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故郷を離れて初めて見える故郷

人間青山(じんかんせいざん)
→ 世の中に出て活躍するならば骨を埋める場所はどこにでもあるということや志を貫くためには、故郷を離れて活躍するべきだということ。

人間青山の言うところの「人間」は世の中のこと、「青山」は墓を意味する。

初めて聞いた言葉だが、純粋にいい言葉だと思った。

確かにと思うことがいくつかあったので、まとめてみることにした。

思春期の故郷に対する想い

私自身の話になるが、故郷がある。

それは、stak, Inc. の拠点にしている場所でもある広島という地だ。

生まれてから高校生までは、そんな広島という地で育った。

ただ、思春期真っ只中の植田 振一郎少年は、広島という場所が嫌いだった。

その理由は至極単純で、狭すぎる街だと感じたからである。

もはや、街という言葉を当てはめるのも嫌なくらいだった。

こんな話をすると、広島といえば政令指定都市で人口も100万人以上いるから、それなりに栄えているという人が現れる。

それこそ、井の中の蛙大海を知らずといったところだが、広島は田舎だと宣言しておく。

どれくらい田舎かというエピソードがある。

それこそ、東京でこの話をすると驚かれることが多いのだが、広島市内で待ち合わせをする場面だ。

街に13時に集合で!

おそらくだが、この一言で、私と同世代かそれ以下の世代の人の8割〜9割の人は同じ場所に集まる。

それは広島市内にあるPARCO(パルコ)だ。

もう1つ、広島空港での待ち合わせする場面だ。

飛行機で広島に来るという人を迎えに行く際、どこで待ち合わせをすればいいか聞かれることがある。

そんなときの私の答えは次のとおりだ。

出口は1つしかないのでそこに向かって来てください!

