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枯れない花を贈って


誰かの幸せのために自分の幸せを手放すことを愛だとするのなら、愛とは残酷なものだと思う。

愛と欲望の狭間を逡巡する私を嘲笑ってほしい。


私も、なんとなくで花を買う歳になった。

毎日、水を替える。大切に、丁寧に、愛情を注ぐ。「子どもと同じ」って、どこかの誰かが言っていた。

花屋さんの前を通る瞬間は、いつも胸が躍る。あの匂いが好き。誰かの愛情がたくさん詰め込まれた花たちを、じーっと眺めるあの贅沢な時間が好き。

「私、お花屋さんになりたいんです」

いつかの私の言葉、そこに夢と希望が詰め込まれていた。


花は育てるのも好き。花苗を選んで、植木鉢に培養土を詰めて、水をあげて、話しかけて、芽が出て、悩みを打ち明けて、蕾になって、微笑みかけて、そして、ようやく花が咲く。

花が綺麗に美しく咲いた瞬間に、枯れないでほしいと願ってしまう。

何かを育てるって、紛れもなく愛だと思う。


君が、空は緑色だと言ったら、空は間違いなく緑色だと思う。

君が、猫は爬虫類だと言ったら、猫は間違いなく爬虫類だと思う。

君が、ゴーヤは甘いと言ったら、ゴーヤは間違いなく甘いと思う。

私が君の言葉を肯定する。私が君の感性を肯定する。私が君を、君の存在を肯定する。

君は君のままでいい。君は君のままがいい。

生まれてきてくれて、ありがとう。


失恋をして傷ついている友人に「この世に男は腐るほどいるよ」って言葉をかけるのは、優しさに化けた暴力なのかもしれない。

「月は一つしかないでしょう」って言われたから「大丈夫、太陽があるよ」って返した。屁理屈。


私が甘いコーヒーを選んだ理由なんて、君はこの先もずっと知らなくていいと思う。

変わったようで変わっていなくて、変わっていないようで変わったということの証明がしたかった。ただ、それだけ。それだけのこと。


某月某日、深夜0時30分。

アルコールを帯びていない状態の私が、誰かの前で涙を流すのなんていつぶりだろうか。

誰かに感情を吐露するのなんて、いつぶりだろうか。

大きな身体で抱きしめられて、安心した。

私のために紡がれる言葉の端々に彼の優しさを垣間見て、また涙が止まらなくなった。

声をあげて泣いた。

なんか、すっきりした。

私の心を救ってくれて、ありがとう。


「死にたくなったから連絡した」

自分よりも大切だと思える友人が、電話越しにそんなことを言った。心配なはずなのに、なんだかほっとした。彼女は泣きながら笑っていた。

不謹慎ながら、愛おしいと思った。

大切にしたい。彼女も、彼女の感情も、私の彼女に対する感情も、全部大切にしたい。

待ってるね。今日も彼女の生きる理由は私でありたい。


音楽を聴いたり、匂いを嗅いだり、星を見たりしても、過去の記憶を思い出すことはなくなった。

思い出にはもう縋りつかないし、私には必要がない。

死ぬほど苦しかったこととか、消えてしまいたいくらいに辛かったことも、彼と出逢う世界線に生きるための試練だったのだと思えば、それほど大したこともなかった。

「結婚したいなあ」とか「ずっと一緒にいたいなあ」とかそういうのじゃなくて、当たり前のように私の未来予想図に彼がいる。

友人の未来予想図に私と彼がいる。

彼の過去を想像して苦しくなったり、私の知らない彼を知って胸が痛んだり、そういう感情すらも愛おしく思えて、ずっと抱きしめていたいと思う。

私に平凡な幸せをくれて、ありがとう。


いつからだろう。コーヒーを飲んでも苦いと感じなくなった。

いつからだろう。理解されないことを寂しいと感じなくなった。

いつからだろう。一人で歩けるようになって、誰かに手を差し伸べられるようになった。

私は絶対にこの手を離さないから、優しくそっと握っていて。


天秤にはかけられないから、何かが欠けるんじゃないか。

どちらか一方なんて選ぶことはできないから、どちらも選ばないんじゃないか。

欲しいものを欲しいと言える人間が疎ましくて、妬ましくて、死ぬほど羨ましいんじゃないか。

人間って、なんて欲深い生き物なんだろう。


相手に気持ちを伝えることが苦手。

いつも最悪の結果を想像している。

傷つけるくらいなら、傷つく方がずっといい。

私の痛みなんて、誰も知らなくていいよ。

幸せでいて。今日も明日も笑っていて。




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