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ステージタイムズNO.0 廣長優志氏インタビュー

株式会社ステージは廣長優志さんとアスリートキャリア支援事業において、アドバイザー契約を結びました。
1996年には日本代表として出場するなど、輝かしいキャリアを歩んでこられました。現在は指導者としても活躍されている廣長さん。
そんな廣長優志さんの過去と今に迫ったインタビューを全文公開いたします。是非ご覧ください。

経歴
廣長優志(ひろながゆうじ)
1975年7月25日 大阪府出身
1994年 - 2001年 ヴェルディ川崎/東京ヴェルディ
1969 1996年 アトランタ五輪代表 出場
1998年 - 1999年 途中 ガンバ大阪(期限付き移籍)
2002年 横浜FC
2003年 - 2004年 セレッソ大阪 引退表明
2009年 EDCスクールを開設(大阪府枚方市・京都府西京区・宇治市)
現在は指導者として活躍中。

廣長さんが開催されている昨年のHIRONAGA CUPの様子

【サッカーとの出会い】


毛利
サッカーを始めたきっかけはなんだったんでしょうか?

廣長
これまで取材でもよく聞かれてるんだけど、6歳やったと思う。6歳のときの誕生日プレゼントに多分サッカーボールを買ってもらったことが大きい。幼稚園ぐらいから近所のお兄ちゃんたちと一緒にボール蹴ったり、キャッチボールしたりとかいろいろ遊んでる中で。今みたいに公園で野球したあかんとかっていう時代じゃないから。
その中でも周りのお兄ちゃんたちがサッカーやっている子が多かったから、枚方FCというクラブチームに入ったという流れ。

毛利:廣長さんって、ご兄弟っていらっしゃるんですか。

廣長:弟がいるかな。弟も枚方FCでサッカーやってた。稲本潤一選手と一緒。四つした。そのときはもうガンバ大阪ができてたから。枚方FCでやってたけど、勝たれへんわね。もう強い強い。

毛利:中学校に上がるタイミングで、中学校での部活だったり、違うクラブに行くという選択肢があったと思うのですが、それはあんまり考えなかったのでしょうか?

廣長:そもそもガンバ大阪とかセレッソ大阪とかJクラブのジュニアユースはまだない時代。地元大阪の枚方では、枚方FCっていう町クラブがあり、小学校から高校生までがプレー出来る。
中学校までは地元の学校へ行きながら、枚方FCでプレーする。
高校に入るときに、選手権目指すために強豪校に行く子達もいれば、そのまま普通の公立高校行って、枚方FCで高校生までやる人もいるという感じ。
教えてもらってたコーチたちがみんな大学生で、枚方FCのOB。
関大とか神大、京大とかいろんな大学に進学した人達が、ボランティアとして教えに来てくれるっていう流れがあった。

【桐蔭学園時代の話】

毛利:逆にそこから桐蔭学園高校にいった理由はなんだったのでしょうか?

廣長:大阪さらには関西は一応一通りのレベルもわかったというのがあった。
関西選抜として中学校3年生の時に入ったので。「上を目指すなら、大阪を離れたい。外に出たい。」って思っていた。中学校3年生になる春休みに全国大会(全日本中学生選抜大会)が東京であって。

関西選抜として関東、四国、九州、東北、…などが出場した大会に出場した。結果は確か関西と関東が同時優勝やったかな。そこに桐蔭学園のスカウトの方が見に来てくれていたのかな?
大会出場者からさらにジュニアユース日本代表が選ばれたんやけど、最終的に残ったのは、川口能活と俺と城彰二と読売クラブの和田、そして内野っていう5人。最終予選にジュニアユース日本代表としてアジア予選の遠征に行った。U16になるのかな。今で言ったら。


桐蔭学園が大阪で松下電機クラブという(ガンバ大阪の前身)社会人クラブと高校生が練習ゲームも兼ねて枚方FCもその中に混ぜてもらって、枚方FCのユースと桐蔭学園と試合をする中に、中学生1人だけ枚方FCで入れてもらって、俺を見に来た、見に来たというか取りに。その遠征がてら。(当時廣長さんは枚方FCのジュニアユースに所属。)
長谷部先輩が1期生なので、桐蔭学園が強くなりだしてからの。
長谷部先輩はもう卒業してて林健太郎さんが3年になるときに取りに来た。俺が中三やから、入れ違いやから、林健太郎さんと松下(ガンバの前進社会人のクラブ名)が練習試合をして大人やけど、その後、枚方FCユースと桐蔭学園やって、1対7でボロ負けやったけど、もちろんその一点を俺が取って。
桐蔭学園の監督李(李国秀監督)さんがもうなんで中学生に入れられてんねんってめちゃめちゃ怒ってたっていう。(笑)でそこでほぼほぼ決まったのかな。

毛利
枚方FCって、サンガにもいた石丸清隆さんとかも出身者ですよね。

廣長
丸君は二個上です。桐蔭学園とやるときに一緒に出ました。

毛利
さらにマニアックな情報としては、去年までサンガのトレーナーをやられていた岩城さんも枚方FC出身とWikipediaに書いてありました。

 廣長
岩城さんは枚方FCにおったらしいねんけど、もう全然上やからわからへん。

毛利
同期では元日本代表の森岡隆三さんがおられますね。

廣長
同期では俺と隆三と橋本という3人だけ高卒でプロに行った。この2人はアントラーズって、監督の李さんの方針かな。
あと同期には三上和良とか、あと金子誠甲府でプレー)っていうのがいるわ。甲府でちょっとだけやってる、この辺はみんな駒澤大学に行って、大卒でプロに行ってるかな。

毛利
当時のポジションは?

