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【行政書士試験失敗記】5話 孤独なまま走り続けた者の末路

 早いものでこの失敗記ももう5話である。
 
 当初は行政書士試験における自分の失敗などそこまで多いわけではないのだから早々にネタが尽き、人気の出なかった漫画連載よろしく最終回になってしまうのではないかと心配していた。

 ……もちろん嘘である。
 最初のネタ出しの時点で相当の量の失敗ネタがあったし、なんならまだ書ききれていないだけで、私のノートPCには下書き段階のものが大量に眠っている。
 なのでこの失敗記はもうしばらく続く。続くったら続く。
 
 私としては早く全ての失敗を文章にしてしまってお焚き上げしてしまいたい気持ちでいっぱいだ。
 でもまだまだある。それはもう嫌になるくらいに。

 さて、そろそろ本題に入る。
 今回は行政書士試験における学習スタイルについて。

 行政書士試験を受験するにあたって、どのように勉強するのかという点は一番最初に考えなければならないことだと思う。

 一般的なものと言えば大手予備校に通うというものと参考書等を自身で買って独学で勉強するものの2種類であろうか。
 
 私は自身の学習スタイルについてもうちょっとどうにかならなかったかと思うことがある。
 
 私の受験期間は基本的に全て自習で完結していた。
 つまり自分で学習すること。どこかの予備校に通学するということはせず、主に使っていたのは通信教育系の学習教材と自分で買った参考書だ。
 
 最初に行政書士試験の勉強を始めた時、全てがwebで完結する通信教育を選んだ。落ちた。
 次の年は参考書と問題集を片手に行政書士試験対策を専門に扱ったYouTube動画を参考にして学習した。落ちた。
 最後の年はまた通信教育の講座に頼った。
 
 そうなると私の受験期間に、いわゆる「親身になって色々と教えてくれた先生」という方は存在しないことになる。私にとっては恩師と言える人はいるが、その方が私という存在を認知しているとは思えない。それは一方通行の好意でしかない。少し寂しいが。
 
 思い返してみると、私の受験勉強という者は、誰とも関わらず、自室で参考書とノートとPCとひたすらにらめっこする、そんな感じなのである。
 
 最初はなんとなく、その方がカッコいいと思っていた。
 
 予備校に通って手取り足取り教えてもらい、隣に座る人と親密になって、講義が終わったらちょっと飲みに行き、将来について語り合う……そんなものは軟弱者がやることだと勝手に思っていた。
 今思えばかなり失礼な話だ。
 
 私はクールに、自分の時間を有効活用し、最大限の時間を最大効率をもってこの試験をさっさと突破する! なんかそっちの方がカッコいい!
 なんてことを考えていた。
 
 まったくの大馬鹿者である。
 
 今の私なら断言できる。
 合格までの道のりに貴賤などない。最終的に合格というゴールにたどり着ければいいのだ。
 だが、当時の私は違った。
 
 私は私のやり方が正義だと信じ、突っ走った。突っ走ったまま自分の間違いに気づかず、不合格に向かって駆け抜けてしまったのである。
 
 自習というスタイルを貫くのが悪いことではない。
 ただ、私のスタイルはどうも内向的過ぎた気がある。
 ひたすらに参考書と問題集とPCと己に向き合い続けた生活が続くと人間はどうなるか。
 
 正常な判断ができなくなってしまうのである。
 
 ここでしっかりと友人やコミュニティなりで意見交換をし、自身を客観視できるようになっていればよかった。だが、それができていないとどうなるか。

 判断する存在が自分しかいないため、自分の判断基準が狂っていることに気が付かない。気が付かないまま進み続けてしまう。進み続けた結果は悲惨なものだ。

 歯車が狂ったことに気が付いてから対処するために色々と調べて回るものの、その狂った判断基準でネットに漂う良さげな攻略法に飛びついてしまい気が付けば貴重なお金や時間を失ってしまうのだ。
 
 書いてて、自分がまるで詐欺にでもあったかのような感じになってしまった。
 
 先に断っておくが、実際に販売されている多くの教材は信用できるものだし、それを正しく使っていれば合格に近づくことは間違いない。
 ここでいう、判断を間違えたのは私自身であり、多くの人が使っている教材を新しく買い漁り、最終的にやりこむこともできないまま試験日を迎えた私自身が悪いのである。正常な判断力を失った私が悪い。
 
