[短編小説]少年時代

風が吹き、木々が揺れている。私は、家の近くの公園を散歩していた。上を見上げると、夏の日差しを浴びた緑の葉は黄金色に光り、青い空が垣間見える。蝉の鳴き声が聞こえる。一歩一歩踏み出す度に額から汗が流れる。ときどきハンカチを取り出して拭う。
 大きな広場の前を通ると、多くの小さな子供がアスレチック広場で遊んでいた。高い声が響き渡っている。近くに親が見守っていた。無邪気にはしゃいでいる姿を見ると、自分も童心に戻るような感覚になる。
 三十二歳という年齢を考えると、自分にも子供がいてもおかしくないが、私に子供はいない。いままで結婚しようと思ったことはあるが最終的な決断を下すことができなかった。家庭を持つという覚悟が自分にはもてなかった。彼女と別れて二年経つが、そのあと恋人はできていない。仕事が忙しく、余裕がなかった。気づくと時間だけが過ぎていた。学生時代の友人には、子供がいる人もいる。
 公園で子供が夢中に遊んでいる姿を見ると、私にも子供のときがあったなと思い出すことがある。三つ子の魂は百までという言葉があるが、本質的にはあの頃と何も変わっていないなと感じる。
 私が、小さいころはボールに夢中だったなと思い出した。幼稚園の校庭で、壁に向かってボールを蹴っていた。周りは友人は、砂場や遊具で遊んでいる人ばかりだった。ときどき、一緒に遊ぼうよと誘われても、一人でいることの方が好きだった。
 小さいころにボールを蹴っていたのは理由があった。それは、一瞬の変化が体験できたからだった。ボールを蹴るといつも異なる位置に跳ね返ってくる。そのボールに対して上手に蹴ることができると、嬉しくなり、そうでないと悔しくなった。ボールを上手く蹴れると、いい音が鳴る。その音を聞くのが快感だった。小学生になると、ボールを蹴ることは続けて、少年サッカー団に入る。その後、私は学生時代を通してサッカーを続けていた。
 仕事に追われているころは、忘れていたことだった。いまこうやってのんびりと散歩しながら物思いにふけているのは、仕事を辞めて時間に余裕ができているからである。
 仕事を辞めると上司に伝えたときは止められた。でも、私は社会から距離を取りたかった。大学を卒業してから、ずっと走り続けていた日々だった。どこにも所属していない自分というのを知りたかった。不安がなかったといえば嘘になるが、それでも私は自由を選択してみたかった。朝、起きて何もやることがない。そういった生活を送ったとき、自分がどうなるのか知りたかった。
 いままで、平日の夕方に公園を散歩することはできなかった。仕事をしていたときは、毎日同じ事の繰り返しで、単調な日々だった。そのとき時間の流れ方が違った。仕事ばかりの生活から解放された私は、自由に時間を使うことが出来ている。毎日、散歩をしてみると、気づけることはたくさんある。
 公園の風景は、私に何かを訴えかけているようだった。地に根を張り生きている木々を見ていると、自然の強さを感じた。この公園は、私が幼いころに、たくさん遊んだ場所だった。日々の生活に追われてると、そんなこと思い出す暇がなかった。
 太陽が西の方の傾きはじめていた。広場を抜けて、奥の方に進むと、サッカーコートがあった。小学生が声を出しながら、ボールを蹴っている。私は、立ち止まって見ていた。すると、大きく蹴られたボールが私の手前まで転がってきた。私は、ボールを足下で止めた。

「すいません」

 一人の少年がやってきて、私に声を掛けた。私は、足下のボールを蹴った。少年は、ボールを拾って後ろを振り向きコートに戻っていた。
 すると、風が吹いた。コートの周りにある木々が揺れて音を出していた。私は、ボールを持っていった少年を見ると、忘れていた自分の少年時代を姿が頭の中に浮かんできた。  了

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