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立ち上がれ俺! ーアラサー法律未学者が新米行政書士になるまでの失敗ー 0話

「鈴木」と書かれた表札の下に、新しい表札を張り付ける。それほど高価なものでは無いが、シルバーに輝くそれが立派に見えたのは気のせいではないと思う。
 
 「Stand up行政書士事務所」。それが事務所の名前だ。
立ち上がろうとする全ての人のために。をキャッチコピーとした、そんな行政書士事務所は、2023年の6月。千葉県千葉市でひっそりと開業したのである。
 
 行政書士になりたい。そう思ってなんとかここまで漕ぎつけた。受験勉強に開業準備等でバタバタしていたが、ここでようやく一区切り。やっと士業の端くれとして動き出すことができる……というようなそんな日に、私が思ったことと言えば、一つのことを成し遂げた達成感や将来に向けて気を引き締めていこうなどという殊勝な心持では決してない。
 
 私の胸中はというと

 どうしてこうなった!?


 という大きな大きな疑念で一杯だったのである。
 
 本来であれば、もっと早くに行政書士として独立するつもりだった。だが、気が付けばもう33になろうとしている私である。一般的な企業で言えばそれなりに役職について、愛する女性と結婚し、休日は子供との時間を楽しむ……なんて年齢である。
 一方、現在の私はと言えば、実家の自室に事務所を構え、開業したばかりなのでやることも無く、営業やらあいさつ回りやら(この文章もいわば営業活動の一環のようなもの)実務勉強やらに追われている。動いてはいるが、なんともパッとしない。ほぼ無職の状態と変わりないのである。
 
 そんなこんなな現状であるが、時間はあるので、受験期間中に猛烈に太ってしまったのを正すためにひたすらに筋トレに励む毎日。脂肪を落とすために有酸素運動も必要とのことで、昼間からノースリーブでウォーキングをしている独身男性の姿は、傍から見れば町の変わり者である。明日職務質問されたとしても文句は言えない。私が見てもどう見ても怪しい。
 

 どうしてこうなった?


 ウォーキングをしていると、子供を連れた家族とすれ違う。彼らはとても幸せそうだ。それに比べて自分ときたら……
現在の自分の姿を俯瞰して見て、落ち込む。
 
 ここではっきりとしておきたいのは、私は自分の選択には全く後悔はしていない。これだけは胸を張って言える。一度きりの人生、この道こそが我が道! と宣言し、その道を歩いているのだ。後悔なんてものはない。
 
 しかし、しかしながらである。
 もうちょっとやりようがあったのではないかと思うことはある。
 
 これから書かれる内容は、いわゆる3回の行政書士受験を経て合格し、開業にまで至った不屈の男の成功記ではない。これはむしろ同じ試験を3回受験することになってしまった私の悲しい失敗記である。その失敗をできる限りポップに書き上げていこうと思っている。
 
 受験生時代、ネットを眺めているとよく「○○カ月で最短合格!」とか「法律未経験の私がこの方法で行政書士試験に半年で合格した」なんて宣伝文句をよく見ていた。それは間違いなく事実なのだろう。
 
 だがそれは合格を勝ち取ったその人にとっての事実だ。残念ながら私にとっての事実ではなかったのである。100あるサンプルデータの成功例の1つが彼ら、彼女らであり、それ以外の失敗例が私なのだ。
 本来であれば私も一発合格して、ここに文書を載せる際には自分の体験記を華々しく書き連ねたかった。いやもう本当に。切実に。
だが、実際のところ私はそうはならなかった。
 
 華々しいお話の裏で、語られていない数々の失敗がある。そしてこれはその失敗についてのお話なのである。
 
 読者諸賢におかれましては是非、そのことに留意して読んでいただけるとありがたい。どこかの予備校の教材や、YouTubeで流れている宣伝文句が現実になっている中で、そうは問屋が卸さないという事実を知って欲しい。
 
 そしてそんな事実があったにせよ、なぜだかStand up行政書士事務所は開業することになった。
 
 ここで改めて言いたい。
 
 

 どうしてこうなった?


 
 
  


 さて、長々と前置きを書き連ねてきてしまったが、改めてこの文字の塊は私の失敗記である。
 失敗記と言ってしまうとそれはあまり価値の無いものと見え、ここでブラウザバックしてしまうかもしれないがちょっと待って欲しい。
 
 ここで私が提唱したいのは「成功記より失敗記の方が価値がある」ということだ。
 
 成功記は自身が成功した経験に基づくものであり、「私はこうやってきた」という事実に基づくものである。しかしそれはそれ以外の選択肢を奪うことにならないだろうか。
 その人にとって合うものがあなたに合わなかった場合、それはあなたの救いにはならない。
 
 一方で失敗記の主張は単純だ。「これだけはしてくれるな」ということ。そしてそれ以外はしてもいいということだ。実際に私は、数々の成功記を見聞きし、「自分はできていない……」とひどく落ち込んだことは1度どころではない。
 成功記は確かにあなたを導いてくれる。しかし、成功記はあなたを救ってはくれない。これこそ私がわざわざ失敗記を書く理由だ。
 
 誰よりも失敗してきた私は、他人の何倍も躓いている人の気持ちがわかるのだ。わからないということがわかるということがどれほどの強みであるか、意外とそこに気づいていない人は多い。
 
 もし、これを読むあなたがすでに行政書士として第一線で活躍している方であれば、笑って読んでほしい。こんなところで躓く阿呆がいたのかと。
 もし、これを読むあなたが行政書士を志そうとしているのであれば、「自分もこういうことになるかもしれない」と想像して、対策して欲しい。
 もし、これを読むあなたが行政書士試験を受けようと日夜頑張る受験生だとして、勉強の合間にこれを読んでくれているなら
 
 安心してほしい。
 
 あなたが躓いているところは私も必ず躓いていたし、あなたが余裕だと思っていることですら、私は躓いていたという確固たる自信がある。
 
 そんな私でも今、なんとかしてこうして新米行政書士としてこの文章を書いている。これは紛れもない事実なのだ。
 
 そしてその事実に対して私はこう投げかける。
 
 どうしてこうなった?

 今のところ、その答えは返ってこない。
 
 これを書き続けていれば答えは見つかるかもしれない。そう自分に言い聞かせて私はこれを書いている。
 答えが見つかるまで書き続けようと思う。

 ただ本当にそんなものがあるのかどうかは疑問だ。
 疑問のまま書き続けるしかない。書き続けた先に何かが見つかることを願う。

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