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北村透谷の話その2 吾人は生命を信ずる者なり。

前回

に続いて今回も話題のメインとなるのは透谷とザ・俗物こと山路愛山の論争、いわゆる「人生相渉論争」の話です。

「純文学」という言葉を聞いたことがない、という人はいないでしょう。良い印象を持っている人もいれば、悪い印象を持っている人もいるかもしれません。

実はこの「純文学」なる名称、透谷が生み出したものなのだそうです。

具体的には、前回紹介した「人生に相渉るとは何の謂ぞ」が「純文学」なる言葉の初出だと言われています。この部分ですね。

「彼は「史論」と名くる鉄槌を以て撃砕すべき目的を拡めて、頻りに純文学の領地を襲はんとす。」

この「彼」とは、もちろん山路愛山のことですね。愛山の野郎が鉄のカナヅチ持って我らが純文学の領地に急襲かけてきやがった、と。

おい!俺は赤鬼か!

ここで透谷の言う「純文学」とは、愛山的な文学、実用的で役に立つ政治学や経済学、政治小説や経済小説の対概念です。

でも、それが愛山にはまったく伝わらなかったのでした。純文学ってなんやねん? と。

「人生に相渉るとは何の謂ぞ」が掲載されたのは、明治26年2月28日発行の「文學界 二號」です。

で、愛山はその翌月の3月1日から5月7日にかけて、「国民新聞」に「明治文学史」というエッセイを連載します。

このエッセイで愛山は明治文学界を代表する人物として「日本開化小史」で知られる経済学者の田口卯吉と「学問のすすめ」の福沢諭吉を取り上げるのですね。

で、このエッセイは本来この二人について述べるのが趣旨だったのでしょうが、前半でなぜか突然北村透谷の話が出るのです。ちょっと長いですが引用します。

「文章即ち事業なりとは吾人の深く信じて疑はざる所なり。事業の全躰を以て文章なりと曰はゞ固より誤謬なるべし。然れども文章世と相渉らずんば言ふに足らざるなり。

 北村透谷君なる人あり。吾人が山陽論の冒頭に書きたる文章は事業なるが故に崇むべしと曰ひしをば難じたり。然れども彼は吾人を誤解せるのみ。彼は吾人を以て夫の宗教家若しくは詩人、哲学者が世界的と呼べるところの事業に渉らずんば無益の文章なりと曰ひたるが如く言へり。如何なれば彼の眼斯くの如く斜視する乎。彼は自らを高くし、高、壮、美、崇、恋などいふ問題は恰も自己独占の所有品にして吾人の如き俗物が(彼の見て以て俗物とする)関せざる所なるが如く言へり。彼は吾人を誣て吾人の思はざることを思ひたるが如く言へり。

 吾人が文章は事業なりと曰ひしは文章は即ち思想の活動なるが故なり、思想一たび活動すれば世に影響するが故なり。苟しくも寸毫も世に影響なからんか、言換ふれば此世を一層善くし、此世を一層幸福に進むることに於て寸功なかつせば彼は詩人にも文人にも非ざるなり。若し「事業」てふ文字を以て唯見るべき事功となさんには、若し「世を渉る」てふ詞を以て物質的の世に渉ることなりせば吾人の文章は事業なりと言ひしは誤謬なるべし。然れどもキリストの事業が三年の伝業に終らざるを知らば(彼の事業は万世に亘れる精神界の事業なり)、エモルソンの言へる如く大著述家は短き伝記を有することを知らば(彼の世と渉るは書中に活きたる彼の精神に在り)、吾人が斯く言ひしは当然なることなり。」

つまり、北村透谷は俺の言ったことを誤解している、と。俺は別に世界的レベルの作家になれなければ作家になる意味がないとは言っていないし、俺の言う事業は別にビジネスだけの意味ではないし、俺の言う「実用性」は別に物質的なことだけじゃないと。しかもあいつは美だの恋だのは自分だけが知っていて俗物の俺には無縁であるかのように言ってるけどそれひどくない? というわけです。