廣長
中三まではアタッカーやった。センターフォワードとかミッドフィルダーの前めのポジションかな。高校一年生のときに選手権出るときに、昔で言う「リベロ」のポジションにコンバートされた。元々リベロやってたのは、先輩の松川友明さん。サンガにいたと思うんだけど。(2000年 - 2002年所属)
松川さんのポジションを1つあげたいから、後ろが空くということで俺を抜擢したんよ。

毛利
高一でリベロに。

廣長
そうそう。
高二以降もリベロやったりボランチやったり。高三のときドイツ遠征に行ったときはセンターフォワードやった。

毛利
YouTubeで見たのですが、日本でシュトゥットガルトと対戦されてましたよね?

廣長
三ツ沢スタジアムで清水商業と国見とシュツットガルトを桐蔭学園が招いて大会を開いた。桐蔭のOB会長が、全部あれ実費で。

毛利
実費!?

廣長
あの桐蔭学園のサッカー部のグラウンド、サッカーのコートと野球場のコートはそのOB会長が1人で実費で出してる。

毛利
そんな資産家なんですね…

廣長
もう年商何千億の実業家やから。会長が桐蔭学園と駒澤大学のOBで。
桐蔭学園から駒澤大学にみんないい選手は送りこんでた。俺は高卒で直接プロに行ったけど、山田卓也(元日本代表)先輩、栗原圭介先輩、林健太郎先輩、米山篤志とか小林慶行(現ジェフ千葉監督)と戸田和幸・盛田 剛平とか下の代にもいっぱいいるけど桐蔭学園から駒澤大学に行くというルートが出来たんよね。

本当はそのOB会長は桐蔭学園と駒澤大学のOBで、Jリーグのチームを作りたかったわけ。監督李さんでっていうそういう構造やってん。だけど50歳くらいで亡くなっちゃって。OB会長が亡くなってしまった後、桐蔭学園と李さんの関係もなくなってしまった。

毛利
なるほど。

【シュトゥットガルトが日本に来た理由は…】

まず、俺が高3になる春休みに桐蔭学園ドイツ校が開校されることになって。神奈川の桐蔭学園サッカー部がドイツ校開校記念として、ドイツで行われる国際大会に出ようってなって遠征した。バイエルン・ミュンヘン、シュツットガルトなどが来てた。バイエルンミュンヘンの監督はそのときゲルトミュラーやってん。で、そのときに桐蔭学園が優勝したのよ。バイエルンとか、シュトゥットガルトとかにほとんど勝って。

それで俺が得点王とMVPを取って、スカウトされたのよ。
日本にシュトゥットガルトU-19を呼んで試合したのは、俺がシュトゥットガルトに行くか行かへんかっていう話があり、俺のプレーをチェックするためもあったのかな。三ツ沢でやった4試合が終わった後に李さんところにスカウトから契約したいみたいな話があったのかな?
李さんから「シュトゥットガルトからオファーが来てるから、一旦親と相談してこい」と言われた。

夏休みお盆に大阪帰って、もちろん俺は「ドイツ行く」って親父も「行ってこい」と。Jリーグできてちょうど1年目の頃かな。
帰ってきて李さんのところに話に行ったら「ヴェルディに決まったから」って言われてん。

毛利 えぇー

廣長
「えっ、相談してこい言うたのに…」となってんけども。よくよく考えたらそのときのヴェルディってみんなすごいスター選手で、人気もあるし、日本代表選手ばっかりやし。Jリーグのチームに行くなら、当時の状況を見ていて、ヴェルディしか考えていなかったから。

毛利
ちなみに、当時のシュトゥットガルトのユースの監督があのラングニックですよね。

廣長
へぇ、それは全然覚えてない。

毛利
今最先端って言われてる人のもとでやってた可能性もあったんやと思って。
ただ、オファーがあったのはユースの上のトップチームですもんね。

廣長
そう。俺も向こう行ってたらどうなってたかわからへんけどね。

毛利
ブンデスリーガで活躍した歴代日本人選手というと、奥寺康彦さん、尾崎加寿夫さん、風間八宏さん…その後10年以上空いて、2000年代以降に高原直泰さん、稲本潤一さん、小野伸二さん、長谷部誠さん…と続くのですが。風間さんの後に廣長さんがブンデスでプレーしてた可能性があったということですよね!
しかも、18歳で行った人は初めてじゃないすか?

