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走って逃げろ!

「嫌なことからは逃げていいんだよ。」という言葉。漫画やドラマでもよく聞くし、実際そう言われた事もある気がする。物事を重く捉えすぎずに気楽にやってけばいいんだよ、という趣旨の、一種の慰めというか労りみたいな話かと思う。

しかしそうは言われても、この「逃げる」という言葉が、抽象的すぎるような気がして、あまり腑に落ちたことがない。嫌な物事から目を背ける、忘れる、というのはあくまで精神論で、「じゃあ具体的に逃げるってどないすればいいの?」と思ってしまう。

そうして過去の辛かった出来事を思い返していた時に、ふと「走って逃げればよかったのでは?」と思い付いた。

小学校の頃に好きな女の子をからかって泣かせてしまった時、校庭で担任の白髪ババア先生に胸ぐらを掴まれてビンタされた。その後もしばらく日本語か聞き取れないような怒号を浴びせられた。

あの時、馬鹿正直にビンタされるのを待たずに、踵を返して猛ダッシュで走って逃げればよかったんじゃないか?と思った。まさか俺が走って逃げ出すとは思うまい。しかも相手は定年間際のババア。あれはきっと追い付かれずに、教室に戻り、ランドセルを回収して走って家に帰れたはずだ。

給食でキャベツの漬物が食べられなくて、放課後まで帰してもらえなかった時。担任が目を離しているすきに、お皿なんかほっといて走って逃げればよかったのではないか?担任が、俺が逃げたことに気づくまでの時間が約10秒。俺の50m走も当時10秒。担任が教室の窓を急いで覗く頃には、俺の背中はグラウンドの上でどんどん小さく見えていくだろう。

彼女と行った北海道旅行。ジンギスカン屋のカウンターとなりの席にいた怖いチンピラに絡まれた時、彼女の手を引いて、とりあえず1万円札を店員さんに投げつけて、走って逃げればよかったのではないか?もちろん彼女はお姫様抱っこして逃避行。喧嘩なんかしたことはない。語気も強くない。きっと走って逃げるが勝ちの場面だった。

走って逃げていれば解決していたかもしれない出来事が次から次へと発覚してきた。そして、走って逃げればいいんだと思った瞬間に、抽象的に思えたあの慰めが、現実味を帯びて心強くなってきた。

じゃあ現実問題、会社でミスをしたとき。恋人に別れ話を切り出された時。走って逃げるかといえば、きっとそんな奴はいない。みんな目の前の問題に向き合っている。「だから走って逃げる手もあるぞ」と思うだけでもいい。

「今、走って逃げてやることだって出来るんだからな」「走って逃げないだけありがたいと思えよ」「走って逃げない自分は本当に偉い」

そう具体的に思えたら気が楽になるんじゃない?でも本当に嫌な時は、一目散に「走って」逃げていいんだぜ。そのために、ランニングから始めよう。よーいドン!

サポートして頂いた暁には、あなたの事を思いながら眠りにつきます。