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【1日目】ママチャリで四国ひとり旅 プロローグのような1日

俺がひとり旅に出る理由

 ママチャリで四国ひとり旅に行くことを決めた。前回の記事で偉そうにベラベラと語った割に、思い返してみると、旅に出ることに大したきっかけはなかったかもしれない。

 確かアルバイトの友人と話していた時に、「俺、ひとり旅に出たいんだよね〜」とか軽率に口走ったんだったと思う。俺は大口叩いといて、行動に移さない人間だから、その時も何の気無しに言ってみただけだった。すると思いの外、友人の反応が良く、「めっちゃ良いと思う!面白そう!頑張って!」とキラキラした目で応援されたものだから、後に引けず、震える指でスケジュールに「12月1日〜12月8日 旅」とだけ入力したのだった。

 だけど、多分それでよかった。旅に出る理由なんか、いくらでも後付けで考えればいいのかもしれない。とやかく頭で考える暇もなく後押ししてくれた友人に、ひとまず感謝する。

 家に帰って旅に出る理由を作り上げた。「なんか面白いことを探しに行きたい」を大きな理由の一つにした。俺は文章を書くことが好きだけれど、自分の頭の中だけを言葉にしても限界がある。人様に読んでもらえて、かつ購入してもらえる記事を書きたいのなら、なんかしら目立つアクションが必要なのかな、と思った。そのアクションがたまたまママチャリひとり旅だった。ということにした。

 旅の理由は後付け。したがって特にこれといって四国に用があるわけではない。俺が行く先に四国がたまたまあるのだ。そしてその四国にたまたま香川県があり、讃岐うどんがたまたまある。讃岐うどんよ、いつまでも日本三大うどんとか言ってふんぞり返っているんじゃないぞ。俺はお前を食べるために四国・香川に行くわけではない。俺の行く先に讃岐うどんがあるのだ。それなりに讃岐うどんが誠心誠意、下積み時代を思い出してアピールしてこない限り、食べてやらないつもりだ。先生は職員室で待ってるから、誠意を見せて謝りに来なさい。

 旅を決意してからというもの、友人や親に「俺、四国にひとり旅に行くんだぜ!」と、鬼の首を取ったように豪語して周ったせいで、余計に後に引けなくなってきた。大口を叩いた後に、不安はやってくる。「やっぱりお金もコロナも大変だから」、なんて言い出せる雰囲気にはない。こうなったら腹を括るしかない。

 そして不安もピークに達した頃、ついに、四国ひとり旅の初日が訪れたのだった。

出発、神戸へ


 朝11時、布団から出たくなかった。もう、めちゃくちゃひとり旅に行きたくなかった。自分だけの暖かい布団。彼女との寝落ち電話は繋がったまま。いつもならラーメン食って、また昼寝。俺にとって一番心地良い生活。俺はかなりホームシックになりやすい。たった1日外泊をするだけでも、自分の部屋が恋しくて寂しくて涙が出そうになる。だけど、今日ばかりはここを抜け出さなくてはいけない。とりあえず一週間でいいのだ。ちょっとずつでいい。「一週間やり切った後は、またこの部屋に戻ってきてダラダラしてやる。」と決意し、布団を出た。

 今日の予定は大方決まっている。神戸ー高松のフェリーは深夜1時に出発する。22時に神戸で友人と会い、時間つぶしに付き合ってもらう。大阪から神戸までは3時間くらいかかるだろうから、逆算して家は19時前に出ることにして、それまでは大阪でやるべきことを済ませておく。銀行で学費を納入。俺、今学期ぜんぜん学校なんか行ってないのに。最後の晩餐(昼飯)に、行きつけのラーメン屋にも行った。一週間後にはまた来れるのに、もう二度とこの脂ぎったラーメンを食べられないのかも、と思えてしまって寂しい。ご馳走様でした!と声に出し、行ってきますは心の中で呟いた。家に帰って荷造りをして、うとうと眠ってしまうと、もうそろそろ出発しなくてはいけない時間になった。