廣長
オファーだって今みたいにないもん。

毛利
まだ中田英寿さんがセリエAに行く前ですもんね?

廣長
全然全然。そのとき海外に行くルートっていうのほぼないから。だからもう監督しかいないよ。李さんが進路を含め、いろいろと考えてくれて、俺と茂さん(長谷部)、戸倉さん(健一郎)
3人をヴェルディにいれると決まった。

李さんは当時のヴェルディの社長とも仲良かったし。この前無くなった森下さんっていう方で。俺が入ったとき、社長室よう遊び行っててん。ほんまにめっちゃ気に入られてて、もう毎日のように練習終わったら社長の顔見に行って、いろんな話してて。めっちゃ好きな社長さんやった。

【桐蔭学園vsシュトットガルトを見た感想】高校時代

毛利
30年前ですか。こんな洗練されたフットボールが行われているのかと。思ったんです。

廣長
相手?こっち?

毛利
両方うまいです。

廣長
桐蔭学園はそのときって勝ち負けにこだわったサッカーじゃなくて、綺麗・エレガントというか当時の最先端っていうか、頭使ったり、判断を重視したパスアンドゴーのサッカーをやっていた。

毛利
そういうことですか。

廣長
李さんの指導で3年一緒にやってるメンバーやからある程度わかってて、お互いの動きとか得意な形もわかってるし、逆に欠点があればそれを補い合うみたいな。
俺の2個上の学年が出てたのが3人ほどで選手権に出たときは3人プラス、あと全部1年2年でやってたからドイツ行ったときはこの1年2年が主体だったかな。

毛利
それでほとんど勝って優勝したんですよね?
今とは一概に比較出来ないですが凄いですね。

【指導の方針】

毛利
スクールの指導の方針についてなんですけど、サッカーIQを高めるという方針をおっしゃってると思うのですが、それはやっぱり廣長さんが同じように育てられたからなんですかね?

廣長
多分そういう力がないと、上でやっていけない。うん、多分無理やと思う。ロボット的な頭だと。チームによって選手人も変わるし、監督も変わるし、戦術も0から頭に入れなあかん。
対応能力や柔軟性が必要。上に行けば行くほど。

毛利
例えばバルサアカデミーの日本校みたいなのがあって、バルサ式で習うとかについてはどう思いますか?

廣長
あれはあれでいいと思う。
たとえばレアル・FCバルセロナとかそれぞれのメソッドがあって、とか…チーム毎に違っているやり方を全部受けてみて、対応できるところを抜粋していったらいいように思うけど。入ってないと選べないから。

毛利
一通りを経験してみるのはいいかなって感じですかね。

廣長
それは全然いいと思う。

毛利
日本って極端だなぁと思うことがあって。バルサ式がめっちゃいいっていうときもあれば、とにかく自由を重んじるブラジル式だという時期もあったり、コロコロ変わるじゃないですか。

廣長
確かにジーコのときは個性を尊重するし、同じブラジル人でもネルシーニョは厳格にやるサッカーを徹底してるし。あと日本代表では、西野さんとか岡田さんのときは限られた時間のなかで、作りあげたチームで、その分選手と監督が一致団結して。逆にそれがいいのかもしれへんけど。

毛利
そういうときに日本代表が意外に成果を出したり。

廣長
たとえばトルシエのときはフラットスリーやったりとか、徹底したやんか。西野さんや岡田さんの時って、選手に柔軟性がないと作りこむ時間はなかったから、成り立たなかったかな。

毛利 
少し話はそれるのですが、野球ではなくサッカーを選ぶ人の傾向について僕の仮説があって。僕自身、小中高はサッカーをやっていたんですが、僕は元々野球少年だったんですよ。Jリーグが始まったし、純粋にサッカーが面白いというのがありますが、野球部だと坊主頭にしなきゃいけなくて、あれは嫌やていうのでサッカーを選んだんですよ。
やっぱりヴェルディのカズさん、北澤さん、武田さんとか、もちろん廣長さんも(笑)華やかな選手かっこいい!みたいな。カッコ良さと自由を求める人が、サッカーに行ってるんかなと思うんですよ。他の国に比べてね。
ベースにはラモスさんとかジーコとかブラジルの影響があって、「キャプテン翼」もそうですけど、ブラジルの影響を受けてるじゃないですか。Jリーグ開幕以降の日本サッカーのベースがどっちかっていうと自由や個性を生かすみたいな方向性があるのかなって。
どちらかと言うと言われたことをやるのが得意という日本人の本性とは逆なんかなって思う。
ここからが仮説なんですけど、日本代表がトルシエとかハリルとか、結構ガチガチに言う監督の時にうまくいかへんのって、結構自由主義の選手が多いからちゃうかなと。
想像なんですがトルシエとか、ハリルは日本人って勤勉で言われたことやる国民性だって聞いてるから、ガチガチに言ってみたら、「いやめっちゃ反発してくるやん」ていうに感じなんかと想像しているんです。

逆転現象が起きているのかなと、森保さんは結果的には上手くいった面もある。選手の采配とタイミングが考えられていて何が言いたいかっていうと、日本代表の選手のキャラクターって、結構国民のキャラクターと違うかなとかって思ったりするんです。

