを癒されました。
神の安息が完成している天においては、
病や飢えは存在しないからです。
それらを、
イエス様は十字架へと背負っていかれました。
だからこそ、
私たちは週に一度の安息日へ、
「神のために何かをする日」としてではなく、
「神と共に被造物を楽しむ日」として、
招かれているのです。
やがて完成する神の国で、
私たちが受け継ぐ祝福がどのようなものか、
その前味を味わう一日として、
安息日を喜んで待ち望んでいますか?
安息日を楽しむあなたを通して、
神の国がさらに広げられますように。
【思い巡らしのために】
1. 安息日の祝福を家族や友人と分かち合うために、
どのような工夫ができそうですか?
2.あなたにとって、喜びや満足を与えてくれるものはなんですか?
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