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《書評》誰でも実践出来る仏教│「ブッダが説いたこと」ワールポラ・ラーフラ

 本書は、僧侶でもあり、セイロン大学哲学博士号を持つ、仏教精神に極めて通じた著者による、仏教の概論書である。原始仏典を用い、仏教における基本的な教えを抽出し、解説する。私は、真理を探究している上で、仏教も含め複数の宗教を比較検討しているので本書を手に取ったのだが、新しい発見が幾つもあった。



基本的な考え方

 まず、仏教ではいわゆる「信仰」というものは存在しない。これは目から鱗であった。ブッダの教えに対し、信じてはいけない。疑いを除去し、「理解」しなくてはならない。他宗教では、神の存在や、それ以外の幾つかの対象を信じる事から始まる。しかし、仏教はそのような姿勢は必要ない。ただ自ら判断する。それ故に、元々、ブッダは崇めるべき対象ではなくて、一人の超人に過ぎないらしい。

 また、仏教徒は幸せな存在である、という。

実際はその逆で、本当の仏教徒ほど幸せな存在はない。仏教徒には、恐れも不安もない。仏教徒は、ものごとをあるがままに見るがゆえに、どんなときでも穏やかで、安らかで、変化や災害に よって動揺し、うろたえることがない。ブッダが、憂鬱、あるいは沈鬱だったことはけっしてない。同時代人も「ブッダはたえず微笑みを湛えていた」と伝えている。

p77

 恐れも不安もない。素晴らしい事だ。仏教徒の至る幸せというのは、我々がふとした時に感じる幸せと同様、欲から離れた所にあるのだろう。しかし、ここまでだとまだ仏教とは現世の喜びを遠ざけるものだといった印象も残る。

無我説との闘い

 さて、仏教では、人間の自我(主体)というものは存在しない。これは以前から知っていたが、最も受け入れるのが難しい論理だった。無我説とはこうだ。人間は構成要素の集まりであって、単なる機能の集合である。総体としての私はない。無論、理論は理解出来るのだが、納得はいかない。

 理論に納得行くかは別として、重要な点がある。つまり、ここでの理屈は自分だけに向けられるのではなく、全ての事物に向けられるという事だ。例えば、机というのは、足と板によって成立している便宜的なものであって、総体としての机はない。何なら、足もなければ板もない。全ては相互作用によるものだ、ということだ。

 しかし、この世において全てに本質などなくとも、その外の世界に本質を見出すのはダメなのだろうか。プラトンのイデア説、ユダヤ・キリスト・イスラームにおける「私はある」など、背後の世界を説く思想は無我と折り合いが良さそうである。無論、仏教では、これも妄執と捉えられそうなのであるが。

絶対主義への見解

カルマの理論は、いわゆる道徳的正義、賞罰と混同してはならない。道徳的正義、賞罰という考えは、掟を定め、裁きを主宰し、善悪を決定する至高存在、神という概念を前提としている。正義ということばは曖昧で、危険である。正義の名において、 人類には善よりも害の方が多くなされる。

p86

 絶対的な正義、というものに対して嫌悪感を示す日本人を私は今までよく目にしてきた。道徳は普遍的であるというテーゼも支持されにくい。日本人は相対主義者が多いという見解もよく聞く。それは仏教の影響なのかもしれない。この記述は日本人ならば自然に納得が行くのだろうが、キリスト・イスラーム圏では批判的な人も多いだろう。

八正道

 仏教と言えば悟りである。悟りの為には何をすればいいか。本書は、ドゥッカ(苦しみ)の消滅に至る道(八正道)について説明する。八正道とは、以下である。

①正しい理解
②正しい思考
③正しいことば
④正しい行ない
⑤正しい生活
⑥正しい努力
⑦正しい注意
⑧正しい精神統一

 禁欲的な内容が入っていない。そう、仏教は過度な禁欲主義からも距離を取るのだ。実際、ブッダも肉食をしていた(スッタニパータ)。これらの教えは誰もが疑う余地もなく従いたくなる性質を持つ。明日から実践してみようと思う方もいるだろう。しかし、仏教を本格的にやるのなら出家が必要なのではないか?こういった疑問が頭に浮かぶ。

 それに対し、ラーフラはこう答える。

 仏教はあまりにも高尚で、崇高な教えで、今日の仕事中心の世界に生きる普通の男女には実践できず、本当の仏教徒になるのには、仕事を辞めて僧院や静かな場所に隠棲しなければならないと考えている人たちがいる。
 これは悲しいことながら、ブッダの教えを本当に理解していない人たちの誤解である。

p165

 八正道は出家者でなくとも、仏教の道に励むものなら誰でも実践出来る。そうである以上、日常生活を送る中で、仏の生活を目指したいと志すものがいれば、誰でも志せるということだ。

総評

 本書は仏教の教えの概説として整然としており、かつ、仏教の魅力を伝え、仏教徒になりたい人を増やす訴求力も極めて高い。素晴らしいのは、上述したように、多く広まった誤解を説く説明がしっかりとなされている事だ。それでいて、簡潔にまとまっている。

 仏教関連書籍を読むにあたって、アショーカ王を例に出して、仏教の非暴力主義を強調する箇所をよく見る。本書もその例に漏れない。しかし、一神教に肩入れしている私としても、その点仏教は素晴らしいという他ない。キリスト教徒やイスラーム教徒が非常に排他的な言説をするのはよく見かけるが、仏教では考えられないだろう。

 総じて、本書は、他宗教の信者も含めて、一読すれば、少しだけ「目が開かれ」て、日々の生活を正しくしようと思える良書である。

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