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エッセイとスープストック

小説も好きだが、エッセイも好きだ。
特に暮らしのひきこもごもが書かれたものが好き。そういうものを読んでいると、子どもの時の夕方の帰り道、同じ団地の違う部屋からただよってきた、うちとはちょっと違うカレーのにおいにぶつかった時の気持ちになる。同じ間取りのキッチンで、全然違うカレーが煮込まれている。そのカレーの数だけ生活があって、カレーの数だけ食卓がある、ということ。

ひとコマだけ教えている大学で授業を終えて外に出たら、雨だった。傘を出そうとリュックに手を入れて、本を持ってき忘れたことに気づいた。こまった。電車での移動時間、本がないと落ち着かない。本がないと公共交通機関で、移動すらままならない。

駅前のチェーンの書店に駈け込む。時間はかけられないから、と急ぎ足で棚を回遊して、目にとまって選んだのは中公文庫から出ている詩人・石垣りんの『朝のあかり』。「あかり」とひらがなで記されていて、それで手にとったらしかった。帯には「川辺の1DKに流れる、自分だけの時間」の一文が踊る。控えめだけど、だからこそとてもよい惹句。

乗った電車は満員で、気を抜けば隣のひとの傘がからだに触れそうな距離の中、本をひらく。「はたらく」「ひとりで暮らす」「詩を書く」「齢を重ねる」という4つの章の中に、たくさんのエッセイがしまわれている。ひとまずは冒頭から。1みひらき、2ページで完結する小さな暮らしのことばたちが現れる。

「雨と言葉」と題されたそこでは、丸の内の銀行ではたらくりんさんが、ビルの8階から雨を眺めている。高層ビルの壁面がまだらに濡れていくさまを、雨量や風向きのグラフのように見てあじわっている、りんさんにとっての1973年の丸の内。

はなしは自在に昔に巻き戻り、現代の都市生活で、雨音を聞かなくなったと彼女はいう。

木造の、壁までしっとり感じられるような家の中で、せめて窓辺で、あきもせず外をながめていたりした。樋をつたって流れ落ちる雨だれの音。土に染み込む雨足。長ぐつをはいて原っぱへゆくと、あちこちに生まれた水たまりが、足に浅く、目に深かった。

石垣りん『朝のあかり』(2023.中公文庫)P16

「足に浅く、目に深かった」のくだりで、詩人の目線を感じてうっとりし、はあ、とため息のようなのが出て、くっと詰まった胸を押さえた。「孤独のグルメ」の吾郎さんのように、「これこれ、こういうのがいいんだよ」と心の中でひとりごちる。

さっきまで教壇に立っていた場所に学生として通っていたころ、やっとできた本好きの仲間たちとのおしゃべりの中で、好きなエッセイについて話したことがある。小説の話と違って、思いのほか盛り上がらなかった。なぜ? と思って問うてみれば、「だってエッセイって小説家のアルバイトみたいなもんじゃん?」なんていうひとがいた。

別の場面。
ゴールデン街のほの暗いカウンターの隣で、顔を赤らめた先輩がいう。
「エッセイっていうのは、おんなの芸術だよ。専売特許だよ、かなわない」
つづきがあるのかと思って黙っていたら、先輩は水割りをくいっと飲んで、他の話をはじめてしまった。

好きなエッセイの書き手を、ぱっと空中に浮かべてみる。武田百合子、石田千、川上弘美、小津夜景、角田光代、江國香織、石垣りん←New
確かに女性ばかりだ。でもでも、男性の書き手だっているぞ。内田百閒、吉行淳之介、山口瞳、池波正太郎、開高健──。

並べてみて、なるほど、と思う。乱暴にいってしまえば、男性の書き手の描く「日常」は、家の外のはなしが多い。飲み屋、ごはんや、仕事で出かけた先の町や国のこと。

女性の書き手にだって、もちろん家の外のはなしはたくさんある。けれど、どこかでそれが家での暮らしと、結びついている感じがする。旅先での出来事も、ひとつの生活として描かれる、というふうに。だとしたら、生活が「おんなの芸術」の源なのか?

ページをたぐって梯久美子さんによる解説をひらくと、石垣りんさんの人生が簡単にまとめられていた。自分のことばに直しながら、要約してみる。

石垣りん、1920年生まれ。
生母はりんが4歳のときに病死。高等小学校を卒業後、14歳で日本興業銀行に事務見習いとして就職。
25歳で終戦を迎え、戦後は10坪の借家で、祖父、身体を壊して働けない父、義母、病で働けない弟、障害のある弟の6人で暮らす。りんが大黒柱として家族を支え、養いながら詩を書き続けた。
50歳のころ、退職金を担保にローンを組み、1DKのマンションを購入する。りんにとって、はじめての自分ひとりの、自分のためだけの部屋だった。

こんなふうな生活を「おんなの芸術」の源だ、なんてとうてい口にすることはできないな。そう思いながら、かつての時代の当たり前だった生活と、そこで記されたものたちのことを考える。

「おとこのエッセイ」も、もちろんおもしろい。外の世界の温故知新の発見と、そこから生まれるさまざまの価値観や美学。それを書き手に連れ立って見聞する楽しみ。それでもそのときの社会が要請する「おとこの価値」が現れるから、どこか闘争的だったり、上から目線だったり、弱さが描かれなかったりする。

そういう男たちの目線とは違う、「おんなの芸術」は、自らつくろうとしたか、つくらされたか、つくるしかなかったか、その差はあれど生活のにおいが濃く立ちこめる。

そう考えればりんさんは、外の世界と生活のあいだを、その両方の主軸を担う存在として絶えず往復し、暮らし書いてきたひとだといえるだろう。それは今年はじめて子どもが生まれたぼくの、形を絶えず変えながら進行している生活と、似ているような気もしてくる。

そういえば、Soup Stock Tokyoの店舗が出始めた時、女性の先輩が「スープストックいいよ。あれはおんなの松屋だね」といっていたことを思い出す。

松屋なのか。そういわれたら行ってみたくなるもので、けれど出かけたら、そこは女性たちが安心した顔で腰をかけ、思い思いのきぶんで選んだあたたかいスープを静かにすする、そんな場所だった。その安心を脅かす気がしたから、入り口で回れ右をして出ていった。食べてみたいけど、入れない。たとえばそういうことを、女性たちはこれまで、途方もない数経験し、こうやってぼくのように回れ右をしてきたのかもしれない。直喩であれ隠喩であれ。

途中の支線乗り換え駅でひとがどっと減った。席に空きができたので、腰をかける。本が読みやすくなった。もっと読んでいたいなと思うころ、降りる駅に到着した。3年前、コロナでいろいろと生活と仕事のしかたが変わってきたころ、この町に引っ越した。大きめのこの駅のそばには、スープストックのお店がある。

いつか、そこに入ってみたい。そこでシグネチャーだという「オマール海老のビスク」を、なにかにせき立てられることなく、安心した気分で飲んでみたい。このお店たちが出来て、20年ほど。今なら、そこでスープを味わうのに、男とか女とか、関係なく入れるムードがあるかもしれない。

スープストック。それは字義どおりにとらえるなら、ブイヨンなど西洋料理の出汁のことで、ちょっと手間はかかるけれど、生活を土台から支えてくれる「備蓄」のことでもあるだろう。それを、あなたのために代わりにつくっておいたよ、というお店。

丸の内のビルの地下で、もりそばをすすっていたりんさん。彼女が働いていた時代に、こういうお店があったら、彼女はどんなふうに入って、どんなふうに楽しんだだろう。そして何を書いただろう。


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