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偶然とは

偶然とは日常にすでにありふれていて、ただそれを偶然と捉えられるか、切り取りできるかどうかの能力のちがいではないか。

セレンディピティという言葉もあるが、
ある事象と事象の組み合わせに自分が気付けるかどうか。自分で組み合わせる能力なのではないか。

会いたいと思った人と出会えたり、
いつかやりたいと描いていたことがすぐ現実になったり、
相手と考えていることがたまたま一緒だったり、
レジの会計が777円だったり、
街中で昔の恋人とばったり会ったり、
相手と全く同じタイミングでLINEを送ったり、
占いで自分のことを言い当てられた!も大きくいえば偶然の一種だ。

この地球上で起こっているあらゆる事象の総数からの組み合わせだと捉えると、「偶然」は限りなく「日常」に近いのだとも思ってくる。

そんなことをぼんやりと思いながら過ごしていたのだが、読んでいた小説の一節が目に止まった。

「きっかけが何よりも大事だったんです。僕はそのときにふとこう考えました。偶然の一致というのは、ひょっとして実はとてもありふれた現象じゃないだろうかって。つまりそういう類のものごとは僕らのまわりで、しょっちゅう日常的に起こっているんです。でもその大半は僕らの目にとまることなく、そのまま見過ごされてしまいます。まるで真っ昼間に打ち上げられた花火のように、かすかに音はするんだけど、空を見上げても何も見えません。しかしもし僕らの方に強く求める気持ちがあれば、それはたぶん僕らの視界の中に、ひとつのメッセージとして浮かび上がってくるんです。その図形や意味合いが鮮やかに読み取れるようになる。....(略)」

『東京奇譚集』/村上春樹


まさに今自分が思っていたことではないか。

これもまた「偶然」だ。

ただこれも「偶然」が向こうからやってきたわけでもない。自分が「偶然とは」にアンテナを立てていたため、「偶然とは」の記載が目にとまっただけなのだ。

偶然に出会えると一日がちょっと嬉しくなる。
色が加わる感覚。

「日常」を「偶然」に変える力を追い求めていきたい。



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