……うん。まあ、確かに、俗物というあだ名はひどいと思うよ。

愛山の怒りはまだ収まりません。そのさらに翌月の4月19日には、同じく国民新聞に「凡神的唯心的傾向に就て」というエッセイを寄稿します。

このエッセイで愛山は次のように書いたのでした。

「女学雑誌社と云へる花壇に咲きたる花は何となく、凡神的、唯心的の傾向を表はしぬ、女学雑誌には慥かに衝突せる二個の分子が存在するを見る。一方は即ち孤女院、貧民院等の義挙に同感を表する人情也、他方は即ち禅僧の如き山人の如き、世の所謂すね者の如き超然独りを楽しむ主我的観念也。」

女学雑誌社は透谷が寄稿していた「文學界」の版元で、もともと透谷は友人であった島崎藤村や平田禿木らとともに「女学雑誌」という雑誌に寄稿していたのでした。しかし、キリスト教主義的な「女学雑誌」には透谷らのロマン主義は合わないということで「文學界」が別に創刊されたのです。

愛山はそのことを言っているのですね。おやおや女学雑誌社さん、おたくで新しく創刊した「文學界」どうなんですか? おたくのイメージダウンになるんじゃないですか? と。

……うーん、愛山の気持ちもわかるんですけどね。でも、親会社にクレームつけるのとかどうなんだろう。

あと、「明治文学史」でいきなり透谷の話をしたのも、「北村透谷とかいう若造の変な詩人もいますけど、私らは立派な文学者である田口卯吉先生や福沢諭吉先生の話をしましょうか」というポーズに見えなくもないですよね。そう考えると、やっぱり愛山のやり方はちょっと俗物っぽい気がします。てか、性格悪いというか……

で、透谷がその翌月の5月31日、度重なる愛山による批判を受けて「文學界 五號」に書いた評論が「内部生命論」なのです。

このエッセイ、愛山への応答にはあまりなっていない、という意見もあるようなのですが、僕はそんなことないと思います。このエッセイは、誰よりもまず山路愛山に向けて書かれたものだと僕は思う。むしろ、愛山への手紙といってもいい。もちろん、同時に同誌に発表した「人生の意義」や「頑執妄排の弊」「賤事業弁」ほど具体的ではないとしても。

まあそれはそれとして。このエッセイはこんな文章から始まります。

「人間は到底枯燥したるものにあらず。宇宙は到底無味の者にあらず。一輪の花も詳に之を察すれば、万古の思あるべし。造化は常久不変なれども、之に対する人間の心は千々に異なるなり。

 造化は不変なり、然れども之に対する人間の心の異なるに因つて、造化も亦た其趣を変ゆるなり。仏教的厭世詩家の観たる造化は、悉く無常的厭世的なり。基督教的楽天詩家の観たる造化は、悉く有望的楽天的なり、彼を非とし、此を是とするは余が今日の題目にあらず。夫れ斯の如く変化なき造化を、斯の如く変化ある者とするもの、果して人間の心なりとせば、吾人豈に人間の心を研究することを苟且にして可ならんや。」

この冒頭の文章は、僕はすごく名文だと思うんですよね。

透谷はまず「造化は常久不変なれども、之に対する人間の心は千々に異なるなり。」と言います。そして「造化は不変なり、然れども之に対する人間の心の異なるに因つて、造化も亦た其趣を変ゆるなり。」と。

造化はネーチユア、自然のことです。でも、ここでいう自然とは、ただの草木を意味する自然というよりも、環境だとか現実といった意味でしょう。

自然(あるいは現実)というものは確かに事実として目の前にあるのだけれども、それをどのように見るかは、見る人の心によるだろう、と透谷は言うのです。

愛山は透谷が俺の言ったことを誤解している、と反論しましたけれど、恐らく透谷も同じことを思っていたのでしょうね。透谷は愛山の人格を攻撃しているのではないのです(多分)。そうではなく、愛山が拠って立つ常識を批判しているのです。その常識とは、

1.人間誰だって功成り名を遂げたいでしょ
2.今の時代、功成り名を遂げるなら西洋文明でしょ

という2点です。この2点は確かにこの時代の(あるいはいつの時代でも)常識ではあるのだけれど、真実ではない。それを真実だと思っているからお前は俗物なんだよ、と。(そこまでは言ってない)

