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男が好きで、男が嫌いで。#4ー脱・童貞メンタル「セックスは男の自信」ー

ー僕はセックスが”うまく”できない


ところで私は、セックスに自信がない。恋愛感情を人に抱き、性欲もある人間なので、この「セックス」というのはいつ何時だろうと私の人生にエッセンスとして散りばめられている。

セックスに自信がないと思うようになったのはいつ頃からだろうか。恋愛の対象に年下が増えてきてから? アラサーという妙齢を実感するようになってから? 
とにかく男たるもの「床上手」でないといけないのかもしれない、という要らない呪いが一つ増えた今日この頃である。

そもそも、セックスにおいてテクニシャンでいなければいけないというのは、セックスを覚える前からの刷り込みのような気もする。
雑誌で目にしていたセックス特集に始まり、SNSに溢れる”こういうタチが好き、こういうウケが好き”というどこの誰かも知らない、自分とセックスすることなんて一生ない見知らぬ奴らのツイート。
恋愛関係においてワンセットで語られる「セックス」という項目は、非モテ童貞だった凌くんの何かを刺激するようだ。

先に答えを出しておくと、信頼関係を築ける相手と何が気持ちよくて、何がNGかを話し合いながら、セックスというものはすべきだというのは重々わかっている。
が、しかし。リビドーのままにするのもまた一興というのがセックスだったりするので、そういう時にふと自分の経験の浅さや、正解かどうかが頭をよぎってしまい、自信満々にセックスを楽しめない時もあるのだ。

ー令和期総ポルノ男優時代

ゲイのSNS界隈では今、自らのハメ撮りを売る「only fans」「my fans」が一世を風靡しているように思う。一億総ポルノ男優時代の幕開けだ。

元々、承認欲求や性癖が転じてハメ撮りをSNSにアップしている人というのは多かったし、それで小銭が稼げてしまうのならラッキーといった感じで、爆発的に火がついたように思う。
まあ要するに、好きなことでお金を稼ぐということの極地だ。

このムーブメントのパイオニア的な人物がいる。
彼は今後のゲイシーンにおいて確実に伝説になるだろうと思う。ハメ撮り以上AV未満、現実以上ファンタジー未満の作品を出し続けるというのは、ストリート(SNSなどの身近な距離)で商売をする上で絶妙なバランスだと思う。
きちんとしたコンセプトに基づいてブランド化されていて、尚且つ手が届きそう(ワンチャンありそう)な上に、ちゃんとヌける。
GUCCIのキャップをお金の無さそうな若い子がかぶるのと一緒で、”手が届きそうなブランド”というのは時代のキーワードだ。

ーセックスで変わった男

彼とは3回ほど会ったことがある。1度目は夏のホモの恒例行事である、”友達でもない知らない人たちと数人でプールに行く”という集まりに呼んでもらったときだった。そんなことをしているとも知らずに会ったので、最初の印象は正直「見た目だけ派手な根暗なホモ」くらいにしか思っていなかった。

2度目はたまたま飲み屋で遭遇した覚えがある。「久しぶりだね、覚えてる?」と話をしたのがきっかけだったと思うが、初対面の時から一年以上経っていたので、その彼の変化に驚いた。
なんか堂々としているのだ。あれ? こんな感じのキャラだったっけ? と思ってその時は別れた。

3度目もイベントか何かでたまたま会って少し話をしたのだが、その時にはもう初対面の時の”陰”な感じは一欠片も残っていなかった。
もちろん、色々な経験をして人は変わる。だけど、この時には僕も彼の生業を知っていたので、勝手にそこに繋げてしまったのだが、あながち的外れな見解でもないと思っている。

彼は自信に溢れ、モテ男特有のあのオーラまで醸し出していたのだ。
セックスで男はここまで変わるのか。と、えらく感心してしまった。

彼の場合、下手な鉄砲数打ちゃ当たる的なただ数をこなしているわけではなく、セックスを作品にするゴールがあり、それに見合ったことをしなければいけないというのも手伝ってか、自分のセックスにある程度の自信がついたんだと思う。

(友達ではないので詳しくは知らないが)恐らく、プライベートでもモテるだろう。自信のある男というのは、余裕も同時に醸し出す。世間一般の論理に当てはめれば、余裕のある人がモテるというセオリー通りの人ができあがっているはずだ。

ータチが大正義?

