役を生きる演技の3ステップ 全ての謎が解けた夜 世界で一番やさしいスタニスラフスキー・システム⑪
生きている実感 感情の原因
「では、役を生きる根幹とは何か?答え合わせをしましょう」
「はい、その三つの円の中心に入るのは目的だと思います!私は今、「演技を再び好きになりたい」という自分の目的を達成したくてここに居るんだと思います」
「すばらしい!その通りです!」
「そして、その目的を達成したいとの想いは、実はあの電車でココの看板を見つける前から私の内面に既にあったのだと思います」
「私もそうだと思います」
「はい、だからこそ、つい看板が目に留まり、それまでとは違う反応をしたんだと思います」
「そうです!目的を持つと世界の見え方が自然と違ってしまうのです」
「はい、だからこそ、私は不気味だとか、止めようと何度か感じたにも関わらずここの階段を登れたんですね」
「そうですね。その目的がなければ違う選択をしていたかもしれませんね」
「そして、目的を達成するために、先生の言動は意味不明だなと感じつつも、先生との関係をなるべく友好的にしたかった私は、自分の思考や感情を見て見ぬふりをするという努力をさえしていました」
「鋭い!」
「はい、自分の感情に反して私はどこかで自分に言い聞かせていました「そんなはずない、私の感覚がきっとおかしいのだ。この先生は演技を教える名人として有名な先生なんだ」と…」
「申し訳なかったです…」
「その努力の結果が、「きっと自分が聞き間違えたのだ」と変に気をまわした妙な会話だったのだと思います」
「その通りだと思います。恐怖にも似た感情を乗り越えてでも目的達成を優先したのがあの時のあなたです」
「はい!」
「ところが、逆にその感情を味わおうとしていたのがテイク2のあなたです。その二人が発する雰囲気や存在感は決定的に違いましたね」
「なるほど、感情は同じようなモノを感じられているとは思っていましたが、感じること自体をゴールとしているのか、むしろ感情はゴールへの到達を邪魔する障害として乗り越えようと努力しているのか…全くやっていることが違いますね」
「そうです、役を演じるのかそれとも役を生きるのかはそこが違うのです!」
「はい!テイク1は先生の言葉やしぐさ一つに様々な感情や感覚や思考がとめどなく溢れてきたのに、テイク2は先生の言葉や動きは単に切っ掛けに過ぎず感情もなんだか絞り出す感じでした。まさに目的こそが生きている実感、感情の原因なのですね」
「しかし、より正確に言うならば、単に目的があるだけではなく、あなたが、それを達成するために行動している事が最も重要なのです」
「行動?」
「はい、あなたはただ答えが知りたくて聞いているのでも、座っているのでもなく、そこであなたの人生における大切な目的を達成するために今もそこで行動しているのです」
行動することが役を生きる根幹
「私は今、行動している…」
「そうです、目的があり、それを達成しようと努力や犠牲を払って行動するからこそ、その結果に喜んだり、悲しんだり、焦ったりと、感情がつい生まれてきてしまうのです」
「そうか、私は今行動しているのですね」
「そうです、その目的にそった行動をしているからこそ、もし、仮に私が非常に面白い話をしても、それが演技に全く関係の無い話だとすれば?」
「延々と続けば自然と失望が生まれると思います」
「ですね、では、地味だったとしても、それが演技力向上に有益な話であれば?」
「つい、夢中になって耳を傾けるでしょうし、感動も自然と起きるかもしれません」
「どんな反応があなたに起きるかは何が起きるか?ではなく、あなたが何を目的にしているか次第ですよね」
「はい」
「ところが多くの俳優は結果としての感情に着目してそれを表現するために聴いてしまうのです。これが周囲との関係性から切り離されて創り出されたリンゴです」
「私もついやってしまっています」
「はい、本来、俳優が問わなければならないのは「役はどんな感情なのか?」ではなく、それらが生じてしまうのは「役の人物が何を目的に行動しているからなのか?」なのです」
「大変な問いかけですが、人間の本質をついている気がします」
「はい、あなた自身もそうだったように、時に役の人物さえも自分の目的を自覚できていないことが多いのです」
「だと思います」
「私たち俳優は目に見えている表面上の感情や言葉をヒントにそれらが生まれてきた原因である目的や行動という、たいてい目には見えないモノに関心を寄せ洞察力や想像力を働かせる必要があるのです」
「私もこれまで演技には目的を知ることが大事だと知っていたはずなのですが、「返事を聞かせて欲しい」とか「この想いを知って欲しい」とか、セリフを聞けば分かる事をわざわざ改めて言葉にすることに馬鹿馬鹿しささえ感じてしまってキッチリと実践できていませんでした」
「単に分析のための分析に終始してしまう人も多いですね」
