我が家のひよこひすとりー
うちにはニワトリがいる。
どこにいるって、普通に廊下を歩いている。
烏骨鶏という品種で、一個数百円の高級品を月に4個ほど産んでくれる雌鶏だ。
白いフワッフワの羽毛が特徴の彼女は、名前をふーちゃんという。かなり欲張りで、人を見て態度をコロコロ変えて、とても寂しがりで、最近少し怒りっぽい。
可愛らしくもこ憎たらしい、中々に邪悪なニワトリ。
そんな我が家の腹黒白毛玉は、今月末に3歳の誕生日を迎える。
そしてそれは、俺が唐突に卵を温め始めたあの日からもう3年ということ。
最初は俺にべったりなついてピヨピヨ鳴いていたひよこも見た目はすっかり大人になり、顔を見合わせるたびに牙を向くようになった。
(牙を向くふーちゃん)
そんなひよこも、今日は母の足の上に座り、母にはすっかり気を許した様子で、ウトウトと眠たげに寛いでいる。
ーたまご時代ー
3年前のあの日、俺は家禽としてニワトリを飼おうと決めた。
ペットではなく、家禽として。
決めてすぐに小屋と孵卵器を購入して、卵を温め始めた俺に、母は大反対で文句をつけまくっていた。仕事でいない時間帯だけ転卵(黄身が偏らないよう、卵を回転させること)をお願いし、しぶしぶ卵をひっくり返していた母。
しかし、いざひよこが孵ったら大喜びで写真を取りまくり、刷り込みのためと孵化したばかりのひよこの前で反復横飛びを繰り返していたのを覚えている。
(孵化した直後のひよこ。他の兄弟は残念ながら途中で力尽きてしまった)
生命の誕生は、母にとってすごい衝撃だったのだそう。卵からひよこが孵ると知識では知っていても、体験しない限り、なかなか本当の意味で知ることは難しい。
関係あるようなないような話だけど、拾ったドングリから芽が出ると結構ビックリするよね。
「私は絶対に世話しないからね!」
「俺が面倒見るからいいよ。」
と言う会話をした覚えもあるけど、生命の誕生に立ち会った母はいまや、家族の誰よりもひよこの面倒を見てる。いろんな意味で。
ーひよこ時代(0〜1週齢)ー
産まれてすぐは孵卵器の中で寝て起きてピヨピヨ鳴いてを繰り返し、頼りない様子だったひよこも、時間がたって濡れた羽が乾いてくると、少しフワッとしてひよこらしくなる。
(母の手の上でおねむのひよこ)
そのくらいのタイミングで飼育ケースに移し、水で粉末飼料を練ったご飯をあげるのだけど、ひよこのくせに自分でご飯を食べようとしない。
仕方なく指ですくって口元に持っていくと、恐る恐る食べてくれた。烏骨鶏は親鶏が甲斐甲斐しく子どもの世話をするそうなので、どうも烏骨鶏のひよこは自分で食べる能力に欠けるらしい。水も指ですくって与えて、本当に育児のようだった。ふと目を離すと、ひよこからチキンになってそうで、なかなか気が抜けない。
(寝姿はまるでローストチキン)
少し姿が見えなくなると、ぴぃぴぃぴぃと本当に悲しそうな声をあげる。いじましくて、つい構いたくなる。
だけど、ある理由でこのひよこを可愛がるわけにはいかず、淡々と世話を続けた(大概、声を聞きつけた母がダッシュでやってきて世話してたけど)。
ーひよこ時代(1〜3週齢)ー
このくらいの年齢になると、もう足腰もしっかりしてきて、見た目も俄然ひよこになる。触っても安心で、頼りない感じはもうほとんど無い。
(手乗りスモールひよこ)
でも、甘えん坊で怖がりなところは変わらず、周りに誰もいなくなるとぴぃぴいと鳴いて人を呼び、夜に寝かしつける時はいつも大騒ぎだった。主に母が。
たぶん、このひよこの目線からは自分も人間だと思ってたのかもしれない。だれか人がいると安心して、こっくりこっくり眠りだす。そしてそろりそろりと、ひよこの寝室からお暇する。
ーひよこ時代(3〜5週齢)ー
このくらいになると、なんとなく意思疎通ができるようになる。お互い言葉は通じないが、声色やしぐさで何を求めているのかがなんとなく分かる。
起こってる時の声、喜んでいるときの声、悲しいときの声。悲しいときは、どこからそんな声をと言いたくなるほど、本当に情けない声を出すからとても面白い。
気になるものを手当たり次第につついていた頃とは違い、くちばしを主張にも使い始める。何かあるとツンツンとつついてこっちをチラ見し、食べものを要求したりする。
同じように、こちらも地面を指先でトントンと叩いたりして、ひよこにアピールすると、音を聞きつけて近寄って来るから面白い。ひよこは賢い生きもの。
このくらいの時代から粉餌を卒業し、固形物に変えていく。離乳食の時期だ。
(手に乗るビッグひよこ)
ーひよこ時代(5〜7週齢)ー
ニワトリとひよこの中間くらいの生きものになってきた。このくらいのひよこは、実に不思議な生きものになる。
(腕に乗るひよこ)
今更ながら烏骨鶏の生物学的特徴を書く。烏骨鶏はニワトリの原種とされるセキショクヤケイからかなり早い段階で分化したとされ、極めて原始的な特徴を残す特異なニワトリだ。
