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遠いことと近いこと、一人であることと一人じゃないこと~森絵都著「宇宙のみなしご」のこと
退屈に負けないこと。
自分たちの力でおもしろいことを考えつづけること。
テレビやゲームじゃどうにもならない、むずむずした気もち。ぜったいに我慢しないこと。
わたしたち姉弟にとっては、それがすべてだった。
生きていく知恵のすべてだった。
この物語を一言で言うなら、これは中学二年生の姉の陽子と弟のリン、そして陽子のクラスメイトの七瀬とキオスクが屋根に上るお話です。
屋根に上る、というのがいいですね。これが異次元世界を探検する、とかだったら心の中で「そういうモード」にしないといけません。でもこれはそんなすごい話じゃない。ただ屋根に上るだけですから。
だけどただそれだけのことで、変わってしまう世界の見方がある。
それはこの世代の心と同じようなものかもしれません。
ばかばかしいってことはわかってる。でも、そのばかばかしいことがどうしてもしたいんだ、という思い。それはきっと、大人はわかってくれない。屋根に上ることと同じように。
そしてそのばかばかしいことが、実はとても大事なことだったりする。それも多分大人はわかってくれない。
とは言え、たぶん僕のような大人が「ああ、わかるなあ、そういうの」なんて言っても、それはそれで絶対どこか違うのでしょう。彼らは愛想笑いを浮かべながら心の中で「ああ、こういうわかったふりをする大人って一番めんどくせー」って思うに決まってるのですけれど。
さて、僕はこの物語に登場するキオスクという少年が好きです。
彼はいわゆるいじめられっ子で、パシリなんですね。いてもいなくてもどっちでもいいけれど、いたら便利な存在、だからキオスク。
そんな彼は心の中で、実は自分は世界を救う戦士なんだ、と思っています。中二病全開ですね。そういうところがまたかっこ悪い。
でもそんな彼も、主人公たちと一緒に屋根に上ることになります。そして、そうすることによって彼もまた、少しだけ成長するのです。
自分を変えたいと思ったら、何も世界を救う戦士になんてならなくてもいい。ちょっと屋根に上ってみる、それだけで目の前の世界が変わるのだから。
「富塚先生、学校やめるまえにぼくんちにきたんだよ。二年C組のみんなはだいじょうぶだろうけど、ぼくのことだけは心配だって。ぼくんちにきて、いったんだ。大人も子どももだれだって、いちばんしんどいときは、ひとりで切りぬけるしかないんだ、って」
(中略)
「ぼくたちはみんな宇宙のみなしごだから。ばらばらに生まれてばらばらに死んでいくみなしごだから。自分の力できらきら輝いてないと、宇宙の暗闇にのみこまれて消えちゃうんだよ、って」
星と星との間は実際には気の遠くなるくらい離れています。だけど、地上から夜空を見上げてみれば、線でつなぐことができますよね。
人と人との関係もそういうものかもしれません。たった一人で輝いているようでも、手を伸ばせばつなげる誰かがいるかもしれない。
つまり、「遠い」ということと「近い」ということ、「ひとり」であることと「ひとりじゃない」ということは、実はどこかでつながっている、のかもしれません。
屋根に上るということが、くだらないことでありながらとても重要なことであるのと同じように。
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