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男が好きで、男が嫌いで。#5ー脱・童貞メンタル2「白馬に乗った童貞さま」ー

ー「守ってあげたい」という王子様メンタル

前回のnote(ー脱・童貞メンタル「セックスは男の自信」ー)の中で、第二期童貞時代が始まった、と記した。これはセックスに限った話ではなく恋愛においても童貞に逆戻りしてしまうようなアイデンティティクライシスを三十路を越えて味わっている。

そこで今回改めてこの第二期童貞期における「童貞メンタル」について考えてみた。

僕が愛してやまない仲のいいゲイのお兄ちゃんたち2人と飲んでいた時のことだ。メイントピックは、2番目のお兄ちゃんの恋バナ。この日も大いに盛り上がっていた。

2番目のお兄ちゃんはチャーミングでユーモアがあり、尚且つキュートな顔立ちをしているモテ男で、常に何かのドラマの中にいるような人だ。この日も彼が最近デートした男たちのエピソードを軸に、楽しくお酒を飲んでいた。

彼の恋愛に対する意固地さや、こうと決めたら突っ走ってしまう愚直さを「お前の一挙手一投足がなんか童貞くせえんだよな」と自分のことを棚に上げて散々イジリ倒していた直後に彼が発した「でも好きな人だったら守ってあげたいって思うじゃん!」というワードに正直自分は特大ブーメランを喰らった気分になってしまった。だって、

俺も好きな人のこと「守ってあげたい」って思っちゃうな、と。

「守られたい」ではなくこの「守ってあげたい」というこの気持ちを、僕は”王子様メンタル”と名付けた。(一定の)男の人が持ち合わせているこの特有の感情にこの時とても引っ掛かったのだ。

ー守ってあげたい。守りたい。

これまでの数少ない自分の恋愛経験を引っ張り出してみよう。

少し年上の、何かにつけて上から物を言いたがる男と長らくデートしていた時のことだ。関係は曖昧で、口に出して付き合ってくれと言われたことがなかったので、なんとなく付き合っている風の間柄だった。

何かと旦那気取りをしたかったようで、着ている服のことから日常の振る舞いに至るまで「お前はこういうところがあるから~……」などと逐一言われ、それに当然のように私は食って掛かってしまい、小さい喧嘩が絶えない期間を過ごしていた。本当に好きだったり、彼に対して尊敬の念を私が持っていたらそういう一つ一つの指摘の捉え方も違ったのだろうけど、いまいち実態がつかめない男から小言を言われることに疲れ、喧嘩の絶えなかった二人とは思えないくらい波風も立たず、電話一本でこの関係はあっさりと幕を閉じた。

片や、どうしようもなく好きだった男がいた。彼は常に受け身な姿勢で、自分というものをあまり強く主張してくるタイプではなかった。はじめて会った時、「こういう子が男に愛されやすいんだなあ」と思ったのを今でも鮮明に覚えている。話も合わず、なんとなく噛みあわない彼に、なぜ長らく入れ込んでいたのかというと、簡単な話めちゃくちゃ床がよかったからで、性欲で好きという気持ちを正当化しようとしていたんだと、今なら思える。しかし、僕はそんな彼のことを「守ってあげたい」と思ってしまい、自分が一番彼のことをわかってあげられる! わかってあげたい! という勘違いから、終わっているはずの関係をダラダラと長引かせて痛々しい失敗をたくさん重ねた。

後者の男には大変迷惑な話だったと思う。前者の男も私のことを「守ってあげたい」という気持ちが拗れた結果の振る舞いだったのかもしれない、と今なら思える。が好きでもない男が自分の人生の王子様を気取ってくるほど鬱陶しいことはないだろうと、今このnoteを書いていて色々フラッシュバックしてしまい、苦虫を噛み潰した顔でデスクトップを眺めている。

ー誰も迎えに来てくれないのなら。

話を戻そう。冒頭で話した”守ってあげたい”という「王子様メンタル」がなぜ「童貞メンタル」と通じるのか。

白馬に乗った王子様がいつか迎えに来てくれる。そんなおとぎ話は三十路を越えてから信じなくなったし、そもそも”自分の人生の王子様”という概念を意識するようになったのも、ゲイという性をしっかりと自認してからのような気もする。

(確固たる自認をするのが遅すぎたおかげで、何事も自分が動かなくては何も変化していかなくなる年頃になってしまったが。)

例えば恋に落ちて、ディズニー映画のプリンスたちのように、この人だ! と誰かに運命を感じ、その相手(プリンセスたち)に猛アタックしたとしよう。

街中を巻き込んでガラスの靴の持ち主を探したり、うっとりとしたその美声だけに運命を感じたり、自分のキスで意中の相手を目覚めさせようとしたり。そんな猪突猛進なことできるわけなかった。

