見出し画像

437総理演説の採点

 先週10月8日の岸田総理所信表明演説の評価が芳しくない。当然だろうとボクも思う。尻馬に乗るようだけれど、いささかの論評をしよう。なお、中露で同じことをすれば、拘束され、思想改造の対象となることは間違いない。習近平、プーチンへの厳しい批評がないのは、ひとえに思想信条の自由のあるなしという彼我の国情の違いによる。岸田さんには、低評価に必要以上に落ち込まないことを期待する。要は、国民の批判(ボクも民主主義国の主権者ひとり)を真剣に受け止めていただきたいだけなのだ。
 
 批判のオンパレードに終わっては申しわけないから、よかったと思う点を一つだけ先に挙げておこう。
「大学卒業後の所得に応じて「出世払い」を行う仕組みを含め、教育費や住居費への支援を強化し、子育て世代を支えていきます」。勉学は日本社会と日本国民の短期的、長期的な発展に寄与するためにある。介護、看護、保育などの技術習得は即座の効用になる。その分野で働くため者の授業料の無償化はだれもが支持するはずだ。借りていた奨学金の返済がいっさい免除されることでその対象分野を就職先に選ぶ者が増えるのが道理。賃金を無理やり引き上げて混乱を生じるよりよほどまともな策だ。
 さて演説の問題点だ。全体構成は6章になっている。
一 はじめに
二 第一の政策 新型コロナ対応
三 第二の政策 新しい資本主義の実現
四 第三の政策 国民を守り抜く、外交・安全保障
五 新しい経済対策
六 おわりに

 あなたは1年かけて国民の声を聞いたそうだが、表面の言葉にとどまっていないか。あなたが挙げた三つの政策のうち、子や孫を持つ身では、何を差し置いても「国民を守り抜く、外交・安全保障」だろう。泡沫と言われた高市さんが総裁選で伸びた理由に気づかないはずはないだろう。国民の直接投票の大統領ではなく、あなたは議院内閣制の総理大臣。所属政党の代表なのだ。その政党色を隠したのでは、政党が政策を競い合うという総選挙の意味が消え去り、議会制民主主義は死んでしまう。
 外交、安全保障の要諦は「信頼」というのはよろしい。ただしそれは国民からの政府の外交政策への信頼であるべきだろう。世界から得た「信頼」というが、“自由、民主主義、人権、法の支配”を普遍的価値とするのは欧米中心の諸国であり、“専制と隷従、圧迫と偏狭”というわが憲法前文で地上から永遠に除去しようとしている価値観を信奉する独裁政権からの「信頼」がほんとうにあると思っているのか。
 体制が根本的に相容れない相手との関係は、①違うことを認め合った上での共存。つまり相互に威嚇や侵犯をしないか、②表ではにこやか、だが裏では相手政権をつぶす権謀術数を尽くすかしかあり得ない。果たしてどちらで進むのですか。軽々に手の内を見せるべきではないのであれば(外交では当然そういう判断があり得る)、演説でペラペラ方針をしゃべるな。大方針を示して、「自身と率いる政党を信じよ」と語るべきだろう。
「中国とは、安定的な関係を築いていくことが、両国、そして、地域及び国際社会のために重要です。普遍的価値を共有する国々とも連携しながら、中国に対して主張すべきは主張し、責任ある行動を強く求めると同時に、対話を続け、共通の諸課題について協力していきます」の下りを、国語の期末試験問題にして「著者の真意を説明せよ」と出題すれば、「著者は精神錯乱状態で書いたように思える」が優等答案、「言葉とは違う裏の意図が隠されている。それは…」が次点になるだろう。
 
 あなたが第一とする「新型コロナ対応」だが、個々の対策は任命した閣僚に任せればよい。国のトップのあなたには、新型コロナをどのような病気と認識しているのかである。過去にはペストやスペイン風邪の大疫病があった。新型コロナは世界人口の2割、3割もの命を奪うものと認識しているのか。そうではなく例年のインフルエンザの類例と考えるのか。それともそうした判断はできる段階ではないということか。
 基本認識が定まらないまま、下手の鉄砲よろしく、カネをバラまけばどうなるか。結果は人心の荒廃だけであろう。演説の他の箇所で「財政の単年度主義の弊害是正」と唐突に出てくる。1年単位では短すぎるというのであれば、何年単位にすべきというのか。全体のトーンから判断するに、赤字国債の発行枠をなくし、政府の当座のバラマキ予算額を何倍にもしたいと言うだけに見える。世の中にはMMT理論を説く者がある。ボクは「まったく、もって、トンデモ理論」と判断するが、岸田さんが正しいと思うならばそれでもよい。ならば単年度財政云々と言葉で煙に巻かず、「借金財政を続けても財政は破綻しないのだ」とシンパの財政学者を動員して、国民に分かる説明をすべきだろう。「収入の範囲内で支出する。借金は親の仇」という教育を受けてきた一般国民の常識を間違いであると言うからには、それこそ小学校5年生に分かる説明をしてもらいたい。(政治評論家が演説は小学5年生の理解力で合わせるべきだとテレビで言っていた。)

