【行政書士試験失敗記】7話 国家資格勉強における勉強効率と勉強量における個人的な実感について長々と語る私はもうダメかもしれない。
この失敗記を書き続けてもうすぐ1ヶ月を迎えようとしている。
自分が生んだ創作物というものが世間様にどういった反応をいただけているのかは誰だって気になるもので、私も例外ではない。
ちょくちょくとビュー数などを確認しながら一人でほくそ笑む私は、世間から見ればそれなりに気持ちの悪い部類に入ると思う。
ありがたいことにこの記事を見ていただけている方は多いようで嬉しい。
前置きはここまでにしておこう。 本題に入る。
いきなりで申し訳ないが私はいわゆる効率厨である。
作業を与えられればすぐに取り掛かるようなことはせず、いかに効率良く作業できるかを考えるのが好きだ。
単純作業でもどれだけ各工程を省けるかを考えるのが大好きなのだ。作業を細分化し、分析して要らないものをそぎ落とし、同時にできるものを見つけ、空白の時間があればそれを埋められるものは無いかと苦心する。
その結果、1秒短縮できれば、心の中でニマニマする変態なのだ。
私は無駄な工程が大嫌いなのである。
全ての作業がその個々の専門性を廃し、誰にでもできるよう平準化するべきであると考えるし、全ての作業にはマニュアルを完備することが最低限必要だと考える。
作業の見直しを全く考えず、いたずらに長時間労働を繰り返している職場があれば、なんというか背中が痒くなる。
まぁ、私にはとやかく言う権限があるはずもないのでその痒みに苦い顔で耐えるだけなのだが。
繰り返す。私は効率厨である。
それは勉強の点においても同様のことである。
だから私は失敗したのだと今なら言える。
勉強の質と量について皆さんはどう考えるだろうか。
どの受験生もまずは効率のいい勉強を目指す。つまり質を上げることを目指す。効率のいい勉強をすれば短期間で合格点に届き、少ない労力で試験を突破することができるからだ。
究極目指すところと言えば、一度参考書を一周すれば合格点に届く知識を手に入れること。これなんじゃないだろうか。しかし、それができるのであれば苦労はしない。
それができるのであればその人にはもっと高いところを目指して欲しい。あなたの力が世界には必要だ。
つまるところ、凡人の私には到底できない。
ならばできる限り無駄の少ない勉強方法を確立し、少ない時間で知識を得るためにどうすればいいのか、頭を悩ませることになる。
ではどうするのか。私の場合は「勉強法」の勉強に傾倒した。
以前にも紹介したことのある「ポモドーロテクニック」に始まり、脳の活性化を促す目的で立って勉強したり、それこそ先輩合格者がどのように勉強していたのか合格体験記を読み漁った。
暗記のために「書く」ことに着目し、万年筆で書き取りもしたし、記憶曲線に沿った暗記をするためにスマホに単語帳アプリを入れて暗記したりしてみた。
そうやって効率のいい勉強法を追い求め、日夜奔走していたのである。
がむしゃらに勉強法を勉強し、学んだ勉強法を実践するために勉強。
新しいテクニックがあればそれを試すために勉強。
暗記アプリがあると聞けばそれを購入して勉強。
とにかく勉強した。新しい方法を試すために勉強した。
その勉強の果てを進む途中であることに気が付いた。
これ、結局普通に勉強してるだけじゃない?