廣長
それはあるかもね。

毛利
だから、そういうのをザッケローニとかオシム。比較的そういうのを理解してくれたみたいなと言われているじゃないですか。でもW杯で結果出したのは岡田さんと西野さん、森保さんじゃないですか。
一方世界トップのマンチェスター・シティとかでも、めちゃくちゃ世界のトップの選手がペップのような監督が示す戦術の駒となってプレーするのが普通じゃないですか。今後の日本サッカー・日本代表がどういう方向性にいくのかっていうのには興味があって。

廣長
何かの真似をしてたら多分無理やと思う。できへんから。

毛利
なるほど。そこはやっぱり、そう思いますか?

廣長
できへんと思うわ。例えばスペインのパスサッカーと比較しても、技術的にもそうやし、サッカーIQ的なところも全然違う。一時期スペインがW杯優勝したときってバルサの選手がめっちゃ多かったはずやねん。バルサの選手って、幼少期からバルサのサッカーを戦術的なものを植え付けられているから。
バルサのサッカーってよく攻撃にフォーカスされるけど、実はディフェンスの方が大事なわけ。
メッシは別やけど…結局、ディフェンスのときにイニエスタにしてもシャビにしても、運動能力的にはそんなに高くない。ただ頭の中が上回ってるから、余計な動きがなくて、先を読んでる。
例えば、「こういうふうな角度だったら絶対にここにはボールがこない」っていうのが分かってる。だからもうそこはもう完全に捨てる。その積み重ねで1人1人が余計な力を使わなくていいから、少ない人数で対応できるとか。多分そういうのって教えられるもんじゃない気がする。
結局サッカーって動いているから。将棋とかじゃないからゆっくり考える時間もないし。

毛利
この間イニエスタを観れるのが最後になるかもしれないって思って、マリノス戦を見に行ったんですよ。イニエスタ控えで最後10分だけ出てきたんですが、さすがでした。運動量はもちろんそんなに多くないんやけど、ちゃんとボールが来ると予測したとこにいるなって思いました。相手のクリアーが跳ね返ってポーンって飛んだところに、イニエスタが悠然と歩いていて、スポンッて足元に止まったんです。「おお」と思ったんですけど、こんなんが普通なんでしょうね、多分。

廣長
そうそう。予測する力とか駆け引きとか、それは教えられへんとこやから。
だから、日本サッカーはまだ多分確たるものは何も見つかってないんちゃうかな。


元サッカー日本代表監督を務めた岡田 武史氏とのツーショット
※EDCスクールがEXILEカップ全国大会で優勝し、副賞のドイツ遠征にて

【EDCスクールについて】

スクールについてなんですけど、対象は小学生でしょうか?

廣長
4歳から12歳(小学校6年生)までが対象。

毛利
それはなぜですか?中高が部活やジュニアユース・ユースがあるからですか?

廣長
基本的なものはもう中学サッカー日本代表。
基本、そこで身につけておかないとプロになるには無理かな。
だからその前段階である12歳までをスクールでは対象にしている。

スケボーとかスノボとか金メダル取ってる選手みんな10代とか20代前半とか若いやん。自転車もそうだし、ゴルフですらそう思うし。全部のスポーツに共通するんちゃうかなぁ。それで25、26歳とかになるともう脂乗りきってくる。経験値として積み重ねたものが発揮されてくる。

毛利
なるほど。

廣長
技術的なものは遅くとも18歳までには決まる。
よくカズさんがいつまでたっても上手くなりたいとかって、カズさんは別やね。うまかったものを継続させたいっていうところも含めてだと思う。

脳科学的な観点でも一番吸収しやすいのは3歳とか4歳までやっていうでしょ。技術的なものって多分、幼少期の頃で決まっちゃうから。運動能力とは別の話で。

【素質について】

毛利
素質は何割ぐらいやと思いますか?

廣長
サッカー?スポーツに関しては素質も8割ぐらいと思ってる。
あと努力とセンスとかは1、2割、多分もう素質がないと無理だと思う。生まれ持ったもののベースがあって、あとはその自分の足りないところを努力することかな。


毛利
例えば岡野雅行さんとかはね、正直技術的には…

廣長
上手くはないで。

毛利
僕からはそんなこと言えないですけど(笑)
もうめちゃくちゃ足速いから、何度もトライして、ジョホールバルではフランスW杯行きの決勝ゴールを決めたわけじゃないすか。

廣長
素質やねん。生まれ持ったもの足が速いとか。

毛利
それが武器になるわけじゃないですか。それってすごいことですよね。

廣長
うん。下手な選手はいっぱいいる。ただ、上手いだけじゃサッカー選手になれないし。

【EDCスクールの始まり】

毛利
サッカースクールを始められた経緯は元々知り合いの方がスクールやってらっしゃったというのが入口だったんですよね?

廣長
同級生がね、一緒にやろうっていう。
事業としては0からのスタートで、最初なんて生徒が6人からスタートやで。

毛利
グラウンドはまだ自前ではなくて?

