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仏教の歴史と時代背景

薪尽火滅(しんじんかめつ)
→ 釈迦の入滅のことを言った語のことで、転じて人の死を指す。

四字熟語の中には仏教を題材としたものが多い。

この薪尽火滅(しんじんかめつ)という四字熟語もまさにその1つだ。

釈迦の入滅という解説をされても、ピンとこない人がほとんどだろう。

かくいう私もその1人で、入滅とは仏教の概念で、仏や菩薩が完全に悟りを開き、涅槃(ねはん)に入ることを指すそうだ。

いやいや、それを聞いても全然わからない。

涅槃(ねはん)とは、苦しみや欲望から完全に解放され、究極の平和と調和の状態を表現している。

つまり、入滅とは、この究極の悟りの状態に入ることを意味するということになる。

また、特に仏教の教義においては、歴史的な仏陀(特に釈迦)の死そのものを指すためにも使われる。

裏を返せば、釈迦が最終的な悟りの状態、すなわち涅槃に達したということも意味しているわけだ。

ということで、何度かテーマにしているのだが、今回も仏教のことについて書いていこう。

予め断っておくが、私は仏教信者ではない。

というか、無信仰者だ。

ということを大前提にして俯瞰で見た仏教について見ていこうと思う。

仏教の起源

紀元前6世紀、美しいルンビニの庭園で、1人の男性が誕生した。

今から約2500年前だと思えばいいが、彼の名前はガウタマ・シッダールタ。

後の釈迦となる人物だ。

シッダールタは富裕な王族として育てられ、幼少期から青年期にかけて豪華な生活を送っていた。

ところが、そんな生活の中で、彼は外の世界に目覚めることになったのである。

そのキッカケとなったのは、ある日、シッダールタが宮殿の外に出て、老い、病、死という人間の避けられない苦しみを目の当たりにしたからだ。

彼はその衝撃から、人間の苦しみから逃れる方法を見つけるための修行を決意するのである。

そして、シッダールタは自分の家族と富を捨て、出家し、厳しいアスケティックな生活を送り始めた。

けれども、彼はその厳しい修行が真の答えをもたらさないことに気づくと、また新たな道を探し始めた。

シッダールタは厳しい修行と極度の苦行の中から「中道」を見つけた。

それは、極端な享楽と厳しい苦行の間の、中庸の道を示すものだった。

そして、ある日、菩提樹の下で深い瞑想に入ったシッダールタは、ついに「悟り」を得たのである。

シッダールタはこの経験を通じて、人間の苦しみの原因とその解消方法を理解した。

これが後に四諦として知られるようになる。

シッダールタ、つまり釈迦は、四諦(苦諦、集諦、滅諦、道諦)という教えを人々に拡めていった。

これらは人間の苦しみの原因とその解消方法を説明するもので、仏教の教義の中核をなすものとなっている。

さらに、八正道という教えは、倫理的な行動、思考、そして瞑想を通じて苦しみから解放される道を示すもので、これが人々に普遍的な教えとして拡まった。

時代背景

釈迦が生きた時代は、インドでは厳しいカースト制度によって支配されていた。

人々の社会的地位は生まれつき決まっており、それを変えることはほとんど不可能だった。

このカースト制度によって人々の生活は大きく制限され、様々な可能性を狭めていた。

また、当時のインドではヴェーダと呼ばれる古代の聖典に基づくヒンドゥー教が主流だった。

ヒンドゥー教では多数の神々への儀式と奉仕が重視されており、人々の生活は神々への奉仕に大きく依存していた。

ところが、ガウタマ・シッダールタは違った道を示した。

彼は人間が自分自身の努力によって悟りを得ることができると説いたのである。

この悟りは、カースト制度や神々への奉仕に依存することなく得られるものだった。

当時の社会と宗教的な観念に対する大きな挑戦であり、これが広範な共感を呼んだ。

釈迦の教えは、特に下位カーストや無カーストの人々にとって、新たな希望と解放をもたらしたのである。

仏教の拡がり

釈迦の死後、ガウタマ・シッダールタの弟子たちはその教えを拡めるためにインド各地を旅した。

初期の仏教徒たちは、釈迦の教えを記録し、それを口頭で伝えることで、仏教をインドの広範な地域に拡めた。

