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【行政書士試験失敗記9話】過去問を徹底的にやり込んだ! やり込んだんだよ俺は……!!
あなたは1+1の答えが2であることを子供に懇切丁寧に説明できるだろうか。
できると答えた方に続けて問いたい。
あなたは9×9の答えが81であることを子供に懇切丁寧に説明できるだろうか。
「行政書士試験は過去問をやり込めば合格できる!」
なんて言葉がネットに転がっているのを見たことがある。
しかし民法の大改正があった昨今、流石にこの声がそのまま通用するとは思えないのだが、ひと昔前はこの方法が結構主流だったらしい。
特に効率的なのは、過去問の重要選択肢をまとめた「肢別過去問集」をやり込むことで合格にグッと近づくとのこと。
私も例に漏れず、せっせと肢別過去問集をやり込んだものである。
試験合格後に持ってた肢別過去問集を見るとボロボロで、多分20周以上は使ったんじゃないだろうか。
なんというか後半はほとんど使うことも無くなったので、私としては嫌な思い出でもあったのか、事務所を作るための大掃除の際にまとめて捨ててしまっていて、現物はもう無い。
今考えると惜しいことをした……と一切思わないあたり、それくらい辛い思い出だったんじゃないかと考える。
読者諸賢の中には行政書士試験を受験しない又は今後受験を検討している段階の方もいるだろう。
肢別過去問集がどんなものかイメージできない人は、ぜひ書店に行って見て欲しい。
「これを20周か……」と体感して欲しいのだ。
今の私が見ても狂気の沙汰だと思う。それだけ合格したかったのかお前はと思う。
が、それと同時に
「でも結局この後不合格になるんだよなお前」
と考えるとなんというか悲しい気持ちでいっぱいになる。
では結局、過去問をやり込むことは失敗だったのか? これについて今回は考えなければならない。
あの肢別過去問集をひたすらにやり込んでいた日々は無駄だったのか。それが私の失敗だったのかと聞かると
それは違うと断言できる。
行政書士試験においてこの勉強方法は有効な方法の1つと言える。
しかし、それでも私は合格できなかった。なぜか。
当然のことながら、私の取り組み方があまりにも良くなかったと推察するのは容易だ。
では、何が起きていたのか。
昔、電子辞書が台頭してきた際、紙の辞書を擁護するためにこんな意見があったのを思い出した。
電子辞書を使って調べると、調べたい言語の意味しか分からない。
一方で紙の辞書を使って調べればそのページに掲載されている関連言語の意味まで知ることができる。
インプットの観点においてこちらの方のメリットはあまりにも大きいものだ。
私の症状もこれに近かったのではないだろうか。
あなたは1+1の答えが2であることを子供に説明できるだろうか。
では、9×9の答えが81であることを子供に懇切丁寧に説明できるだろうか。
説明できる人もいる一方で、私のようなせっかちな人間は「いいんだよ、9×9の答えは81ってことで。九九、八十一って覚えろよ」なんてぶっきらぼうに言ってしまうと思う。
過去問を周回していくということは当然のことながら、知っている問題を再度解いていくということだ。
その知識がちゃんと定着しているのか、忘れていないかをチェックすることである。
いわば最初から全て動きが決まっている殺陣をやっているイメージ。
右ストレートが来たら左に避けて、合わせるように右フック。体勢が崩れたところを左のハイキックでとどめを刺す。
なんて台本があったとして、それをその通りに行うだけで傍目から見てカッコよく見えるというだけの話。
過去問の繰り返しはそれと本質的には同じことだったりするのだと思う。
問題文を丸のまま覚えてしまうわけではないが、取り扱う知識はピンポイントで、それをひたすら繰り返す。
まだ自分の型が定まっていないときはこの練習を繰り返すことである程度戦えるようになる。
しかし、実践は違う。台本なんてものは無いのである。
私も模試の点数が伸びず、頭を悩ましていたことがある。これの原因は、同じ知識でも練習と実践では違うということに直結する。
問題文の意味は分かるのに、過去問で覚えた内容と「微妙に」違うせいで正誤の判断ができない。
