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とある主婦のGood job days!~Vol.5~スキは熱いうちに打て

ナチュマでは新商品が入ると朝礼が終わってすぐ、とっきーの説明付きで新商品の試食タイムがある。私は正直この試食タイムが大好きである。
何故ならとっきーチョイスの何とも目新しい食べ物をとっきーの説明付きで食べれる、特別な時間だからだ。
特に食べた事もないのに自分にとって好みの味に出会えた時、行った事もない国に行って素敵な友達ができるような新鮮な喜びであふれる。
その神聖なる試食タイムが終わると、とっきーは必ず
「一人一人、感想を言ってって」と皆を見渡す。
最初に指名されるかとドキドキしながら待つ私たち。
二人目以降は一人目の感想と被る事が多いので語彙力がなくてもどうにかごまかせる。どうか私が最初でありませんように、と心の中で願った時は必ず
「じゃ、そこのあなたから」と私の方を見る。そういうものだ。
ドキッとするけど私は逃げない。好きな味の場合は
「これ、私大好きです、正直これは初めて食べましたが自分にとってどこか懐かしい、なじみのある美味しさでした。これがおやつに出てきたら喧嘩中の親子も仲直りできる味です」とか答える。
そう、とにかく好きだな、と思ったら「大好き」もしくは「好き」という前向きワードをなるべく使う様にしている。

それは私が子供の頃に「大好き」という言葉を人より多用していきたいと思ったきっかけがあるからだ。

中学時代の親友みちよちゃんのお母さんはいつも笑顔があふれるとっても優しいお母さんだった。たまに遊びに行くと近所にあるスーパーの入り口近くの小さなプレハブで営業している焼鳥屋の焼鳥をご馳走してくれた。みちよちゃんのお母さんはそこではベテランの焼鳥の焼き手で、週5回ほど朝から晩まで焼鳥を焼いていた。甘くてこっくりした味はおやつには重かったけど田舎のお父さんのビールのおつまみには最高でいつも夕方になると列をなしていた。

みちよちゃんはその日の朝、お母さんとケンカして学校に来た。頼んでいたジャージの洗濯をしてくれてなかった事で朝からお母さんとケンカになったらしい。そして一緒に体育でバレーボールをしていると突然学年主任の先生がみちよちゃんを呼びに来た。その時のことは忘れられない。

みちよちゃんはそれから数週間学校にはこなかった。みちよちゃんがお母さんとケンカしたあの日、みちよちゃんのお母さんは心不全で帰らぬ人となったのだ。
しばらくしてみちよちゃんがまた一緒に帰り道を歩けるようになった時、みちよちゃんがつぶやくように
「あの日の朝、私、お母さんなんて大嫌いって言っちゃったんだよね」
「うん‥‥」私は頷くだけしかできない。
「大好きって言えばよかった‥‥」
「うん‥‥」心が痛くてそれ以上の言葉は出てこない。
その会話を何度か交わしていくうちに私は悟った。
好きは出し惜しみせずすぐ言うべきだ、と。
それから私はなるべく身近な人にも仕事の場所でもその言葉を頻繁に使う様にしている。

とっきーの店には大好きが一杯だ。だから更に大好きという言葉が私の中でこだましている。

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