そして透谷は言います。

「吾人は人間に生命ある事を信ずる者なり。今日の思想界は仏教思想と耶教思想との間に於ける競争なりと云ふより、寧ろ生命思想と不生命思想との戦争なりと云ふを可とす。」

誰かさんはキリスト教主義の雑誌社に禅僧みたいな奴がいる(これは透谷ではなく「文學界主宰の星野天知を指すのだそうです)と言っているけれど、そんなことは問題じゃないんだ、と。問題はキリスト教か仏教かというようなことではなくて、人間に生命があるということを信じる者と信じない者がいる、ということなのです。

「宗教としての宗教、彼れ何物ぞや、哲学としての哲学、彼れ何物ぞや、宗教を説かざるも生命を説かば、既に立派なる宗教にあらずや、哲学を談ぜざるも生命を談ぜば、既に立派なる哲学にあらずや、生命を知らずして信仰を知る者ありや、信仰を知らずして道徳を知る者ありや、生命を教ふるの外に、道徳なるものゝ泉源ありや、凡そ生命を教ふる者は、既に功利派にあらざるなり、凡そ生命を伝ふる者は、既に瞹眛派にあらざるなり、凡そ生命を知るものは、既に高蹈派にあらざるなり、危言流行の今日、世人自から惑ふこと勿らんことを願ふなり。」

人間に生命があるということを信じない者とは、前回述べた人間を数字や記号として見る考え方だと僕は解釈しています。だから別に、ビジネスをしているから俗物なのではないし、栄達を求めるから俗物なのではない、その逆に、宗教家であったり哲学者であるから俗物ではないわけでもない。

とはいうものの、じゃあその生命って何なんだよ、と思う人もいるでしょう。特に、愛山はきっとそう思う気がします。

でも、生命なんてものはそもそも何なのか分からない、定義できないものですよね。

で、そうだとして、それのなにがいけないのでしょう。どうしてそれではいけない、と考えるのか。

世の中には、正面から取り扱うことによって見えなくなってしまうことがあるじゃないですか。

たとえば、「なにが善でありなにが悪であるか」ということを正面から取り扱う場合には、その対象について明確に定義していく必要があるでしょう。法律家や政治家は、職業上それをする必要があるかもしれません。でも、じゃあその彼らが善や悪を明確にできるのかというと、そうではないでしょう。

実用的な学問は、対象における効果だけを見るものです。そしてそのためには、その対象を定義付け、特定しなければならない。ただ、そうすると、たとえば善悪の問題なんかに関してはすごく薄っぺらな答えしか導き出せないか、あるいは「そういうことについては考えない」という結論しか出せないわけです。

ちょっと話がずれますが、メアリー・シェリーが「フランケンシュタイン」を書いたきっかけの一つは、夫やその友人達が蛙の死骸に電気を流したら足がぴくぴく動いたのを見て「蛙が生き返った!」と興奮していたことだ、という話があります。

恐らくその時メアリーが考えていたのは、「いや、ちょっと待ってよ。生きるってそういうことじゃないでしょ。体が動きさえすればいいのかよ」という思いだったのだろうと思うのです。

科学は確かに生命(のような何か)を復活させることができるようになるかもしれない。でも、生命の本質とは、別に足がぴくぴく動くことではないでしょう。なのに、そのことについて答えを出すことは、科学(というか工学)にはできないのです。

そして、仮に科学によって生命とはなにか、という問いに関する答えが引き出せないのだとしたら、あなたがさっき科学の力で復活させたものは一体なんなのですか? それって本当に「生き返った」と言えるの? という話なのです。

で、このなにかわからない「生命」なるものが、それでも確かにあると俺は信じる、と透谷は言うのですね。それが結局はある種の「信仰」である以上、ビジネス的な、学問的な、政治的な格付けは不可能なんだ、と。


さらに話がずれますけど、僕は北村透谷のことを考えるとき、いつも数字の「0」を思い起こすのです。

数字の「0」というのがアラビア数字であることはご存知の方も多いことでしょう。で、その発祥の起源がインドであることも。

この数字の「0」というのは不思議な数字ですよね。だって「0」とは「なにもない」という意味ですよ。でも、なにもなくないじゃん。なにもなかったら「0」とすら言えないじゃん、と思いません?

