物語は幸福のためにある 〜映画「丘の上の本屋さん」のこと
昨日、映画「丘の上の本屋さん」を観てきました。
舞台はイタリアの歴史風情を感じる街。その街にリベロというおじいさんが営む小さな古本屋さんがあるんですね。
で、その古本屋に黒人の男の子がやってきて、おじいさんと男の子は仲良くなり、おじいさんは男の子に色んな本を勧めてくれる、そんなお話です。
で、そのおじいさんが男の子に勧める本が、本好きなら「んー、ですよね!」って言いたくなるような本ばかりなので楽しいのですが、それに加えて面白いのが、店にやって来るお客さんなんですよね。
そのお客さんたちがもう、一癖も二癖もありそうな人ばかりで。
まあ、本好きというのはそうなのでしょうね。僕もきっと側から見たらめんどくさい人なんだろうなあという自覚はあるので、気をつけようと思いました。
で、このおじいさんがね、もうめっちゃ博識なんですけど、店番をしながら読んでいる本というのが、またいいんですよ。結局ね、最後はそこに行き着くのかもしれない、と思います。
まあ、正直なところ、この映画がたとえば「ニュー・シネマ・パラダイス」のような名作なのかというと、そんなことはないと思います。でも、だからいいなあ、と僕は思うんですよね。
なんか、名作は名作でいいんですけど、名作じゃないからいい、みたいなのって、ありませんか? たとえば、日本文学でいうなら、小山清の「落穂拾い」みたいな。牧野信一の小説みたいな。遠藤周作より庄野潤三が好きみたいな、そんな感じ。
それに、リアリティもないと思う。こんないい立地のテナントを借りたら、一体店を維持するためにどのくらいの売上が必要だろう、なんてことも思いますが、でも、それを言ったらリアルな本屋や古本屋の様子を描いた作品なんて今まで一度も見たことないので別にOK。きっとそんなのは存在しないので。あってもつまらないだろうし。本屋や古本屋というのは霞を食って生きてるようなのんびりしたものだと相場が決まっていますので。
あと、どうでもいいことですが、黒人の男の子エシエン君が可愛いです。ジャクソン5の頃のマイケル・ジャクソンみたい。
そうだ、この作品の一番いいところを書くのを忘れていた。僕が思うこの作品の一番いいところは、この作品が、物語や知識というものが一体何のためにあるのか、ということを描いている点だと思います。
物語は物語のためにあるわけじゃないし、哲学は哲学のためにあるわけじゃない。批評家というのはいつも、物語のための物語や、哲学のための哲学を褒めそやすものなのだけれど。でも、違う。それらは皆、読む人の幸福のためにあるのだから。
もちろん、そうは思わない、という人もいるかもしれないけれど、僕はそう思ってる。そして、この映画もそのように描いていたのが、とても嬉しかったです。
ということで、今日も最後に140字小説。映画を観て思い出しました。以前、今とは違う名前だった頃、こんなのを書いたことを。
僕もリベロみたいなおじいさんになりたいなあ。
また明日。
おやすみなさい。
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