感情をコントロールする簡単な方法。これは集中力upにも役立つ。

精神科医や心理職なら誰でも1日に1回以上は感情をコントロールする方法を教えて下さいと聞かれるかもしれない。

最近自分でやったら良かった手っ取り早い方法を紹介する。

ちなみにこの方法は感情に蓋はしない。むしろ放出する。


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その時の身体の反応(例えば肩の強張り等)に意識を向け、同化する
=身体の反応が無くなるまでそれを感じ切る

言葉にすると難しいかもしれないが、不快な感情が生じた時
① 今身体のどこにどんな反応が起こっているか同定する(意識を身体に向ける)
② 見つかったら、その部位だけに意識を全集中させ、その反応そのものになる。(意識を身体に同化する)

何故なら感情は
顔の表情
身体の姿勢で表されるからだ。
(「トラウマと記憶」ピーター・A・ラヴィーンより)

感情に圧倒された時、よく身体に注目してみると良い。微細でも必ず身体は反応していることに気づく。上司に怒られて恥ずかしい思い、悲しい思い、憤りを感じている時、意識しない限り自信満々な姿勢でニコニコしている人はいないだろう。

自分も最近、あることをきっかけに幼少期の事が思い出され怖くて震えたことがあった。怖い怖いと(思考=言語)していたが、コントロールするチャンスと思い、身体の感覚(=非言語)だけに意識を向け、身体の震えと同化してみた。

そうすると、脳から怖いという言語が消え、ゆっくりと身体の感覚も消えていった。そのあとは怖いという感情も消失していた。

心と身体は繋がっているので、心をコントロール出来ないなら身体を先にコントロールすれば、心もコントロール出来る。当たり前と言えば当たり前だが。

実はこれはマインドフルネス瞑想をしていることでもある。
マインドフルネスとは、自分の今の身体の反応に気づくことでもあるからだ。

マインドフルネス瞑想は別に必ず家で胡座をかいて静かにやるものでもない。日常生活の営みの中でも出来る。

というか、釈迦は日常生活がマインドフルネスである。と言っていた。

私は道を歩いている時も瞑想している。足の裏の感覚だけに意識を向けたり、顔の表情筋に意識を向け強張っている感覚があれば緩めたり。このような時、思考は消えている。消えていてもまた浮かんでくるものなので、またそれに気づき身体に意識を向ける。

まあ私はこのように修行することで職業柄自分の仕事にも良い影響を与えるとわかっているのでやっているだけだが。

感情をコントロールする時、身体の感覚に意識を向け「続ける」ことは集中力がいる。だから、この方法で感情をコントロールする練習は、実は集中力をつける練習でもあるのだ。(今自分でそう考えただけwでもやってみると分かるお。)

なぜなら、集中力を持続するということは、積極的に注意(意識)を集中させるという事だからだ。
身体の反応に意識を向け続けることは、身体の反応に積極的に注意を集中させ続ける事と同義である。

よって、この方法で感情をコントロール出来るようになると、集中力もupする。そうすると、衝動性もコントロールできるようになる。これは快楽主義、集中力のない衝動性の高い私が実感したこと。

大切なのは、身体の反応を「感じ切る」こと。
そうする事で未完了の思いを、完了させる

それでもまた同じ感情が湧き出てくる時
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身体で感じ切った時、一度は負の感情は消える。自分の力で感情を感じ切ったことが出来たことで、自分は無力ではないことが感じられる。その時に初めてその感情の原因などを探って欲しい。

決して感情が湧き上がっている時(自分に対して無力感、否定感がある状態)にその感情の原因を探ってはいけない。また感情に圧倒され悪循環を生み出す。

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もう少し踏み込んだ話をすると、

先ほどの怖いという感情は、自分の養育者が思い出されてのことである。要はトラウマ。

トラウマは、手続き記憶情動記憶に記憶される。

・手続き記憶とは、自転車の乗り方や泳ぎ方など身体を使って覚えた記憶。 一度しっかり覚えれば10年間自転車に乗らなくてもちゃんと身体が覚えている。トラウマもそうでしょう。

・情動記憶とは、情動(怒り・恐怖・喜び・悲しみなど、比較的一時的に生じる強い感情で生理的反応を伴う)を喚起するような記憶。トラウマもそうでしょう。

情動記憶は身体の記憶とも言える手続き記憶と結びついている。
この二つは潜在記憶に分類され、通常私たちが知覚する意識の限界をはるかに超えており、知らない間に立ち現れては消えていく。

ん、やっぱり時間かかるから踏み込んだ話は次に回す。とりあえず忘れないように↑残しておく。


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