廣長
そう、みんな借りてたよ。
生徒が増えないとコート代も払われへんから、最初京都でやるときは桂の9号線沿いの「ケルビト」がフットサル場作った時に、外から見ててもやってるのが宣伝になるっていうところで、よく使っていた。

毛利
廣長さんみたいなプロバリバリの人でも,最初は生徒6人やったんですね。

廣長
そうそうそう。だってSNSもないし。
ホームページいきなり作ったとしても、見てもらえへん。

毛利
存在を知ってないと。

廣長
存在を知られなきゃいけないし、そうだね。例えばいくら良い商品があったとしても、知られないと買ってもらえないし。今やったらいっぱい発信ができるやんか。

毛利
全然違います。

廣長
なおかつ俺らが最初やったときって、まだスクール自体が少なかった。

毛利
なるほど。

廣長
今はすごい多いから。あっちこっちを見比べて選ぶんやと思う。親御さんも含めて。


廣長さんが開催されている昨年のHIRONAGA CUPの様子

【引退後のセカンドキャリアについて考えていたこと】

毛利
引退後については、代理人の仕事といくつかの仕事を並行で考えてて、そのうちの一つがスクールだったんでしたっけ?

廣長
いや、当初スクールは全く考えてなかった。

毛利
そうですか。

廣長
うん、たまたまかな。元々は一緒にプレーしてた選手達に対して、エージェントの資格を取って、俺がエージェントやれればいいかなと思って。でも今はスクールで育った子達が必要となった時に、エージェントをできればいいなっていう風に変わった。

毛利
なるほど。

廣長
プロになりたての選手に対して、全く知らない人があなたのエージェントやりたいんですって言われてもあやしいと思われるだけ。
何の情報もない知らない人よりは、ちっちゃいときから見てくれてる人の方が信用もあると思うし。
スクールの卒業した子たちも、Jの下部組織に入ったり、強豪チームでやってるとか、卒業してからも連絡を取ってたりもするよ。


香川真司氏とのツーショット
※EDCスクールがEXILEカップ全国大会で優勝し、副賞のドイツ遠征にて

【プロになる選手の素質とは】

毛利
スクールを卒業した時点で才能のある子は順調にキャリアを積んでいるものですか?

廣長
そんなことはないと思う。
医者の人も言うけど、1日10時間勉強できる子は医者になれるっていう。でも普通は忍耐力が続かないと思うし。

毛利
サッカー選手も同じですか?

廣長
好きやったらできそうやん。
ずっと外で遊んでボール蹴って10時間あったら、休憩しながらでも。目標・夢とかがあれば多分できると思うけど。なれるかなれないかは知らないけど。
あとは素質やな。素質は7、8割ぐらい占めてもおかしくない。

毛利
それは指導者をやってより一層そう思われたんですか?

廣長
いや全然最初から。現役のときもそうだし、ちっちゃい頃からそう思ってた。足が速いとか、背が高いとかって、急には変われないでしょう。今の時代やったら、足の速くなるトレーニングっていうのはあるけど。

たとえばアフリカの子と、日本の子が同時におぎゃあと生まれても、育つ環境が全く違う。こちらは、整った平坦なグラウンドでやってる。向こうはもう裸足で、石ガタガタなところで坂もあるような環境でやっていると、日常生活で勝手に鍛えられてる。

当時G大阪で一緒にプレーしたエムボマ。すごい身体してるんやけど、鍛えないのにもう出来上がってる。筋トレマシーンとかやってる姿はほんまに見たことないねん(笑)筋肉もカチカチじゃなくて、弾力性のあるというか…

エムボマに限らず外国人選手に関しては筋トレしてるとこあんまり見たことない。腹筋してる姿ですら1回も見たことない。

毛利
それでも全然吹っ飛ばされるんですね。
日本で一時期スペインサッカーを参考にしようっていう機運が盛り上がったのは、スペインの人は小柄やし、体格も比較的近いから参考にしようってことになったんでしょうかね。

廣長
ただ、スペインは国としてメソッドみたいなのがしっかりしてるんやと思う。だから無駄がない。岡田武史さんが「岡田メソッド」ってやってるけど、やっているのは一部の人やから。
本来なら目的や最終ゴールを定めて、いろんな教え方があったとしても一つの方向に進んでいけば、ある程度確立できると思う。
でも今のようにそれぞれ違うことやってて、ゴールもやり方もバラバラのものを無理やりまとめようっていうのは難しい。

毛利
大谷翔平は野球にいっちゃったわけじゃないすか。大谷翔平がリフティングしてる動画を見たら「結構うまいなぁ」と思ったんです。あの身体能力でサッカーやったら、多分普通に代表入るじゃないですか。日本ではお金が一番儲かるのは野球やし、そういう身体能力高い人達が取られちゃう。

一方、クロアチアとかチェコとか、明らかに日本より人口少ないけど、恐らくサッカーに全振りしてるから強いかなと思う。日本はこれだけスポーツも色々あるし、よっぽどサッカーが夢のある職業っていうのにならないとなかなか素質のある選手出てくるのが、難しいかなと。

