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メンタルネコとメンタルタチ

同性にも性の不一致がある。セックスにおけるポジションで恋愛に発展するかどうかが決まってしまうのだから、面白いものだと思う。

思うに、身体的なタチネコと精神的なタチネコは絶対的に一致しているかどうかと言われれば、そうではないし、それこそ人間の真骨頂だなと思う。ノンケの男の子だってフェミニンな部分はあるし、女の子にもマスキュリンな部分がもちろんある。ただ、社会的な役割の”男”と”女”があるからこそ、ノンケの恋愛の方がわかりやすいのかもしれない。

身体的に、というかセックスにおいて求める快感と、精神的に求める快感が人それぞれ違うのだから、そこに不一致が出てきやすいのは、もしかしたら同性同士ならではなのかもしれない。セックスにおいてはタチでいたいけど、精神的には寄りかかりたい人。ウケしかできないけど、精神的には相手を包容してあげたい人。セクシュアリティを一括りにできないのはこういうことだと思う。

僕は男のことしかわからない(実際これもどの程度までわかってるか疑問だ)が、いわゆる”男らしい”という枠にきちんと収まっている男をこれまで見たことがない。甘ったれで、情けなくて、見栄っ張りで、結局母親を求めているようなノンケ男子を多く見かける。それが悪いなんて、全く思わないし、「男らしく」という言葉が、どれだけ世の男性たちを苦しめているかと思うと、ちょっと破綻した生き物になるのはなんとなく頷ける。

そう、男は破綻した生き物だ。(ここで言いたいのは、男ってダメだよなあ的な無責任なことが言いたいわけでは全くない。むしろその辺はしっかりしろよ。)

男らしく、という呪いの言葉を小さい頃から言われ続け、社会に出てもそれは付き纏う。思えば、自分の一人称が「俺」になったのは会社勤めをするようになってからだ。多分、男をきちんと演じないと相手にされないと思ったからだろう。

男は求めているものがなんなのかハッキリしないのかもしれない。その揺らぎは、男が優遇される社会が故だ。障害がない分、性別で傷つくことがない分、自分の求めるものがよくわからないのかもしれない。

話が大きくなりそうだから、恋愛に絞って考えてみる。理想の恋愛。自分の理想は、ジェンダーの役割がない関係。男役、女役みたいなものがなく、親友の延長線上に存在する、ブロマンスから派生したパートナーが欲しいな。とは、口では言っている。けどめちゃくちゃセックスしたい時だって、もちろんある。だってめっちゃセックス好きなんだもん。性欲って難儀だなとつくづく思う。

いい恋人関係を結んでいるカップルは、このバランスが非常に取れているなと思う。親友の女友達の恋人との関係は羨ましい。趣味が同じで話が合うとかそういう話ではなく、なんとなく歩いているリズムが同じというか見ていて居心地が良さそうなのだ。それにしっかりセックスもしてるし(同棲し始めてから色々変わったようではあるが)長年付き合っているのに性の匂いがするカップルは稀有だ。それに加えて、彼女たちの関係にはジェンダーがない。セックスのあと彼女が彼を腕枕して、抱きしめて寝ているという話が一番わかりやすく象徴しているかもしれない。

これまで自分が付き合ってきた男たちを思い返すと、メンタルタチ”風”の男が多かった。なんでか知らないが、支配的なのだ。モラハラ的な発言をされたりする。もちろん自分も言われてるだけなのは悔しいから、相手もそれにより拍車がかかるんだろうけど。(これ多分、自称サバサバ女が実はDV受けてました的な話なのかなあ…と一瞬頭をよぎる)

(ゲイの)恋愛関係において、男のプライドみたいなものが邪魔をして、うまくいかないみたいな人は多いんじゃないだろうか。そのまた逆も然りで、男のくせにとどこかで思ってしまっていたりするから、これまた厄介だ。

もう、タチとかネコとか線引きしないで、恋愛しようよ。居心地だけを望もうよ。なんて、口では簡単に言えるけど、またここで性欲問題、セックス問題だ。

ひとまず、僕自身が現時点で言えるのは、

「ポジションはただの記号です。セックスなんていくらだってクリエイトできる。内面のポジション、きちんと把握していこう。」

と、こんな浅いことしか、今のところ言えない。

(みんなリバなら色々楽しいのにな…)なんてことも大きな声では決して言えない。



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