この現象を私は勝手に「違う角度から殴られる経験」と呼んでいる。
繰り返し問われる条文、判例でも問われ方が少しでも変われば難易度はガラリと変わる。使う知識の幅も広がる。
いつもとは違う角度から殴られる経験をしなければ、自分になにが足りていないのか見えてこなかったわけである。
台本で決まった通りに動くことは誰でもできる。
しかし、行政書士試験は、誰にでもできることをできたからといって合格できる試験では残念ながら無い。
10人受ければ9人不合格になる。平均合格率10%前後の試験とはそういうものではないかと私は考える。
私の失敗は、過去問という型をひたすらに繰り返すことで満足してしまい、それだけでは足りないということに気づけなかったことにある。
実践では必ずしも最初に右ストレートが飛んでこないのだ。
相手が何をしてくるのか分からない状態で、自分が取るべき行動はなんなのかを考えておかなければならない。
そのためにはなぜこの型を習得するのか、この動きの意味はなんなのかを自分が納得できる形で消化できていないといけない。
それができていないから、初めて見る問題で「違う角度から殴られる」のだ。なので違う角度から殴られる経験は自分の消化不足の箇所を割り出すこともできると言える。
違う角度から殴られる経験と言えば、特に記述問題についてはこれが顕著だ。
ありがちな記述問題の対策において、模試の問題、予想問題、過去問の答えをそのまま暗記するといった勉強法がある。私もこの方法をとっていた。
しかし、それはきっと上手くいかないだろう。
私もよく模試や、本番で違う角度から殴られてノックアウトされたことが何度もある。問題用紙に並ぶ3つの問題を前に、手も足も出ず、絶望感で頭を抱え込んだ経験は1度や2度ではない。
答えを構成する用語が何一つ出てこないのだ。解決の糸口が全く見えない。あんなに勉強したのに。
この問題は前に勉強した問題と似ている。似ているが要件が微妙に違う。違うということは前の問題の答えをそのまま当てはめることはできない。
あの問題も見てことはある。けどこれも微妙に条件が違うからそのまま当てはめられない……
思い出すだけで背筋がゾッとする。これが本番で起きたらと考えると夜も眠れなくなるだろう。
行政書士試験において、問題を暗記すること、条文を暗記すること、答えを暗記することは決して悪ではない。
しかし、それはある程度戦えるようになるというだけに留まる。
私のように試験問題を見てなんとなく3時間頑張って、「俺は努力したぞ!」と自己満足に浸ることはできる。
だが、我々の真の目的はそんなことではない。目的は満足感を得ることではなく、合格することにあるのだ。
にも関わらず、私はひたすらに型を繰り返し練習した。その問題文が、その用語が、その条文が何を意味しているのか、なんのためにあるのか背景を理解せず、ただひたすらに練習し続けた。結果はご想像の通りである。
人は辛く、苦しいことを「習慣化」することで乗り越えようとする。私もそうである。しかし、習慣化の先に待っているのは省略であると私は思う。
私のような1+1が2である理由を説明できない人間がいるように、今自分が解いている問題がなんの問題なのか、気づかないうちに考えることを省略してしまっていないだろうか。
そうやって足を止めて考える時間も必要なのではないかと今更になって思うのだ。
この条文は何のためにあり、誰を救おうとしているのか。
この判例はどんな背景があり、どのような理由で、結果どんな判決になったのか。
この問題はなにを問題点としていて、どんな答えを求めているのか。
資格試験に合格しようと努力しているうちに、そういう視点はいつの間にか抜けていく。しかし、その視点こそ法律を学ぶ上で最も重要なのではないだろうかと失敗を繰り返した私は結論付ける。
だからと言って、今やっている勉強方法を無理に変える必要は無い。急な方向転換には失敗が潜んでいるからだ。
しかし、しかしである。
たまには自分が解いている問題の本質を少しだけでも考えてみる時間があってもいいのではないかと私は思う。
あなたは1+1の答えが2であることを子供に懇切丁寧に説明できるだろうか。
私はできなかった。だから失敗した。
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