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私と言葉


言葉が尊いものだと知ったのはいつだっただろうか。

言葉が儚いものだと知ったのはいつだっただろうか。

言葉があたたかいものだと知ったのはいつだっただろうか。


きっと私が私を表現したいと思い始めるそのずっとずっと前からなんだと思う。そのずっと、ずっと前から私は言葉の存在を知っていた。


母は小説、長女と父は漫画を読むのが好きだったこともあり、物心がついた頃にはたくさんの書籍に囲まれていた私。当然のように私も家にあった漫画や小説を手に取って、何十冊、何百冊と幼いながらに読んだ。次第に私は保育園児にしては珍しいくらいに読書に没頭していって、友達の誘いを本の続きが読みたいという理由で断るくらいには本が大好きになった。そのおかげもあって、同級生では読めないような漢字もすらすらと読めたし、友達よりも少しだけ早く大人の世界に触れることで、周りを出し抜けたような気がして、そのことに少し誇らしげさのようなものも感じていた。


この頃にはもうすでに、私は言葉の大切さに気づき始めていたんだと思う。漫画や小説の中に出てくる言葉や文章の意味について、夜な夜な考えることもよくあったし、友達にその言葉の深さについて熱弁することもしばしばあった。そして何より、この時間は気が狂うくらいに楽しかった。


小さい頃からたくさんの言葉に触れていたおかげで、学生時代、表現力というものは人よりもほんの少しだけ優れていたと思う。読書感想文は得意中の得意だったし、国語の成績もそれなりに良かった。私にとって作者の気持ちを読み取ることは、止まっている蚊を捕まえることくらいに容易だったから。

人の感情も同じだった。読み取ろうとしていなくても、勝手に感じ取った。その本人が感じているものと同じくらいの重さで感じ取った。怒り、妬み、嫉妬、悲しみ、そういった負の感情は特に強く感じ取った。

映画を観て、本を読んで、ニュースを見て、いろんなことを深く連想して、激しく涙することが昔から多々あったけれど、それが普通なんだと思っていた。当たり前の感情なんだと思っていた。音楽の歌詞について深く考えてみたり、ふと発された他人の発言にしばらく引っかかってしまったり、そういうことも普通のことなんだと思っていた。

そしたら、違った。人とは少し違った。こういったのは繊細な人間にしか感じ取れないものであったり、繊細な人間の特徴だということを、大学生になってから初めて知った。


生きづらそうだよね

と、言われることがよくある。自分でも時々、いや常々感じている。もっと鈍感な人間でいられたらと思うこともよくある。

だけど、私は繊細に生まれたことに感謝している。

繊細な私だからこそ感じられること、知れること、考えられることがたくさんある。


いつの日か、私が言葉と仲良しになれた理由に気がついて、しっくりもきた。なんか絡まっていた糸がするするっと解けていく感じ。

幼い頃から読書をしていたから繊細な人間になったのかと考えたこともあったけれど、それはどうやら違っているみたいで、五人に一人の人間はこういう気質を持って、この世に生まれてくるらしい。つまり、私はその五人に一人の存在だということだ。


私は言葉が人を救うことを知っている。

反対に、言葉は凶器にもなることを知っている。

私の大切な大切なお友達。ずっとずっと昔から大切にしてきたお友達。

この先もずっとずっと大切にしていきたいお友達。


言葉で伝えて、言葉で感じて、言葉で表現する。


これが唯一、私にできる言葉への愛情表現。


私がこの世から消えてなくなる日まで、ずっと隣にいてね。私の大切なお友達。



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