その一つとして、まずあしゆびが5本ある(普通は4本)。全身には絹毛とよばれる細かい毛が生えている。毛は白いのに皮膚は真っ黒。驚いたことに、内臓まで真っ黒(だから腹黒)。ついでに頭がアフロ。
そんな生きものだからなのか、生え変わりのときは頭のてっぺんにたんぽぽの綿毛みたいなのが沢山できる。見た目は可愛いが、触るとチクチクするからあまり良くない。
ーほぼニワトリ時代ー
この中途半端時代は長かった。そらもう長く感じた。
いつまでもチクチクするし、頭のてっぺんプワプワだし。
だけど、完全に毛が生え変わると、見た目にもしっかりとニワトリらしくなってくる。
(肩に乗るひよこ)
まだまだ大きくなるけど、もう大人と言っていいのかもしれない。だいたい高校1年生くらいじゃないだろうか。
触ってももうフワフワなので、いくらでも愛でたいところだけど、やっぱりまだまだ可愛がるわけにはいかない。
その理由は、俺がなんのために卵を温め始めたのかに由来する。この時はまだまだ安心できず、一歩引いた目線で眺める日々だった。
ーニワトリ時代ー
頭にほんのり鶏冠が出始めたころ、いつも貪食でことある毎に食べものを要求してきたひよこが、ふいに何も食べなくなった。妙におとなしく、触っても反応がない。
その日の翌日、ニワトリが卵を産んだ。小さいけど、立派な卵だった。この日初めて、ふーちゃんが雌鶏だと分かった。
(最後は頭にのるふーちゃん)
都内でニワトリを飼おうと思ったときに、一つ決めていたことがあった。
冒頭でも書いたように、それはニワトリとの距離感の話でもあるのだけど、その決め事とはペットではなく家禽として飼うということ。
そしてそれは、雌鶏であれば産卵鶏として、雄鶏であれば食肉として、という意味だ。
ー命との距離感についてー
命をいただくことに対して、目を閉ざしている人は多いと感じる。知ってはいてもただ知っているだけで、体験を通して、本当の意味で知った人はきっと少ないと思う。
現代は、可能な限り死を遠ざけている社会だから仕方がないのだけど、とても大事なことから目を伏せているような気がする。
命との距離感は人によってまちまち。けど、俺にとってその距離感はたぶん、普通の人より少しだけ近い。
俺は肉を食べる。お金を出して肉を買って食べることが多い。でも、生きものとして、他の生きものの命をいただく時、そんな風に自分の手を汚さずにおくことをすこし不誠実だと感じる。
だから3年前のあの日、自分でニワトリを育ててみようと決めた。6羽のニワトリを孵化させ、雌鳥は産卵鶏として残し、雄鶏は食べようと決めた。
肉を食べる以上、これは必要な経験だと思った。
それでも、家畜とペットの境界はとても曖昧で、もしかしたらそんな境界は無いかもしれなくて、このニワトリが雄鶏だったとき、ちゃんと手にかけることが出来るのか随分と悩んだ記憶がある。
なんせ畜産学科にいた時も、手にかけたニワトリはみんなよく知らないニワトリで、それこそ産まれた時から知っている誰かの命を奪った経験はなかったから。
可愛いと美味しそうは両立できる感情だと知っているけれど、そこに深い関わり合いがあったとき、自分がどう感じるのかが分からなかった。
だから、雌雄がわかるまで、ニワトリとの距離を取り続けていた。
でもこの日、良くも悪くもその心配はなくなった。
6羽の兄弟は1羽しか孵らず、その1羽は雌鳥だった。
ひよこはふーちゃんになり、卵は卵かけご飯になった。
思っていた形とは違ってしまい、これが良いことなのかはわからないが、母は誰より安堵して卵1号の殻をいまだに大切そうに保管している。
(肥料じゃないよ。)
ー誕生日を控えるふーちゃんー
結果として、ふーちゃんは今も元気に暮らしている。
すっかり家族の人気者で、我が物顔で廊下をてちてちと練り歩き、気ままな日々を送っている。
誕生日まで、あと1週間。
1年目の誕生日には、母はずいぶんと張り切って、ふーちゃん用のケーキ?を作っていた。とんでもないジャンクな代物だった。
今年は何が出てくるのか、少し楽しみだ。
(ニワトリ用ラーメン二郎と呼ばれた誕生日ケーキ)
俺も、理屈の上でも屠畜する必要はなくなったので、これまで一歩引いたところから眺めていたふーちゃんをちゃんと可愛がろうと決めた。
ところでこのふーちゃん、結構羽毛が繊細なのか、触られることをとても嫌がる。
でも、触れずにただ近くにいるような関係性は好きみたいで、誰かの近くには居たがる。
そんな少し面倒くさい子。
なので、数ヶ月の鬱憤を晴らすかのように
「よーしよしよしよし!」
と、抱き上げたりして可愛がったらすっかり嫌われてしまった。
これまでの一歩引いた関わり方が、この子にはちょうど良かったらしい。人間関係でもこういう失敗したことあるな……。
距離感って難しい。
小さい頃はなついていたひよこが、すっかり俺に牙を向くようになったのは、皮肉にも心を開いたせいだったというお話。
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