 おじいちゃんは、俺がママチャリで行くことを知ると驚いていた。「大丈夫かいな。」と心配された。そういえば「ママチャリで旅に行く。」と豪語して回っていた時、俺よりも周りの人間がかなり不安そうな顔をしていた。俺は生まれてこのかた東京・大阪で育ったシチーボーイ。坂という坂も、山という山も知らない。ママチャリ移動になんら違和感を覚えていなかったのだが、存外、世の中の土地というのはヘコみとかデッパりが多いらしい。知らなかった。

 荷物を背負い覚悟を決めて、「まあ、大丈夫やろ!行ってきます!」とドアを開けて一歩踏み出すと、ちょうど、おかんが仕事から帰ってきたところだった。「もう行くん?ご飯食べる?」。母の顔を見た瞬間の安心感たるや。ちょっと泣きそうになってしまった。そういえば小学生高学年、俺の反抗期が過ぎた頃から、おかんに甘えることは全くなかった。「俺はきっと一人暮らしを始めても、実家に帰りくなったりはしないだろうな。」と思っていたが、そうでもないかもしれない。結局、不安な気持ちを和らげてくれるのは、おかんの愛なのだろう。俺は一旦家の中に戻って荷物を置き、おかんの作った「豚肉と野菜蒸したん」をズボボボと頬張った。今まで意識したことがなかった。これがおふくろの味なんだな、と実感した。

 しかし!いつまでも甘えてはいられない。食器を片付け、呑気にオンラインヨガ教室に参加していたおかんに別れを告げ、俺はママチャリに跨った。もう振り返らない。ペダルを漕ぎ始めたのだった。

 目指すは神戸。距離にして30kmほど。これくらいで根を上げるようでは、今回の旅は成り立たないのである。道はまっすぐ、地図を見る必要もない。とにかくペダルを漕ぎ続けるのみ。ほとんど自分の大学への道のりで、見覚えのある景色を懐かしむ。ロードバイクにはスルスルと追い抜かされて行くが、まさか奴らも、このママチャリの俺が明日、香川県にいるとは思うまい。変な優越感に浸っていた。

 走り始めて早30分。どう考えても、ものすごく暑い。汗ばむ。服装は半袖インナーシャツの上にトレーナー。新陳代謝が尋常じゃなく良い俺は、チャリを漕ぎ続けているおかげで暑くてたまらない。我慢ならず、尼崎付近のコンビニに自転車を停めてトレーナーを脱いだ。真っ白なピチピチの半袖インナーシャツ1枚に、黒いズボン。武井壮だ。そこには至極だらしない体のなんか惜しい武井壮がいた。旅の恥はかき捨て、と自分に言い聞かせた。武井壮フォルムになってからは快調、涼しく風を切り、厚手のコートを着る人々の横を爽快に走り抜けた。信号待ちのたびに、周りからの変態を見るような視線が痛いので、一切振り向かずイヤホンの音量を上げる。どうか「尼崎付近になんか違う武井壮が出現する」という都市伝説が流布しないことを願う。

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 2時間半くらいかかっただろうか。神戸三宮に到着し、友人と合流し、お酒を飲んだ。友人は、「ひとり旅に行きたくない。」と、自分で決めたくせにボヤく俺に、いささか理解ができない様子ではあったが、応援はしてくれているようだった。

 友人に感謝を告げ、フェリー乗り場に向かい、乗船した。俺はこのフェリーに乗るのは3回目だ。いつもはかなり混んでいるこのフェリーも、コロナの影響か人がほとんどいない。俺を合わせて8人ほど。いつもなら寝る場所にあぶれる雑魚寝スペースも、今日は広々と使える。大の字になって寝てやるんだ。明日の今頃、俺は何をしているのだろうか。香川県を出ているのだろうか。結局讃岐うどんは食べたのだろうか。宿は見つかったのだろうか。何も分からない。ただ一つ言えることは、左膝が既にジンジンと痛んでいる、ということだけだ。本番は明日から。


番外編:荷造り〜安物買いの銭失い〜

ここからは大した内容もないのに有料記事になります。ブラウザから購入できます。もしよければお恵みください。僕に本場の讃岐うどんを食べさせてください。

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