「はい、なんとなく、立ち稽古前の形骸化した儀式っぽくてあまり意味を感じられていませんでした…」
「役を生きる演技に行動分析は欠かせませんが、本当に上手く機能させるにはいくつかの秘訣があります。これもおいおい丁寧にトレーニングしていきましょう」
「はい!でも、私は本来は最も外してはいけない準備を外していたのですね」
「そうですね、目的を丁寧に見つけて、そのために行動をするからこそ、役の人物の感情も思考も感覚も自然に生じてしまうのを経験できるのです」
「役の人物の感情、感覚、思考…」
「ところが、多くの俳優が間違えてしまうのが、役の目的ではなく、俳優の目的を達成しようとしてしまうことです」
「俳優の目的?…」
「失敗したくない、感情表現したい、演出に応えたい、素晴らしい作品だと伝えたい、今面白い場面ですよと伝えたい!」
「ええ」
「それぞれ素晴らしい目的かもしれません、しかし、これらは全て俳優の目的です。俳優なら自然と誰もがそれを願うでしょうが役の目的ではありません」
「むしろ、それらの俳優の目的を達成するためにこそ、その第一義的な欲求を超えて役の目的を達成することに集中しなければならないのです」
「私は長いあいだ、その違いにモヤモヤしていたのだと思います。真剣に取り組んでいましたし、集中もリラックスもしている。セリフも動きも間違えていない…でも何かが違うと感じていました」
「リラックスも集中も何のためにするのかがずれていれば意味がありませんよね」
「はい、完全に分かりました。テイク1の私は、私という役の人物の目的を達成するために行動しましたが、テイク2の時は俳優の目的を必死に達成しようと行動していたという事ですね」
「はい、その通りです!」
「結果的に、私が最も避けたかった演技だったかもしれません…感情は自家発電で取って付けたような感じでしたし、生きているというよりは頭で段取りを追っているような感じでした」
「行動の真贋を見極めるのはかなりのベテラン俳優でも自力では中々気づけない繊細な能力が必要です。しかし、訓練や教育で伸ばしていいける能力です」
「教育や訓練で伸ばせるのですね…」
「俳優は英語でなんと言いますか?」
「アクター(actor)です」
「そうです。俳優とは行動する人。つまり、俳優は行動の専門家なのです。俳優教育とは行動についての技能、感覚、知識、洞察力、想像力を伸ばすことにほかなりません」
「繰り返します。役を生きる根幹は「役の目的を達成するために行動することです」
先生はクエスチョンマークの場所に「行動」と書いた。そして、役の目的を達成するためにと付け加えた。
役を生きる3ステップ
「役に生まれ変わるには3つのステップがあります」
「例えばハムレットの目的を知ってあげる。戯曲を読み、ああかな、こうかなと…そして、例えばですが「そうか!父親の復讐を果たしこの世のねじれを正したいのだ!」と先ずは知ってあげる必要があります」
「そして、頭だけの理解ではなく、心から共感する必要があります」
「共感ですか…」
「はい、自分でも同じことするかも…と実感できるまで、役の状況を掘り下げます」
「なるほど…」
「そして、「ああ、そんな事があったのか、君の痛みをまるで私の痛みのように感じる!私も君と同じ事をするかもしれない!」と共感できたのであれば…」
「はい…」
「ハムレットは紙の中の人物です。行動できません。誰が行動するべきですか?」
「…私です!」
「そうです!役の目的を達成するために、私が、今、ココで役に成り代わって、舞台に進み出る。役の目的を他人事ではなく自分事として行動する。それが役を生きるという事なのです」
役の目的を達成するために舞台に上がり行動する…ああ、…恥かしいことに、私は長らく上手な演技をするために舞台に上がっていたのかもしれない…
「目的を達成するためには、乱れた心を整えなければならない。それが有名なモノローグでしょう。敵を欺くために気が狂ったフリをしなければならない。これがオフィーリアに悪態をつく悲劇の場面でしょう」
「これらは全て大きな目的を達成するために必要な小さな目的です」
「それぞれの場面で目的が達成されれば、喜びが、失敗すれば焦りが、裏切り者が出現すれば屈辱が…と、目的があって行動するからこそハムレットが感じるであろう、感情、感覚、思考があなたの内面からつい生じてしまうのです」
「もちろん、頭で理解することと実際にこれらのステップ使いこなせるようになることは全く別の次元の話です」
「この3ステップのそれぞれの精度を高めていく訓練を考案し洗練させたのがスタニスラフスキー・システムなのです」
視野がスッキリした。
こんなにもシンプルな事だったんだ!
でも、私はどこかでホッとするとともに、次から次へと湧き出てくる新たな疑問の出現にも抗えずにいた…
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