なんとも笑い話である。
効率を求めるつもりが、私はあれやこれやと試すために時間をかけて勉強していただけだった。
なんだったら効率のいい「勉強法」を勉強している時間を行政書士試験の勉強に使えよと自分自身にツッコミを入れる始末だ。
が、しかしだ。これで終わってしまったのならわざわざ文章に起こす必要はない。
この経験は私に勉強における質と量の問題を考えるきっかけとなった。
勉強の質と勉強の量。これは行政書士試験のみならず、全受験生が考えるべき永遠のテーマである。
永遠のテーマであるのだが、世間様はこのテーマにとりあえずの結論をつけてしまっている。
要は「効率のいい勉強をある程度の時間続けること」だ。
たとえば行政書士試験において民法の条文1050条分を丸々暗記する必要があるかと問われれば、誰もがNOと答えるだろう。
にもかかわらず、全部暗記するために1,000時間勉強しました、ではやはり効率が悪い勉強と言わざるを得ない。その結果、試験には不合格でしたでは目も当てられない。
逆に民法の条文なんて暗記する必要は全くない! 過去問から出題される部分のみに絞って記憶しておくだけでいい! と言う人もいる。
ええ? そんな無茶な。と思う人もいるかもしれない。しかしながら
「でも私はこの方法で合格した!!」
と胸を張って言われてしまってはこちらもうなずくしかない。
その人にとっての最短合格攻略法は、もしかしたら誰かにとっても最短合格攻略法になりうるからだ。
資格試験においてのいわゆる最短合格攻略法の中身は、つまるところ範囲を狭めるなどの「一極集中」なものがほとんどである。
別に悪いことではない。勉強範囲を狭めて、極力短い時間で合格をものにする。それは当然のことだ。
例えば範囲。誰かが示す、ここだけやっておけばいいという話。
例えば科目。誰かが言う、この科目は捨てて他に集中しろ。
例えば使う教材。誰かが勧める、この問題集だけを極めればいい。
範囲を狭めて繰り返しやれば、試験で問われやすい範囲の部分をより濃く網羅することは理論上可能であり、効率の良い勉強法とも言える。
それを実践して合格できれば効率よく資格を取れたということになり、その勉強法を勧めた人の言っていることが正しかったことになる。
とても効率が良い。これが広まれば最終的に受験生全員が行政書士になれるだろう。そうすれば日本は少し良い方向に進むかもしれない。夢のような方法である。
合格攻略法の通りに勉強し、合格した誰かにとってはその攻略法は神からの啓示に見えるだろう。
そう、「誰かにとっては」なのである。
これは私の失敗記だ。失敗記とはそういった誰かが勧めた、あるいは示した合格夢物語の裏側の「不合格だった人間」の話なのである。
読者諸賢はお気づきのことと思うが、私も合格体験記や○○で最短合格!を参考にし、日夜勉強に励んだくちなのだ。
効率の良い学習を求めると結局は先人の合格体験記に行きつく。やれこの参考書が一番いいだの、問題集はこれだけで充分だの。そういったものを信じて勉強する。
それを信じて突き進んだ結果、不合格だったとして誰が責任を取ってくれるのだろうか。
同じ方法で合格した人は(真偽は不明だが)たくさんいる。その人たちにとっては効率の良いものだったというだけの話だ。そしてそれが私にとっては良いものでは無かったという話なのだろう。
効果には個人差があります。
まさにその通りだ。
この試験は大体10人受けて1人が合格するような試験だ。誰かが提唱した勉強法で10人が受けて1人でも合格すればその勉強法は正解と言ってしまっていいのかもしれない。
しかし、私は私だけである。数字の話ではない。
合格する誰か1人のために私は勉強してきたのではない。名も知らない合格者のために私は不合格になった訳ではない。
私が合格するためだけにずっと勉強してきたのだ。
勉強量が足りなかったのではないか?
だが、SNSでにこやかに合格を報告する誰かさんは私の半分の勉強時間で合格していると書いている。
なぜだ? なぜ不合格になったのだ?
この責任は誰が取ると言うのだ!?