廣長
だから現状それだけ魅力あるものになってないってことだよね。

毛利
多分そう思います。ただJリーグって「まだ30年の歴史か」と思うこともあって。30年でよくここまで発展したなと。

廣長
ただ、今はチームが多すぎるのかな。もっと絞ってもいいと思うし、厳しくしてもいいと思うねん。間口だけが広がって。ちょっと中途半端かなと思う時も。

毛利
僕もそれはちょっと思います。

Jリーグの「プレミアリーグ構想」っていうのがあるみたいですね。トップリーグを大都市圏の10チームに限るというやつ。そしてもっと東南アジアとかにマーケットを広げていって、ビジネス的な拡大を目指そうという路線。それはJリーグの理事をやっていたホリエモン(堀江貴文さん)が著書に書いていました。勿論それがいいのかどうかはわからないけど。
島根のチームが潰れてしまったことがありました。選手やスタッフが給料貰えないとか。
Jリーグが拡大して幸せになったんかっていうと、必ずしもそうとは言えないかなと。不幸になっちゃった人もいるのかなとも思います。
ちょっとチームを増やしすぎなのかなという気がします。
サッカー選手のセカンドキャリアの話も、チームを広げすぎたことによる弊害が今後出てくるんじゃないのかなと想像しています。

【指導者として大切にしていること】

毛利
サッカーめっちゃ才能のある自分の教え子達に「お前はこうやったらプロなれるぞ」とか話をすることってあると思うんですよ。どういうふうに声をかけますか?「絶対なれるから頑張れ」って言うことはありますか?

廣長
言わん。絶対になれるっていう保証した子は今まで1人もいない。

毛利
極端な話、幼少期の宇佐美貴史選手に出会ったら、「お前はもうプロいくやろう」みたいなことってないですか?

廣長
順調にいくとは限らず、ユースまでで消える子がたくさんいる。
結局は、その子が進んだ道の中にちゃんといいコーチがいるかどうか。環境もそうやけど、一番は人やねん。教えてもらう人、関わる人次第で、この子があかんようになるかそれとも何の弊害もなくすっといくか。
ぶつかって止まる子もいるし。まずは人、次に環境。

毛利
そこはね、全部コントロールできないですよね。

廣長
俺はずっと見続けることはできないから、卒部の時に確認するのは一つだけ。

「自分のいいとこを自分で理解してるかどうか」

自分の一番のアピールポイント、ここは人より勝ってるっていうところを言ってもらう。俺が思ってるものとこの子が思ってるものが一致してない子は自分のことをわかってないねん。

毛利
客観視できてないってことですか?

廣長
そう。自分の良さがわかってる子は、足りないものもわかるやん。その子に関しては全然心配してない。
わかってない人に俺からは言わへん。これは自分で気づいてよっていうところもあるし。

毛利
人を凄く見てはりますね。

廣長
俺は人をめっちゃ見る。
「こいつにあんまり言い過ぎたらあかんな」とか、「ほっといた方がいいな」とか、「今言ったら多分変な方向行くな」とか。

順調にいってるやつでも中学校入ったら友達も変わるし、悪いやつらとつるんだり、フラフラする奴がいる。遊び方がやっぱり自由やし。
あとは進んだチームのコーチと合わないから試合に出られへんとか。
「俺はこうしたいけど、チームの戦術には合わせれなくて試合に出れない」とか。そういう子は大学まではサッカーも続けへん。

毛利
なるほど。

廣長
教え子の中で大学までサッカーやってる子は、ほんまにサッカー選手になりたいとか、そういう意志があるから続けてると思う。

毛利
なるほど。
「サッカー選手になれなかったらどんなことしたいかは考えとけよ」みたいなことって言うのですか?

廣長
俺が見るのは結局小学校の6年生までで、その後Jリーグの下部組織に入る子たちは夢見てるやん。そこで俺はそのサッカー選手になれなかったときのことは言わない。まだまだまだ小学生やし。ただ、中・高と進むにつれて自分でわかってくるわ。
プロになるまで努力続けられるかどうかというところと、
プロになれるかなれないかっていうことは俺が言うまでもないし。

毛利
なるほど。

廣長
毎年3月の最終週の練習で6年生だけに最後必ず話をする。
子供らがいて、親御さん最後周りに集まってる状況。
サッカーのことはもう親御さんにはほっといてくださいって言う。その代わり、学校の授業出ることや提出物をちゃんと出すとか、そこはガミガミ言ってくださいと。普通にやることをちゃんとやろうということは伝えるかな。テストの点はどうでもいいねんけど、ちゃんとやることをやらないと行きたい高校にも行けへんし。今評定が良くないと、どんだけサッカーうまくてもとらへんっていう。3年後高校を選ぶ時に、俺が言ってた勉強を普通にやっといたらよかったって思わんようにそれだけはきつく言う。