「新しい資本主義の実現」。不勉強で資本主義に“新しい”“古い”の区別があるなんて知らなかった。もちろんこれは皮肉。資本主義のバリエーションは無数。定義もさまざまに可能である。多分、言いたいのは経済的な中間層を分厚くすることが、国家国民の幸福と強さにつながるということだろう。それならば大多数が賛成だ。
 ではどのようにして達成するか。中間層を苦しめているのは公租公課の重圧だ。所得税、住民税、消費税、介護保険料、年金保険料、健康保険料…。これらの一つ、二つ、それ以上を軽減することだ。そのために赤字国債増発はMMT理論がらみとしてすでに述べた。現実可能性が高いところでは、社会保険料の軽減。介護や年金や医療の給付内容の再設定による見直しがセットになる。それには国民が反発するだろうとして、政治家は手を付けなかった。だが中間層の消費を喚起するのは、社会保険料軽減は即効性がある政策だ。新しい資本主義と大上段に刀を振りかざすのであれば、その具体策として社会保障見直し(減額)の優先順位とその仕掛けを言わなければ、演説に加える意味がなかろう。
 公共インフラ更新、震災地復興、国防装備の充実など手薄で放置されている。あなたの演説のとおりだ。ではそのための財源をどのように捻出するのか。必要なのは姿勢である。あなたの用語では「分配機能の強化」。言い出すからには具体策の方向性が明確でなければなるまい。
 日本人の国民性をどう捉えるか。日産のゴーン元社長の犯罪性は、国民感情に反する高額報酬を独り占めにしたことだ。彼は日本国民性を知っていたから、堂々と言えずに隠す工作をした。日本人は協調を重視する。所得税の実行負担率が、年間所得1億円を超えると逆に下がるというデータが示されている。それが放置されてきたのはなぜか。端的に言えば、1億円以上の所得者が例外的であったからだ。そこで具体策を言うならば、1億円を超えると総所得への所得税率が急上昇するように改める。これは仕組み的には簡単だ。
問題は高額所得者の反発である。これについてはふるさと納税を活用する。「税金で持っていかれるくらいなら寄付する」という方向に誘導するのだ。そのうえで高額所得者とその寄付額を公表する。普通の感覚の持ち主は、多額寄付者として氏名が載ることを歓迎するだろう。

最後に政治家に対する与党代表としての説諭があってしかるべきではないか。民選政治家の使命は何か。税の引き上げに反対し、減税を求めることだった。それが民力涵養の道であることという歴史的成果もあった。日本でも明治の議会では、地租の軽減とその手段としての国家予算の減額修正が議会の論争点になった。
これから分かるように、今必要なのは、議会の使命は予算の減額であって、増額ではないということだ。国会議員が政策を論じる場合、予算を伴うものであれは必ず、同額以上の減額項目をセットで提案するようにしつけることだ。憲法条項でも、内閣が国会に提案するのは“予算”であって“予算案”ではない(73条)。また国会に立法権はあるが、予算編成権はない(41条)。国会は政府の予算を減額修正することは可能だが、増額修正は予定されていない。

 あなたは演説の最後に憲法改正に触れている。しかし「憲法改正の手続を定めた国民投票法が改正されました。今後、憲法審査会において、各政党が考え方を示した上で、与野党の枠を超え、建設的な議論を行い、国民的な議論を積極的に深めていただくことを期待します」はないだろう。まるで人ごと、評論家だ。自民党の結党理由は自主憲法制定ではないか。ならばどこをどう改正するのか。自民党には野党時代に石破幹事長のもとで作成した憲法全面改正案があったはずだ。あれはお蔵入りなのか、新たに案を作成するのか。
 ここで提案したい。あなたの憲法解釈について、一般国民と公開議論の場を作ってはどうか。テレビ局は喜んで場を提供するだろう。前文についてはNHK(東京のチャンネル1)。1章天皇については日本テレビ(チャンネル4)、2章戦争の放棄については朝日放送(チャンネル5)、3章国民の権利と義務についてはTBS(チャンネル6)…といた具合で、それぞれ月曜日、火曜日…の4時間程度、これを5,6週くらい続けるのだ。対談者は裁判員のように有権者から無作為抽出する。その録画をCD版にして国民に販売すれば、あなたの国家観が明らかになる。公開情報だから外国の工作員の手であなたの主張が捻じ曲げられてフェイクニュース化される懸念もない。これこそが日本式の普遍的民主主義であると胸を張れるはずだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?