ヴァーニャ伯父さんは目的を見失ったが目的が無いわけでは無い!世界で一番やさしいスタニスラフスキー・システム⑫
行動が感情の原因
「行動が感情の原因というのがスゴク良くわかりました。役の目的を達成するのに夢中になっていると、五感も鋭敏になって、自意識も希薄になるかもしれませんし、つい役になりきってしまうのではと、早く試してみたいです」
「良かったです!」
「実人生でもそうですが、目的を見失うと感情や五感も鈍感になって、生きている実感を感じられませんでしたし…」
「ただし、自分の自覚できる目的を見失っただけで、生きている限り何らかの目的は必ず持っています。だから、あなたには看板が目に入ったし即座に行動できたはずです」
「脱線するかもですが、例えばヴァーニャ伯父さんみたいに絶望している人もですか?」
「チェーホフが好きなんですか?」
「はい、何冊か読んでますし、舞台も数回は…」
「どんな場合であっても、私たちが問わなければならないのはやはり目的です。誰にでも例外なく目的があります」
「例外なく…でも、絶望した人って目的を失った人ですよね?」
「今まで価値あると思っていた目的を見失っただけです。「絶望した人は何を目的に生きているのだろう?」と問うのが俳優なのです」
「絶望した人は何を目的に生きているのだろう?」
「そうです、ヴァーニャ伯父さんを良く良く思い出してみてください、彼が非常にアグレッシブなのが分かるはずです」
「そうでしたか…?」
「彼は他人の奥さんに言い寄ったり、教祖に銃を向けたりするんですよ。これが何も目的を持たずに出来ることだと思いますか?少なくとも私よりはずっと能動的ですアハハ!」
「確かに…」
「単純に言えば、目的ある人生をお前から取り戻したい、人生に復讐したい、悪いのは俺ではないと皆に証明したい!などいくらでも仮説は出てきます」
「なるほど、なんだかどれも面白そうですね」
「どれでも良いので何か一つ目的を持って読み返してみて下さい。彼の全てのセリフの響きが違って聞こえてくるはずです」
「チェーホフもそうやって読むと楽しそうですね」
身体的行動分析とは
「実際にはこれらの仮説を身体を動かして試しつつ、何が一番機能するかを検証するのが本当の行動分析なのです。テーブル稽古でするのではなく、本来は行動でする戯曲分析が行動分析なのです」
「分析の仕方も有機的なのですね。目的を明確にする作業は思ってた以上に重要ですし、とても楽しそうですね!」
「リンゴの樹でいうと太陽ですね。いかに、そこへ到達したい!と手を伸ばしたくなるような目的を設定できるかがとても重要です」
「すると、土はなんでしょう?」
「目的が生まれた動機ですね」
「そして、幹が行動という事ですね」
「はい、その通りです、他人の欲求をいかに自分のモノにするか、いかに正確に行動するか、目的がいかに具体的であるかがいずれ大きなポイントになってきます」
「いずれ明らかになりますが、より詳しく3ステップを解説するとこうなります。
人格とは目的
「何か質問がありますか?」
「生きている証、感情の原因というのは分かったのですが、人格や関心の中心というのがまだぼんやりしています」
「あなたが、私を警戒したのは私の目的が分からなくなったからでは無かったですか?その時に私の人格を疑ったはずですよね?」
「…そうです、この人の目的は実は演技を教える事ではないんだ…別に有るのかもしれない…と感じた時に最も恐怖を感じたかもしれません」
「もし、あなたがこれまでに「この人の事がよ~く分かった!」と見限ったことが有るのなら、その時の事を思い出してください」
「はい…」
「いずれも、その人の本当の目的がうかがい知れた時のはずです」
色々と対人関係で失望したときの事を思い浮かべていた…
なんだ、綺麗ごと言ってたけど結局は、お金が目的だったのか…
なんだ、優しくしてくれたけど、優越感を感じる事が目的だったのか…
同じ運命を感じてくれていると思い込んでたけど、遊び目的だったのか…
「なるほど…知らず知らずのうちに目的に気づいていたんですね…」
「実人生においても結局、その人が何者なのかは、その人がどんな目的を持っているかにかかっています」
「確かにそうですね、私たちはその人物の人格を行動で判断していたんですね。」
「恐らく、以下の二人をそれぞれ比べるなら同じ容姿、同じ言動をしていても、どこか雰囲気が違うでしょう」
本当に国を良くすることが目的の政治家
既得権益を手放さないことが目的の政治家
患者の喜ぶ顔を見る事が目的の医者
利益を最大化することが目的の医者
園児に世界の素晴らしさを伝える事が目的の保育士
園児を支配することが目的の保育士
「そして、普段は見分けがつかなかったとしても、何かが起きた時、つい選択する行動、ふと思いつく思考などが全く違うはずなのはイメージできるはずです」
「そうですね。とっさの言動でその人物の本当の人となりが見えてしまうものです」
「とっさの反応は意志では選択できません、しかし、目的は意志でコントロールできるので役作りにおいても、実人生においても人格の選択は可能なのです」
「すると、とっさの反応も間接的にコントロールできる範囲に入れる事ができるということですね」
「そういうことですね。私ならやらないと思う役の人物のリアクションも、わざとらしくリアクションするのではなく、自然と起きてしまうようにできるのです」
「納得しました」
「役を理解するのに長ったらしい履歴書は必要ありません。その人は何を目的にしているのか?そして、その動機を持つに至った事件がせいぜい7つもあれば十分です」
「7つですか…」
「事件の説明は別の機会にしますが、それを知れば7つはむしろ多いと思うはずです」
「では、いよいよ、簡単な実践に入り、無意識の操作方法を試してもらいたいのですが、まだ、観客の感動・関心の中心のお話しが残っていましたね」
「はい」
「非常に重要なお話しですのでこれを欠かすわけにはいかないのでもうしばらく我慢してください」
「はい」
「さて、行動は人間にしかできません…と言ったらあなたはどう思いますか?」
どういうことだろう?
私には…例えば犬には行動できる気がする…。
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