#0 私のNote。私のスタイル ー見栄は要らないー

 今回で4本目の投稿記事だが#0とした。
そもそも私のNoteの価値は何だろう。私は何を伝えたいのだろう。
自分自身を問い直してみた。

 え、まだ投稿記事4本目の奴にスタイルもクソも無いだろう!そんな声が聞こえてきそうだ。
私は有名なライターでは無いが私自身ではあるし、村上春樹さんではないが"すたびお"ではある。何者でもない私であっても、"すたびお"である為にルールは必要だ。(キメ顔)

 Twitterに記事を共有する度にURLにstabionosekai(すたびおの世界)なんて書いてあって、ブランディングなんていいものじゃない、只の厨二病満載な文字を見るたびに「痛いな...」と呟いてしまうが変えるつもりはない。(圧倒的なキメ顔)

冗談はさておき、私自身の世界観は伝えておくべきだと思っている。

まず、私は基本的には優しい。
急にこいつ何言い出すんだと思うかも知れないが、本当にそうだから仕方ない!笑

小さい頃は兄貴にゲーム機のコントローラーで殴られても殴り返さなかったし、小学生の時にいじめの対象が自分からイジメていた側の別の子に変わっても、その子を一緒に帰ろうと誘ったし、大学時代肩代わりしたお金は返ってこないし。
あれ、勝手に目から水が...

なんだろう。誰かを恨むという感情が抜け落ちているような、恨む自分が嫌いで仕方ないし、人を嫌な気持ちにさせたくないという心が私にはあるようだ。

自分が犠牲になって済むのであればそれでいいか、と相手やコミュニティの為になる事を割と平気で選択する人間。私のようなタイプの人間は資本主義という競争社会でお金持ちになり辛く、生き辛いらしい。自分の権利、正当性を周りを蹴落としてまでは主張出来ないからだ。

ちなみにこの自分の中にある圧倒的な理想世界のせいで苦しんできたし、一回心が壊れてしまった事もあった。その発散方法としてNoteを書いている節がある。

 自分の中にある理想像は高いが、現実に沿ってない見方はしたくない。押し付けたくないが、自分の信じる信念はある。異なる視点を求めてコメントは求めるが、相手へのリスペクトが無いコメントは削除する。
そういった心がこれからも文章に表れると思う。

なんか、自分で書いていてヤンキーになれない優等生みたいだなー、なんて思って来た。
優等生の文章はつまらない文章だ。
しかし、例えばヤンキー要素が、煽情的なキャッチコピー。相手を焦らせる商業的な文書。ターゲットを狙ったビジネス的文書だとすれば、どれも書きたくない。

売りたくない物を売る営業マンや、あなたの為ですよといって自分達の為に勧めるコンサルタントにはなれそうにないし、コピペのように真似する文章は書かない。

面白い文章と、正しい文章は違うと信じている。結果論的、功利主義的に、ウケたら正解だとは思えない。

 私の素直な視点で、SNSとは何か、宗教の役割、人のあり方、社会問題等を1つ1つ丁寧に、現在のポジションを確認し、未来への問いかけとして書いていくだろう。誰かを傷つける事のない記事を書きたいし、いや、傷つけてもごめんねって謝る。そして、たまにハッとさせれたり、思考の一助となれば幸いだ。

伝えたい事。

"俺は何を伝えたいのだろう"って立ち止まる。
基本的には反資本主義だし、行き過ぎたグローバリズムに反対だ。一人一人の幸福論ベースで記事を書いていきたい。

しかし、理想はこう思うといくら書いた所で、現実的に無理でしょって事も出てくる。
でも、それは今の時代の象徴だ。

 自由の国アメリカが右に偏り、共産主義の中国が自由貿易を訴えているこの時代なのだから。

また、個の時代と謳われているが、決してユートピアなんかじゃなかったりする。これからは個人の時代だ!インフルエンサーだ!なんて一部では熱狂的に言われている社会で、自分が埋没している日常に心を擦り減らす人が羨ましそうに見ている現実がある。
多様化する社会に取り残された人、答えがあるようで無い個人至上主義、人の声に翻弄されたり、情報社会で分けが分からなくなったりする。
私は大物YouTuberのように大きな声で人にアドバイスは出来ない。責任を取りたくても、取れないからだ。
アドバイスは出来ないが、あなたの話をゆっくり聞いてゆっくり一緒に歩みたい。そんな気持ちで書いている。

 大企業だってどうなるか分からないという論旨はコロナでも証明しているが、だから個人の時代なのか、チームの時代なのかと言われると私は分からない。
そして、みんなも変化の中で答えを探している。きっとそこに私は歩み寄りたいのだ。

私の"すたびお"は
『答え』respuesta(レスプエスタ)
『変化』cambio(カンビオ)
というスペイン語を組み合わせた造語だ。

情報が氾濫し、変化するこの時代では自分独自の価値観、解釈を大切にしないといけない。誰かの人生の答案を見てても仕方ない。自分で答えを出していく。
そんな意味合いが込められている。

私も日々変化していく。だから、出した記事でも考えが変われば加筆もするし消したりもする。思考が纏まらないとコメントを求めたり、そうかと言えばうるさいって言い出したり色々だ。

今、この記事を読みなおしてみたら、面倒な奴だなって思う文書になってしまったが、それもまた素直にいこう。

Noteを選んだのは自由にかける自費出版が無料で出来るからです。後、noteのコンセプトが好きだ。

ランキングも無く、誰もがクリエイターとして続けられるような雰囲気だ。ランキングがあると、どうしても資本が偏る社会のようにインフルエンサーに閲覧数が偏ってしまうが、それがNoteには無い。これは面白い試みだ。

前回の記事 "SNSとは何か"の言語化、Facebookに期待する事

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