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コンタクト忘れた


コンタクトを忘れた。タンブラーは持ってきたのに、よりによってコンタクトを付け忘れた2023年のクリスマス。


体が反射的に「もう何も見たく無い!」と訴えたのかもしれない。視界はボヤボヤ、両眼で視力が違うので裸眼だと頭痛もする。今日は頭を使う仕事に集中できそうに無い。

何はともあれ忘れちゃったんだもん、しょうがない。今日は丸一日、裸眼で過ごさなければならない。気分だけは裸の大将くらい大きな心構えで行こう。たまにはよく見えない日があってもいいかもしれない。目に映るものすべて、写真にした方が鮮明に見えるのも面白い。


昔見たテレビで「盲目だが、自らが発する音(タンギングみたいな音)を頼りに正常者と同じように空間認識ができる人」が紹介されていた。コンタクトを忘れるたびにこの人のことを思い出す。

氏曰く、「跳ね返った音によって距離が掴める」のだそう。主に室内向きだが、その人は初めての階段もこの手法を頼りに転ばずに降りていた。小さい頃真似してみたが、案の定できなかった。とんでもない芸当である。他にもヴェルサイユ宮殿など緻密な風景を1度みただけでソックリそのまま書き上げてしまう人も紹介されていた。世の中にはいろんな人がいる。

盲目の人といえば、ワンピースの藤虎もそうだ。インペルダウン編はとても震えた。盲目だと考え方も極まるのかな。

時々思い出す名台詞


本当に、「不備を認めたくらいで地に落ちる信用なんて最初からないのと同じ」だと思う。


多様性だから許せだなんだという前に、信用さえ得られていれば許されるのが多様性だと思う。元々多様なんだから。


コンタクトだって同じだ。私は近視だから車に乗って初めてコンタクトを忘れた事に気付く。けれども家の前は一方通行。5メートル進んで気付いた時、家に引き返すのに最低5分かかる。朝の忙しい時間に5分ロスなんて致命的だ。

さらに家の前は別の会社の駐車場。同じく遅刻ギリギリの人達が急足で行き交う。高校生も多い。交通ルールを守りつつ、走る人々を気にしながらコンタクトを取りに帰ったら最低10分かかるのは目に見えている。そんなの朝から疲れてしまう。


これと同じ状況の人から「それでも遅刻は許されない」と言われたら、その人がしてきた努力を買って少しだけ納得してあげられると思う。少しだけ🤏

けれど「そんなの関係ない」という人が大半。私はこれに納得がいかない。もうちょっと話を聞いてほしい。なんで大抵の人間は「遅刻は悪い!」の通り一辺倒で律儀に話を聞いてくれないのか。「多様性を大事にし〜」とか言うなら、その人のポジションや行動や生活スタイル、その人の過去まで考慮すべきな気がする。少しはね🤏


持論としては、「遅刻ぐらいで地に落ちる信用は最初からないのと同じ」なのである。そして遅刻よりももっと気にすべきことは他にたくさんあると思う。

しっかり持ってきたタンブラー


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