毛利
まずその考え方は、僕らの立場からめっちゃ納得するんですけど。指導者でも、みんながみんなそういうのはあるわけじゃないじゃないですか。

廣長
違うと思うで。多分。

毛利
廣長さんがそういうふうに思われるのは、やっぱりそういう指導を受けてきたからですね。

廣長
俺が小さいときはJリーグがなかったから、プロでやるなら海外でしかない。スポーツで飯食うなんて考えられない時代だから、サッカーなんて第4第5。第1、第2、第3ぐらいまで勉強が優先やった。これやらないとサッカーさせないって言われた。

俺らの時代の桐蔭学園高校ってすごい進学校で。東大進学率一番やった。
うちの親は俺が大学に進んで、スポーツやってるから体育の先生になれたらいいかなという感覚やった。

毛利
なるほど。

廣長
うちの親父は団塊の世代で、めちゃくちゃ厳しかった。続けられへんやったら最初っからするなという考え。何かやるなら一番を目指さないと意味がない。スポーツもそうやし、勉強もそうやねん。

勉強できへんかったらサッカーつまり一番好きなものをやめさせる。だからよくサッカーボールとかランドセルとか全部家の外にほうりなげられてた。(笑)門限それも守られへんかったら、鍵閉められて。追い出されて。

毛利
うわぁ。厳しいですね。
ところで、サッカーの素質的なところは何かご両親の影響とかあるんですか?

廣長

両親とも、足は速かったし、運動神経もよかったと聞いてる。
俺も運動神経は元々良かったかな。1年生の時に6年生とかと一緒に遊んでたから。よく考えたら、投げたり打ったりするのは相当できたよなと思うんよね(笑)

毛利
確かに(笑)
話を戻すと、今なかなか厳しく育てるって難しいじゃないですか。

廣長
教師もそうだし、コーチもそうだけど、俺の時と今の時代では変わってきているもんな。

【セカンドキャリアについて】

毛利
どっかのタイミングでサッカーを諦めなきゃいけない時が全員に訪れるわけですよね。

廣長
うん。

毛利
まずは本当にトップオブトップのプロが引退したっていうケースを考えてみたいと思います。
廣長さんは完全に日本サッカー界の中ではトップの範囲入ってはると思うんですけど。

廣長
そうかな。(笑)

毛利
例えば廣長さんと本当に同じくらい上り詰めた人はどんなセカンドキャリアを歩んでますか?

廣長
どうかな、サッカー監督、指導者。小・中・高・大全般やね。他にはタレントとか。それが普通っていうか、何て言うのかな。どうやろ。

(ここでアトランタ五輪代表メンバーのリストを見る)

毛利
やっぱりこのアトランタ五輪のサッカー代表のメンバーを見ると早々たるメンバーで。皆さんが活躍して。

廣長
沼津でテル(伊東輝悦氏)はまだやってるな。あとは全員辞めてるわ。

Jリーグ創設期を共に戦った3名。
左から廣長氏、北澤豪氏、三浦知良氏



毛利
そうですね。企業で働く方はいらっしゃいますか。

廣長
いない。企業で働く方はいないというか、まだそういう選択肢が少なかったと思う。多分、できへんのちゃうかな。
そういう元選手達は自分で何か起業したいとか、何かをやりたいっていう人たちが多いから。

毛利
現役選手から何か相談を受けたりあるのですか?今、指導されて教えられているのは小学生だと思いますが。
たとえば10年前とかは、そういう相談があったとか、今まで、廣長さんが引退された後に、その後輩から進路についてとか。

廣長
いやないな、別にない。

毛利
それはそういうもんですか。

廣長
何をしたいか自分で決めるタイプの人が多いから。人と相談して、どうしたいとかってみんな多分決めへんと思う。自分のやりたいことやどうやって生活しようかということは、もうぼんやりと自分の中で持っていると思う。

手っ取り早いっていうか一番楽なのはサッカーに携わること。
それ以外のことを考えてる人達は現役の時に飲食、IT系企業の社長さんとか毛利さんみたいな人と出会って、興味があったらちょっと相談してるとか。

毛利
今回のプロジェクトはそういう困った人に対して、どうしようって思ってるときに助けを差し伸べるということも一つなんすけど、そうなってもうてからでは結構、どうしょうもないこともあるじゃないですか。
そういうことってでも、なかなか伝えづらいなとは思うんですよね。まだバリバリサッカーやってる人には。ただ、少しでも頭の片隅にそういうこと言ってるのが刺さってれば、多少はいいのかな。

廣長
J1でセカンドキャリアの話はほぼ響かないかな

ユースの選手がトップに上がれない子たちはみんな大学行くんやけど、やめますっていう子はたぶんほぼいない。ユース出身はほぼ大学行く。トップに上げられへんくて、サッカー辞める子やいきなり就職する子もいないと思う。

毛利
高校サッカーやってる子もみんな大学に?

廣長
高体連は別よ。

毛利
高卒で就職するっていう人もいる?