仏教は人々が自己の苦しみを乗り越えるための手段を提供し、人々の日常生活に実際的な指導を与えたため、幅広く受け入れられた。

その後、仏教はアショーカ大王の時代に特に拡がったといわれている。

アショーカ大王はインド全土を統一した最初の王であり、彼自身が仏教を信仰し、その広範な普及に努めた。

アショーカ大王の治世下で、仏教はインドの国境を越えて拡がり、スリランカ、アフガニスタン、ペルシャ、そしてギリシャにまで至った。

その後も仏教は拡がりを続け、中国、東南アジア、東アジアにまで達した。

これらの地域では、仏教はその地域固有の文化と結びつきながら進化した。

中国では禅宗や浄土宗が生まれ、それらの宗派は独自の教義と実践を発展させ、地元の人々に受け入れられたのである。

また、日本では浄土宗や真言宗が広まり、独自の美学と芸術を育んだ。

これらの宗派は各地の文化と緊密に結びつきながらも、仏教の基本的な教えを保持し続けたというわけだ。

さらに、仏教はシルクロードを通じて中央アジア、そして西へと拡がった。

これにより、仏教の芸術や思想はペルシャ、ギリシャ、そしてローマにも影響を与えたといわれる。

また、グレコ仏教と呼ばれる文化が生まれ、仏教とギリシャ文化が融合した独特の芸術作品を生み出した。

仏教の現代への影響

現代では、仏教はその古代からの普遍的な教えと実践により、世界中で広く尊敬されている。

心の平和と調和を追求するその教えは、多くの人々にとって共感を呼び、心のガイドとなっている。

また、瞑想のような仏教の実践は科学的な研究によってその効果が認められ、ストレスの緩和、集中力の向上、感情の制御など、多くのメリットをもたらすと言われている。

さらに仏教は、芸術と文化にも深い影響を与えている。

仏教の建築、彫刻、絵画、文学、音楽などは、人間の心と精神を探求するその教えを表現するための手段として使用されてきた。

これらの芸術作品は仏教の普遍的な価値観を伝え、その教えを生き生きとした形で表現している。

それから、仏教は社会的な倫理や行動規範にも影響を与えている点も忘れてはならない。

仏教は慈悲、平等、非暴力を重視し、これらの価値を社会全体に広めることを目指している。

これらの価値観は、現代の多くの社会問題、特に暴力、差別、不平等に対する解決策を提供する可能性があるというわけだ。以

このように、仏教はその普遍的な教え、文化への影響、そして社会的な価値観を通じて、古代から現代まで、世界中の人々に語り継がれてきた。

そして、仏教は人間の苦しみからの解放を求め、人間の精神的な成長を目指す人々にとって、依然として重要な道しるべとなっている。

まとめ

仏教の起源、時代背景、仏教の拡がり、現代への影響という形で簡単に仏教にまつわる話題をまとめてみたが、いかがだろうか。

私は仏教の信者ではないし、簡単にまとめてみたので、細かいところでの指摘はあるかもしれない。

ただ、そういった指摘こそが無意味だとも思っている。

現代社会にも様々な宗教が存在している。

歴史の長いものもあれば新興宗教として、なんとなく成立しているものもある。

心身が弱っているときに寄り添ってもらえるということは心強く感じてしまうという人の心理はよく理解できる。

とはいえ、それを逆手に取って成立しているようにしか思えない宗教も少なからず存在しているように感じている。

なにが言いたいのかというと、個人的になにを信仰しても構わないが、自分の信仰を他人に押し付けるようなことはしてはいけないということだ。

また、私は会社やどんなコミュニティもある意味で宗教と紙一重だとも思っている。

つまり、その内部にいる人たちを外部の人が批判するときに宗教的だという言葉はとても便利だということだ。

本来、信念を共有するものが宗教の礎であって、それを押し付けるものではないし、共感できない人がゴチャゴチャ言うことではないということだ。


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株式会社stakは機能拡張・モジュール型IoTデバイス「stak(すたっく)」の企画開発・販売・運営をしている会社。 そのCEOである植田 振一郎のハッタリと嘘の狭間にある本音を届けます。