だから、「0」という数字はインドでしか生まれ得なかったのですね。遥か昔から商人は世界中にいて計算をしていましたし、数学なるものもインドで「0」が生まれるずっと前からギリシャやエジプトなんかであったわけです。有名なピュタゴラスとかユークリッドとかいたわけでしょう。

でも、ギリシャ人も、エジプト人も、誰も「0」というものに気付くことさえなかった。当たり前です。だって非合理なんだもの。

実際、ギリシャやエジプトではアラビア数字が入ってくるまでは独自の数字を用いていたそうです。(日本だって漢数字を用いていたでしょう。で、漢数字にも「0」なんてものは多分なかったんじゃないでしょうか。その辺詳しくは知りませんが)

で、実際「0」という数字を使わなくても計算はできるそうです。ちょっとめんどくさくなるだけで。ピュタゴラスは「0」を使わずにピュタゴラスの定理を考えましたし、ピラミッドだってあの設計のために「0」は使われていなかったのです。

なぜこんな話をしているかというと、世の中そういうもんじゃないですかってことなんですよ。

実は、論理的整合性にこだわった方が複雑になってしまうことや、逆に問題が難しくなってしまうことというのはたくさんあるのです。

生命ってなんですか? と言われても、それに対する合理的な答えは出せないかもしれません。「うーん、うまく説明できないけど、でも、なんとなく分かるだろ?」としか言えない。

そのことを批判することは簡単です。「お前はなに言ってるのか分からない」ということなんて。

でも、そのわけのわからないものを持って、僕らは現実に生まれてしまっているわけですよね。このわけのわからないものがあるということが抽象的に思えるからといって、それをないことにはできないし、そうするべきでもない。そうじゃないですかね?


そして透谷はこの論の最後にこう言うのでした。

「万有的眼光には万有の中に其極致を見るなり、心理的眼光には人心の上に其極致を見るなり。」

万有(汎神)的だからこそさまざまなことの良さが見えるし、心理(唯心)的だからこそ人の心がわかるんじゃないか、と。愛山、それを批判するお前はつまり、たった一つの常識という考え方に心を捉われているにすぎないぞ、と。

これは、本当にそうだと思うんですよね。本当は、答えはたった一つよりもたくさんあったほうがいいし、勝者も敗者もいないほうがいいじゃないですか。それって多くの人にとって理想でしょう。なのに、人は争うのですよ。これが真実だーとか、俺のほうが強いーとか言って。

文学というのは、そんな競争社会という現実から逃避する方法の一つなんですよね、本当は。なのに、なぜかそんな文学の世界でもたった一つの答えを知る勝者をつくろうとする人たちがいる。愛山みたいに、文学を事業に喩えようとする者がいる。

透谷は言います。

「論議の範囲に於て、善悪を説くは、正面に之を談ずるなり。文芸の範囲に於て善悪を説くは、裡面より之を談ずるなり。」

つまり、文学とは言葉の裡面、裏を読むことだ、と。そして透谷は愛山が言った「事業」という言葉の裡を読んでいるのです。そこには功利的な拡大主義や競争原理のようなものがある。なぜそのようなものを文学に持ち込む必要があるのか、なぜ文学がそのような考え方のオルタナティブであってはならないのか、と。

北村透谷はこの評論を発表した翌年、芝公園で首吊り自殺をして死んでしまいます。あんなに生命が大事だって言ったのに、彼は自ら生命を断つ決断をしたわけですね。

なんだよって、そう思います。生命を信じてるんじゃなかったのかよ。

でも、彼が遺した詩や評論の中には、今もまだ生命があり、生き続けている。僕はそう思うのです。これは、お決まりの美辞麗句でもなければ月並みなレトリックでもありません。なぜなら、それを、言葉に生命が宿るということを本当に信じることこそが文学なんですから。

彼は言いました。

「吾人は人間に生命ある事を信ずる者なり。」と。

そして彼は、こんなことはどこにも言っていませんが、きっと、こうも思っていただろうと僕は信じているのです。

「吾人は文学に生命ある事を信ずる者なり。」と。

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