廣長
どうなんかな。わからんけど、投資とか自分で稼ぐことに興味のある子もいるやん。もしかしたらそういう子は大学に行かないかもしれないし。
大学で教わるものがないっていう考えの子もこないだいた。

毛利
そうですか。

廣長
自分が学びたいことを学ぶためには日本の大学じゃないなって、海外行った子がいる。たとえばドイツで語学勉強にもなるやろうし、向こうでそういうコーチの資格を取るという目的があってドイツに行った子がいる。

毛利
しっかり考えておられますね。

廣長
プロの人もそうだけど、こういう子のように自分で考えてやってるやつは何かしら目的があるからそういうふうに言ってるんだと思うけど。

毛利
やっぱり一番困ってるのはどんな立場の選手達でしょうか?

廣長
そうやね。20代例えば大卒でJ3やJFLで2,3年プレーして25歳ぐらい。高卒なら20歳ぐらい。契約先がなくなった時、多分人脈も整ってないと思うし、お金もないし。

毛利
アスリートだろうがアスリートじゃなかろうが、企業が欲する人であれば、僕ら紹介会社にとっては企業に紹介することが出来ます。
中にはアスリート出身の人材を好む経営者もいますし。

今僕の今世の中全体に働き手が不足していると言われています。
「どういう人欲しいんですか?」って企業に聞いてみると、「20代30代の若くて元気な人欲しい」って大体同じ答えです。
「社会人経験はちょっと薄いですけど、元サッカー選手でいい人いますがどうですか?」っていうと欲しいという企業が意外にあるなっていうのが今です。

廣長
なるほど。

毛利
最近いろんなセカンドキャリアに悩むアスリートからヒアリングしてて思うことは、僕らイメージしているサッカーを引退した人はこんなことやりたいんだろうと想像していることと、彼らがやりたいことっていうのは、ちょっと乖離があるんちゃうかなってこと。
竹本将太っていう当社のスタッフがいます。関学サッカー部主将でJリーグからオファーが来たのに断って、スペインに渡ったという変わり者です。
スペインにいる時にリモートで仕事をしてもらうようになったのですが、4部5部で2年間プレーした後日本に戻ってきました。国内外の色んなチームから声はかかったのですが、納得のいくオファーがなかったということですっぱり引退しました。

今はバリバリ東京で活躍して働いてるんすけど、「サッカーを諦めて次に進もうという時、みんなどんな仕事に憧れてる?一言でいえばどんな感じ?」って聞いてみたことがあるんです。
そしたら、竹本はもう即答でした。
「IT企業の綺麗なお洒落なオフィスでパソコンたたいて仕事している姿をイメージします。おしゃれサラリーマンみたいな姿に憧れてるやつが多いですよ」って。
トレーナーとか体を動かしたり、スポーツに関わる仕事をしたいのかなって勝手に思ってたんですが、そんな視点はなかったなってハッとしました。

廣長
確かに俺もそうやったっけな。お洒落かどうかはさておき、デスクワークをしてみたいなと。自分の机があって、オフィスに出勤するみたいな。社長室があって、その周りにみんなのデスクがあったりしてというテレビドラマのイメージ。お客さんが来て、会議室で向かい合って打合せしてるみたいな様子に憧れがあったかな。

毛利
人っていうのは自分が今まで経験してるものと違うこと、逆のフィールドっていうのに興味があるものですね。

廣長
そうやね。もうサッカーずっとやってきて、もういいわっていう人もいるよね。

毛利
なるほど。

廣長
でも違うことするにしても、何か興味があるものじゃないと続かんと思うし。最初入口として入っていけるかどうかの不安があるんちゃうかな。

毛利
なるほど。

廣長
あとサッカー選手時代は時間がある。
拘束時間が9時間とか。そこにまず耐えられへんかもしれん。

毛利
なるほど。

廣長
サッカーの練習って1日2時間とか3時間やから。午前に練習終わったら、もう家帰って、学校帰りの子供とずっと遊んでるとか。そんな自由な時間の使い方はサッカーを引退したら、自分で社長やる以外出来ないと思うし。

毛利
そうですね。

廣長
たとえばある人はめっちゃおしゃれに興味があったりとか、ヒデ(中田英寿氏)みたいなに日本酒が好きで日本中訪ね歩くことに興味があるとか。そういう勉強しながら何か新しいことをやってみたいという人もいるかもしれない。

毛利
そう思うと皆さん色んなことをやっていますね。

廣長
やらされてる感があると、多分しんどい。
人が好きで人と話しているのが好きとか、もの作りで没頭してずっとやり込むとか。人それぞれやけど、アスリートが忍耐力はあると思うな。


廣長さんが開催されているHIRONAGA CUPに協賛し、先日会場を訪れました。
前列左から北澤豪さん(元日本代表)、加地亮さん(元日本代表)、酒本憲幸さん(セレッソ大阪アンバサダー)がゲストとしていらっしゃいました。

今回は、当社のアドバイザーを務める廣長さんにインタビューを受けて頂きました。
ステージは、これからもスポーツに関わる方々へのインタビューから、キャリアについて考えるきっかけを提供できるよう、活動して参ります。
今後ともよろしくお願いいたします!


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