最後に猪突猛進したのはいつだろう。「好きです。僕と付き合ってください。YES or NO」と告白の返事をアンケート形式で書いたラブレターを送ったのは中学1年生の夏休みが最後だったと記憶している。

大人になってから猪突猛進したら、体も大きくなっているから、色んなもの巻き込んだ大事故になる。

家来総出でガラス靴の持ち主を探したところで、持ち主が自分に興味がなかったら名乗り出てくることもないだろうし。

美しい歌声を失くしてまで自分のもとへ来てくれた相手の全てを愛するほど大きい器があるのか、自分で自分を疑ってしまうし。

恋い焦がれた相手の目を覚ますべく勇気を出してキスをしてみたはいいものの、それで目覚めなかった日には傷心しきって自分が深い眠りに落ちたくなる。

あれ。よく考えてみたらプリンスたちはお城で大切に育てられた、生粋の童貞ばかりではないか? 自分は、愛する人から愛されて当たり前という絶対的な自信を持っている。なぜなら彼らは拒絶されたり、恋愛で傷ついたことなどないのだから。

「守ってあげたい」という王子様メンタルは自分本位でなんと身勝手なものなんだろうか。相手の気持ちを考えず、自分の気持ちを押し付けるばかりのオナニーの極みだと思う。

ー落馬した王子様

前回の記事の中で私は第二期童貞期についてこう記した。

人を呪わば穴二つ。自分の行いは全て自分に返ってきてしまい、自分が男たちに下してきた残酷なジャッジが、自分にも同じように下される。
こうなってくると、セックスに限った話では終わらず、恋愛における一挙手一投足にも自信がなくなってきてしまう。三角の目をした羽ある天使が自分の耳元で囁くのだ、「イタいことしてるからやめれば?」と。そんなこと言われたら、童貞くんに逆戻り。手も足も出ないよ!!

好きな子を前にすると、媚びてしまい、自分らしくいられなくなる。かといって、おとぎ話の王子様たちのように猛アタックしようものなら、距離感がバグって相手のことを考えられないクソリプおじさんのできあがりだ。

”好きでもない”人からされたら嫌だなと思うことを知っているからこそ手も足も出なくなるし、過去に慣れない白馬に乗ってしまい、落馬して大けがをしたこと経験があるからこそ、自分の一挙手一投足に自信のない私は今、第二期童貞期のさなかにいる。

ここで2度と傷つかないための手段として極端なパターンが2つ考えられる。

ひたすら待ちの姿勢に徹するお姫様メンタルに気持ちを切り替えるか、全く他人に期待をしなくなる。これなら致命的な大怪我はひとまず回避できるだろう。

ー王子様じゃない男たち

しかし、恋愛において傷ついたことのない人間なんて近所をぐるっと聞いて回ってみてもなかなかいないだろう。皆、何かしら過去があるのだから。

ディズニーアニメーションの中で魅力的な男たちについて考えてみた。”ディズニーの女性スタッフが総動員して考えた完璧な男”a.k.a「フリン・ライダー」や他人を信じるなんてバカらしいとペテンをはたらいて生きていた「ニック・ワイルド」。彼らは過去に傷ついた経験がある故に魅力的だった。

両者とも第二期童貞期特有の人の避け方(他人に期待をしない)をしていたが、物語の最後には過去を受け入れて前に進んでいる。前に進めたのはもう一度信じてみようと思ったからではないだろうか。誰かをではなく、自分を。

(個人的に)彼らがチャーミングだと思う理由はおそらく、過去の傷を乗り越えたからだ。過去の自分を受け入れて、それをきちんと血と肉に変え、裏打ちされた自信をつけたが故に魅力的に見えるのではないだろうか?

ー「童貞」というのは

うわ、ものすごい青臭い終わりにしようとしちゃってる。脱・童貞メンタルと銘打っておいて、最終的にこんなところに行き着いてしまうのか? いやそれでいいじゃん、それで。

おそらく、「童貞」という気質は男たちに一生取りついて離れないものなのかもしれない。それが時として呪いになり、武器になったりするというだけの話で。

そもそも、世の男性たちが恋愛(もといセックス)経験が浅いことをなじられてしまう、こういうことを余裕しゃくしゃくでこなせないと一人前でないとされてしまう風潮はどこからきているのだろうか。私自身、器用になんでもこなしてしまう男よりも、一生懸命だけど不器用な男に恋をするというのに。

そっか、脱・童貞メンタルなんてしなくてもいいのだ。自分の中の「童貞(自信のない自分)」とどう付き合っていくのかが問題なのだ。

だとしたら、バッチ来い王子様メンタル。自信を持っている自分は魅力的なのであれば、落ちることを怖がらずに再び白馬に乗ってみてもいいのかもしれない。そうでもしないと臆病な僕たちはここに留まってしまうばかりで、どこにも行くことができないのだから。


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