いずれも本当なのかと驚かれることも多いが、本当のことだ。

広島空港で実際に待ち合わせをした人からは、言っている意味がわかったと毎回言われるのがお決まりのパターンだ。

なによりも広島では1人誰かを介せば知り合いにたどり着く。

そんな閉塞感だらけの地が本当に嫌だった。

ということで、田舎者特有の東京に憧れるという王道を進んでいったのが、私、植田 振一郎だ。

その後の故郷に対する想い

憧れた地、東京での生活は単純に刺激的だったし、たくさんの人にも会えたし楽しかった。

なによりも今の自分があるのは東京に行ったことは大いに影響していると断言できる。

ただ、誤解しないように言っておくが、だから東京を目指せという安易な主張をしたいわけではない。

1つの場所にずっといることはリスクだということが私が言いたいことだ。

別に今の故郷よりもずっと田舎のところへ行ってもいいし、日本のような小さな島国に留まらず、誰も知り合いがいない海外へ行ってもいいだろう。

そうすることで、故郷の良いところと悪いところの両方が俯瞰で見れるようになる。

そして、そんな故郷に対してなにか仕掛けをしても面白いかもと思い始めるタイミングが訪れる。

東京には一定数の特殊な人たちがいる。

それは、生まれてずっと東京しか知らないという人たちだ。

基本的に東京は田舎者たちの集まりなのだが、少数だが純正の東京しか住んだことがなくて故郷がないという人がいる。

そういう人たちからすると、故郷があるということだけで、1つのアドバンテージになるのである。

つまり、故郷を離れることで様々な経験ができることが、まずは財産となる。

そして、そんな財産と故郷をかけ合わせるチャンスが、故郷を離れたことがある人にだけ訪れる。

物理的な距離の変化

テクノロジーが物理的な距離を埋めている。

リモートという概念が拡がり、スマホ1つで仕事ができるという人もいる時代だ。

となると、1つの場所に留まっていても十分だと考える人もいるだろう。

確かに言いたいことは理解できるのだが、それでも私は多くの場所に訪れるべきだと思っている。

日本国内はもちろん、海外においても、ライブ感は現地に行かなければ味わうことができない特別なものだからだ。

ただ、私が東京で10年間くらい過ごしたことを考えれば、そんなにも長く留まっている必要はなくなったと言えるだろう。

新たな土地で生活を始めると、その土地の文化、慣習、風俗、言葉、人々との関わり方など、新しい経験ができる。

旅行で訪れるのとは違い、その土地で生活するというのはそれ自体が新しい視点をもたらしてくれる。

これは文字どおり、視野を拡げることであり、思考や意識の拡がりをもたらす。

また、新たな環境で生活することは、自己成長につながる絶好の機会だ。

自分の行動範囲や能力を拡張し、新しい挑戦を受け入れることによって、自己の価値観や能力を拡大し、より大きな自己認識を得ることができる。

さらに、新たな環境では、それまでの生活では経験できなかった新たな問題や課題に直面する。

これらの課題を解決することによって、新たなスキルや能力を身につけることができるというわけだ。

肝心なことは、この部分は現在進行中にはわからないということへの理解だ。

あのときの経験が活きるということが理解できるのは、すぐかもしれないし、人生のずっと後半のことかもしれない。

でも、どこかで繋がることはあると私は自分の経験から断言できる。

リアルはなによりも説得力があるからだ。

故郷を別の角度から見るきっかけ

私の場合になるが、2010年の年末から少しずつ上海へ行くようになった。

そして、2011年3月から2年と少しの間、上海で過ごした時期がある。

当時は東京を拠点としていたが、日本を故郷と捉えたとすれば、故郷を離れて新たな環境に身を置いたということになる。

そして、私には広島という地元があるため、東京と広島のことが中国人に語ることができた。

話をしているうちに、故郷の良い面、悪い面、改善すべき点、保持すべき点などを自分でも驚くくらい理解することができたという経験がある。

それは、どちらが正しいとか間違っているとかそういうことではなく、簡単に良いところだけを吸収すればいいというマインドが働いたのを覚えている。

上述したとおりだが、2010年、2011年の当時でもある程度のテクノロジーは使えた。

具体的には、当時でもリモートワーク、ビデオ会議、SNSなどを使えば、どこにいてもコミュニケーションが可能だった。

ただ、やはり現地のライブ感は重要だという結論は変わらない。

その理由は、くり返しになるが、その場所の空気感や文化、人々の暮らしを肌で感じることは物理的にその場にいることでしか得られない経験は後に活きてくるからだ。

故郷と新たな場所とのバランス

故郷を離れて新たな場所に移ることで得られるものは、そこで生活することの経験だ。

その経験はできるだけはやい方がいいと思っている。

というのも、私の姉はアメリカのテキサス州、ダラスにあった大学に通っていた。

姉が大学生だった当時、1つしか年齢が変わらないのもあって、いつでもアメリカに来ればという誘いがあった。

ただ、当時の高校生だった私は海外のことなど全く興味がなかった。

アメリカなんて知らなくても十分活きていけるし、いつでも行けるだろうと高を括っていたくらいだ。

今思えば、あのときに行っておけば良かったと思う。

stakという、ちょっと便利な電球をつくることになって、ピッチに参戦する機会も多かった。

その成果として2019年5月にニューヨークとピッツバーグに行けるという経験が積めたが、それは30代後半の出来事だ。

ましてや、アメリカは広い。

テキサス州のダラスに行けるチャンスがあったのは、25年以上も前のことだが、未だに行けていない。

そう、私はチャンスを逃したのである。

ということで、外に出ることの重要性は十分すぎるほど述べたと思う。

その一方で故郷に根ざした活動にも目を向けるべきだということも書いておきたい。

故郷を離れて得た視点や経験を故郷に還元することで、故郷がより良い場所になる可能性があるからだ。

もちろん、そんな大きな視点で見る必要もなく、なぜ故郷がそんな感じなのか、理解ができるようになる。

このことがとても重要だと思っていて、故郷を離れたことがない人に地方創生などできないということだ。

まとめ

人間青山という四字熟語は、故郷を離れて世界を見てみるというシンプルなメッセージを伝えているように見えるが、より深い意味を持っているというのが私の解釈だ。

それは、自分の人生に対するコミットメントと、自分自身を理解し、成長するための道を模索することの重要性を示しているといっても過言ではない。

また、それは、自分の故郷に対する深い愛着と、その地をより良い場所にしようという強い意思を持つことに繋がる可能性を示唆している。

故郷を離れることは、必ずしも全ての人にとって最良の選択ではないかもしれない。

けれども、それは新たな視点を持つための1つの重要な手段であることに変わりはないと思う。

そこで得られる経験を通じて得た知識や理解は、人生のどの段階でも自分自身や他者、そして故郷に対する貢献に役立つ可能性が高い。

もしかすると、人間青山は自分自身と他者、そして故郷に対する深い思いやりと敬意を示す言葉なのかもしれない。


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株式会社stakは機能拡張・モジュール型IoTデバイス「stak(すたっく)」の企画開発・販売・運営をしている会社。 そのCEOである植田 振一郎のハッタリと嘘の狭間にある本音を届けます。