彼のセックスのポジションもあるのだろうか? 徹底的にタチしかしないという彼のスタンスも大きく起因しているように思う。(ゲイシーンにおけるレジェンドの一つ「真崎航」も”極タチ”というパワーワードを謳っていた。)

「タチ=男役」みたいな風潮は拭えないし、ゲイコミュニティにおいてセックスの主導権をウケが握るというのは、あまり見ない構図だ。(セックスを覚えたての男女の世界だと女が許可を出してやっとセックスという行為にありつけるという、構図は少なからずあるが。)

ゲイコミュニティだと(余程スペックに差がない限り)あくまで選ぶのはタチ側。
ウケ側は「抱いていただいている」という非モテが拗れた感情を持つ人も少なくないと思う。
あくまで個人の感想だが、ウケの母数も大きい上に、その中から選ばれなくてはいけない・抱かれなくてはいけないという一心で(外見の)自分磨きに力を入れるから、可愛い子たちがウケに多いのも納得してしまう。

まあ、セックスにこじつけるまでに単純なスペック勝負というのはあるにせよ、その後リピートされるかされないかというのは、また別の話だとは思う。汚いけどうまい定食屋と一緒で、床下手なハンサムより床上手なアグリーのがリピートするには俄然魅力的だ。しかし見た目至上主義の私たち界隈では床下手なハンサムがリピートされているような気持ちにもなってしまうが。(そして数をこなした床上手なハンサムが生まれるという地獄のような連鎖も生まれてしまう。)

ー第二期童貞期

さて、このセックスからくる男の自信というのは、良くも悪くも男たちの自己肯定感に直結すると私は思う。
テクニックをご披露したがる勘違いタチ男ももちろんいるが、「俺はセックスがうまい」「俺は数をこなしてきた」という錯覚は、カンフル剤のように男たちの自己肯定感を爆アゲさせる。セックスが上手い男=優れた男なのだから。

自分も一時この勘違いの穴に落ちそうになったことがある。若いというだけで、セックスができていた時のことだ。
ただそんなものはいつか頭打ちを喰らうのが世の常だし、自分も選ぶ側から選ばれる側へと回り、周りとの差が歴然とわかるようになったアラサー近辺で自分のセックスを客観して、自信がなくなった。

第二期童貞時代の始まりである。
自分は自分とセックスをすることなんてできないから、相手の言葉を鵜呑みにするしかない。
だけど、場当たり的なセックスばかりしていたら、場当たり的な褒め言葉なんて腐るほど言われることを知っている。
そんなこといくらだって人は言えてしまうこともよく知っている。
だって自分も場当たり的にどうでもいいチンコを褒めるのだから。

人を呪わば穴二つ。自分の行いは全て自分に返ってきてしまい、自分が男たちに下してきた残酷なジャッジが、自分にも同じように下される。
こうなってくると、セックスに限った話では終わらず、恋愛における一挙手一投足にも自信がなくなってきてしまう。

三角の目をした羽ある天使が自分の耳元で囁くのだ、「イタいことしてるからやめれば?」と。

そんなこと言われたら、童貞くんに逆戻り。手も足も出ないよ!!

ー脱・童貞メンタル

自分を含めた男たちが童貞メンタルを卒業するのはいつなのだろうか。
(過度にならない程度に)自分に自信を持ち、(相手を思いやれる)余裕が持てて、劣等感を抱かなくなるのには何が必要なのか。

我に返って自分を客観視してしまえば童貞に逆戻りしてしまい、かと言って自分のテクニックに心酔してしまった途端できあがるのはオナニストだけだ。

ん? もしかして童貞って、卒業できるものではない?
今慌てて、Wikipediaで童貞の定義を調べてみた。

現代の定義では、「童貞」は、
性交未経験の男性 (cherry boy)
男性が性交未経験の状態 (virgin)
のいずれかを指す[1]。
ここでいう「性交」とは通常は膣性交であり、肛門性交(アナル)や口腔性交(フェラチオ)は含まれない。

https://ja.wikipedia.org/wiki/童貞

え!! ゲイって一生童貞なんじゃん!!!



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