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【父に言われたこと】経営者としての自覚を持った頃の話


僕は近鉄特急が好きで、
先日も「近鉄に乗る」ことを
目的とした旅をしました。
中学生までは近鉄特急の運転士に
なりたかったんです(笑)。
そのくらい子どもの頃から、
鉄道が好きなんですよね。


でも高校生になって、
「この鉄道好きは、趣味の範囲を
超えてはいない」と自ら気づき、
運転士になるのは
あっさりやめました(笑)。


大学時代から家業を手伝うように
なりましたが、継いでほしいと
言われたことはなく、
「好きなことをやりなさい」
と言われてきました。


しかし他にやりたいこともなかった僕は、
「会社はあるわけだし、じゃあ継ごう」
というとても単純な理由で、
父の会社に入社しました。


そして現在。
2002年に父から会社を継ぎ、
今年50周年を迎える
西名古屋急送株式会社の
二代目をしています。


正直、30歳になるまでは、
この仕事をおもしろいと思ったことは
ほとんどありませんでした。
本当に辞める気持ちはなくても、
愚痴を言いたくなるような気持ちに
なることは度々ありました。


それでも不思議と、
会社を継ぐのを辞めようとか、
他で働こうと思ったことは
一度もありませんでした。


そして20代後半に平成バブルが崩壊し
売上げが下がっていくのですが、
30歳を過ぎた頃、初めて仕事を
「おもしろい」と思い始めたのです。


普通に考えたら、
おもしろくないですよね(笑)。


どうしてなのかと今思い返せば、
経営のおもしろさがわかり始めたのが
ちょうど同じ時期だったのです。


「景気は悪くなっていく。
売上げも下がっていく。
でもこの状況を、
これまでに経験してきたことを使って
良くしていけたらおもしろいな」と、
逆にモチベーションが上がる
感覚がありました。


これは今となっては良い思い出ですが、
僕は当時いろいろと考えて、
トラックを新しく購入したいと思い、
先代の父に相談をしました。
当時の僕は、銀行からの借入だとか、
返済が始まった後のことなどは
まだよくわかっていなかったので、
父に意見を求めたのです。


父からの返答は、
「お前がそう思うなら、
大丈夫じゃないか?」
でした。


僕は父から経営者としての、
論理的で現実的な回答を
期待していたのですが、
「お前は昔から無茶をする性格じゃないから、
お前がそう思うなら大丈夫だろう」
と…。


「いやいや、そういうことじゃなくて…」
と困惑し、
「これは自分で勉強しないとダメだ」
と気づきました。


そして経営について学ぼうと思い、
当時東京で行われていたセミナーに、
父に頼んで行かせてもらいました。


当時で5万円のセミナー。
愛知から東京までの旅費も考えたら
なかなか高額なものでしたが、
そこで多くのことを学ばせていただきました。
既に独立し経営が上手くいっている同級生に、
財務のことを教えてもらったりもしました。


彼は独立する前、
大手企業トップレベルのノウハウを
叩き込まれていたので、
「お前、こんなことも知らないの?」
と言われながら(笑)、
手取り足取り教えてくれました。


それまでの僕は、言われたことしか
やらないような性格でしたから、
父から言われたことを
言われたとおりにやって
上手くいかなかったら、
父のせいにできました。


しかし、
「お前がそう思うならそうすればいい」
と言われてしまったことで、
誰かのせいにできる道は
断たれてしまったわけです(笑)。


今になって思うことですが、
父が僕の期待通りの受け答えを
僕にしてくれていたら、
僕は外に出て自ら勉強しようとは
思わなかった。
父は間接的に僕を育ててくれたと思います。


世の中にはさまざまなことを専門に
されている方々がいらっしゃいますから、
外部に任せるということも
経営をしていく上で時には必要です。


しかし経営では、
細かいことはさておき
最終責任はすべて社長にあるわけで、
ある程度の勉強をして
広く理解しておかないと、
経営判断ができません。


僕のきっかけは先代である父でしたが、
広く学び続ける意識を持てて、
今では良かったと思います。
経営者として勉強し続けることは、
仲間や強みを増やし、
それは財産になります。


もし近鉄特急の運転士になっていたら、
今の僕はいなかったかもしれません。
運転士の道は目指しませんでしたが、
近鉄特急にはお客さんとして、
これからもお世話になります(笑)。



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