そう叫んだところで誰も責任は取ってくれない。少なくとも私の場合はそうだった。
自分自身の挑戦における責任者なんてものは自分自身以外ありえない。世間は我々のお母さんではないのだ。
結局のところ、挑戦とは自己責任なのである。
結果がダメだからといって通ってきた道のりに文句を言っても意味は無い。親切にしてくれた人たちに八つ当たりしてもしょうがないことなのだ。
だからこそ合格体験記を鵜呑みにすることは危険だと提唱したい。
私には私の事情や背景があり、合格した人にもその人個人の事情や背景がある。
その通りにやったところで結果は違うものなのだと知っていれば、私ももう少し前向きにこの受験生時代を過ごせたのかと思うと寂しい気持ちになる。
では、結局のところ質と量。結局はどちらを優先するべきなのか。
最適解はどちらも追い求めるものと言うべきだろう。質のいい勉強を長時間続ける。世間一般の回答はやはり正しい。
しかし、それではこの文章の意味が無い。
そこで私はこの問題について、私なりの意見を述べたい。
質と量。これらは別物ではないかと。
そもそも勉強の質と勉強の量は、我々に与えてくれるものが違うのだと考えてみた。
私の失敗はこの2つが密接に関係していると考えてしまったことにあると思っている。
勉強の質は攻撃力。勉強の量は防御力。
こんな風に考えるのはどうだろうか。
どういうことか。
勉強の質を上げることで、その分知識が増え、どんな問題にも対抗できるようになる。問題が簡単に解け、模試の点数も上がっていく。
問題を倒すための力が強くなっていくのだ。
一方、勉強の量は自身のメンタルを支えてくれるものだと考える。
つまり防御力。
私の経験だが試験勉強というものはどうしてもメンタルに左右される。
些細なことが不安になり、なにかにすがりたくなり、より魅力的な謳い文句に踊らされる。その結果、色々なものを無駄にする。
それらに対抗するために、我々は常日頃から防御力を鍛えないといけない。
防御力とは何か。確固たる自信である。
では自信とはどこからくるか。揺るぎようのないものからくるのである。
「この試験のためにこれだけ費やした」という事実は揺るぎようが無い。
本当に辛い時、これだけ勉強したという数字は、最後の最後で折れそうな自分の心を支えてくれる。
一目見て分からない問題が目の前にある時に、「分からないわけがない。あれだけ勉強したんだから」と気力を奮い立たせてくれる。
民法の条文を1,000時間かけて暗記した人間は、たとえ他の科目では手も足も出なかったとしても、民法の問題については「あれだけやったんだ。間違えようが無い」と胸を張れるだろう。
それ以外の結果によっては試験は落ちるかもしれないが。
結局のところ、どちらも鍛えなければ合格することは難しい。
試験を突破するためには問題を解く攻撃力と、自分を見失わない防御力を鍛える。
それぞれを別物と考え、それぞれを鍛えて合格を目指す必要がある。
……と無理矢理に解釈してみる。そう無理矢理。
いくら質の良い勉強を心がけても、いくら膨大な時間を勉強に費やしても私は落ちた。
自習で勉強していたので、自分が質のいい勉強してきたのかは判断しかねるが、時間については揺るがない。しかし落ちたのだ。それはなぜか?
結局のところ、この問いに明確に答えられないのが現時点の私だ。
私には読者諸賢に対し、行政書士試験の最短合格攻略法を提示できるだけの技量が無い。
どうすれば合格できますか? と聞かれれば
出題範囲をしらみつぶしに全部やり切り、それを何度も何度も何度も何度も繰り返す! 自分が納得できるまで!!
などという極めて脳筋のような答えを返さざるを得ない(第0話に比べると少しはマシな回答ができたかもしれない)。だが、これでは予備校の人気講師には到底なれないだろうし、資格試験対策系のYouTubeチャンネルも開設できそうにない。
だから私は失敗記なんてものを書き続けているんだろうなぁ。
と一人で結論付ける。
これは負け犬の遠吠えのようなものだ。
だが、その遠吠えが今現在戦っている受験生諸君の良いBGMにでもなれば少なくとも私は救われる。
私もキラキラな合格者になりたかったものだ。でもなれなかった。しかし、これが私なのだと無理矢理解釈してみた次第である。
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