誰かを想えば、社会はちょっとやさしくなる
わが家は、年始からいろいろ大変です。
実家の両親がコロナ感染し、救急車で搬送され、翌朝に私は福岡へ移動。
その後父親はいろいろな理由でそのまま入院、転院。
そして先週、東京出張中に学校から呼び出しがかかり、長男が高熱で引き取りをするものの陰性、私が翌日帰宅し4件の病院に断られ夜間救急に走って陽性。
翌日には妻と妹が感染するものの土曜日の午後なのでどこも空いておらず、日曜日に休日診療に搬送し陽性。
少し良くなったと思ったら、咳が止まらず、味覚障害に嗅覚障害、更に熱が再発し、子ども2人をそれぞれ別日に病院へ搬送。
この間、家事に追われているなかで、オンラインセミナーが何本もあり、〆切の原稿や決算などありました。
もう笑うしかない感じです😂
普段から、家事と子育てと仕事、畑や実家のサポートなどをしているので、切り替えは得意なものの、予想のできないことが次々起こる中では、ちょっとばかし大変でした。
私は…感染はしているんでしょうが、いつもなら絶対に打たないインフルの予防接種を打ったこともあり無事です。
高熱などの発症が出ず、頭や喉は痛いものの、きわめて元気です😊
まあ、この状態で倒れることはできないので、気が張っているのかもしれないので、これから気をつけます。
まあ、それなりにいろいろ大変なのですが、
まあ、それなりになんとかなっています。
だからこそこんなとき、いつも思うことがあります。
もっと大変な状況にある人がいるはず…
その方々は、同じような状況を、どのように過ごしているのだろうか。
ちゃんとしたサポートはあるのだろうか。
…大丈夫なんだろうか。
いや、大丈夫じゃないはず…
こんな文書を書いているくらい冷静で客観的な状況にあるのも、それなりに何とかなっているから。
つまり、それなりに環境に支えられているわけです。
まあ、それなりにいろいろな不自由はあるにせよ、
家もあって、夜も寝られる
車もあって、病院に運べる
何か疾患が特にあるわけでもなく
身体に不自由があるわけでもなく
明日の生活費に困る状況ではない…
一方で、
家族の問題、お金の問題、身体の不自由など、いろいろな環境の問題を抱えている人も、たくさん知っています。
あの人は、こんな時、大丈夫だろうか…
自分のことはさておき、いろいろな気を巡らせてしてしまいます。
自分のこんなことで、悲観的になれる程度のことじゃない。
そんなことを、いつも思います。
年始には能登半島の地震があり、
未だに東日本大震災などの災害で帰れていない方もいます。
ウクライナの戦争が終わったわけでもなく、
ガザ地区は大変な状況になっています。
家も追われている人がいて、食事もままならず、冬を過ごしている人もいます。
自分は、恵まれた環境にいるのだから、がんばらないと。
自分が大変なときほど、もっと大変な状況の方を、
どこか思い浮かべている自分がいます。
もっと社会が、やさしくなればいいのに。
今週末も東京の予定でしたが、家族の介助で家にいます。
いろいろと予定を変えてしまったみなさん、ごめんなさい。
僕には出来ることが少ないけれど、少なくとも誰かを想うことはできる。
そして、
自分がちょっと大変だと思ったとき、
寄付とか署名とか
自分ができる何かをするようにしている。
自分が恩恵をうけていることを
誰かに少しでも
みんなが少しづつ
誰かのことを想えば
社会は少しづつ
やさしくなっていくに違いない
自分がやれるところから、何かをはじめていこう。