 多くの、と書いている時点で読者諸賢におかれましてはその辺を察していただけるとありがたい。この点については深く語るつもりもわざわざ言及するつもりもないが。やっぱり良い悪いもあるということで。

 何事も自分に何が必要で何が不要なのか。
 落ち着いた目で、落ち着いた精神で判断することが大事だ。

 少なくとも読者の皆様は、模試を受けて自己採点の結果が悪かった夜に血眼で新しい教材を探し回ってはいけない。
 私はその結果それなりに悲惨な目にあった。が、誰も責められない。そんな結果を招いた私が悪いのだから。
 
 独りで戦い続けることにはメリットもあれば、デメリットもある。
 そのデメリットは手遅れになり始めたころに初めて顔を出す。
 そうやって私は通らなくてもいい道を通り、何度も回り道を繰り返す日々を送ってしまったのだ。
 
 結果的に私は自分の学習スタイルを貫き、合格することができた。
 
 しかし、私の学習スタイルには合格した後にも大きなデメリットが隠れていた。
 
 前述の通り、参考書と問題集とPCにひたすら向き合う学習方法である。それを相当な期間続けていた。最後の方はほぼ部屋に閉じこもって勉強し続けていた。

 そうなるとどうなるか。
 他人と喋れなくなってしまったのである。
 
 これを見ている方の中には私のポッドキャスト、「立ち上がれ」という番組を聞いてくださっている方もいるかもしれない。30分程度、ひたすら私が一人喋りをしている番組を作っておいて何を言っているんだというかもしれないが、一時期本当に人と会話できなくなってしまっていた。
 
 以前は口がふさがれるとストレスで死ぬとすら思っていた私がである。
 
 人間、家族以外の人とする会話が「レジ袋いらないです」と「レシートいらないです」の2パターンになると簡単にこうなってしまうんだなと恐怖を感じた。
 
 特に私が異常を感じたのは、予備校が主宰する合格祝賀会に参加した時である。
 
 一応、立食パーティの席ではあるので、お互い名刺交換をしたり、歓談したりと思い思いの時間を過ごすのがこのパーティだ。厳しい戦いを繰り広げ、勝利を掴んだ彼らはいわば戦友だ。そんな戦友たちと親交を深める日を少なからず私も楽しみにしていた。
 
 しかし、実際話してみると、どう話していいのかわからない。そもそも話しかけ方がわからない。話しかけてもらったとしても焦って言葉を口にしようとすればどもってしまう。次第に気まずくなってしまい、なんとなく一人で出ている食事をつまむ。そんな時間を過ごす羽目になった。

 おいおい、これから行政書士になるっていうのにそんなんで大丈夫か?
 私は慣れない酒をあおりながら会場の隅で落ち込んだ。
 
 外界と遮断した生活を送り続けた結果、喋れなくなる。
 この症状は実を言うと今もちょっと残っている。まだまだリハビリが必要である。
 
 独り食事をつまみながら、気まずい時間を過ごす傍らで楽しそうに談笑する人たちを見て、自分のやり方に固執せず、もっと違うやり方をしていたら、私もこの場でもう少し笑えたのだろうかと考えてしまう。
 
 軟弱者と心の底で馬鹿にしていた自分を大馬鹿者と罵ってやりたい。
 彼ら彼女らは、あの場でかけがえのない友を得たのだろう、一方私は独りですることもなく、ウエストがきついスーツに苦戦しながら、一人ぼそぼそと隅で飯を食う始末。
 
 悲しい。実に悲しい。
 
 一人で勉強することは悪いことではない。がしかし、一人で勉強するということはこういうデメリットもある。端的に言うと寂しいものである。改めて言いたい。
 
 どうしてこうなった?
 
 独り会場を後にする私の後姿はそれはそれは哀愁に満ちていたに違いない。
 
 やはりこれも私の失敗と言わなければならない。
 
 
 
 余談だが、会場に出席された名だたる行政書士の方々とはちゃっかり挨拶を交わし、名刺交換もさせていただいた。どのような行政書士になりたいの? これから頑張ってね、など温かな言葉をたくさん頂戴した。
私はというと、もちろん上手くしゃべれなかった。
 
 皆さん、しどろもどろに話す私に快く対応していただいてありがとうございました。
 私は今、なんとかこうして元気でやっています。

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